KILLERS キラーズ : 特集
「KILLERS キラーズ」3サイト合同キャンペーン《I Found You, You Found Us》
読者が発見するのは、見つけてはならない禁断の3人──その狂気はあなたにも感染する
日本×インドネシア、「冷たい熱帯魚」「凶悪」の製作チームと「ザ・レイド」で世界を震かんさせたインドネシアの精鋭たちが強力タッグを結成し、“劇毒”エンタテインメント「KILLERS キラーズ」(2月1日公開)を誕生させた。映画.comでは、同作に登場するキーパーソンの1人、連続殺人鬼・野村をプロファイリング。北村一輝が怪演する東京の“KILLER”=野村とは!?
■「冷たい熱帯魚」の日本×「ザ・レイド」のインドネシアが生んだ衝撃のハイブリッド!
“殺し”に魅せられた2人の男と1人の女が、見る者の狂気を刺激する!
日本×インドネシアという、これまでに例のなかったコラボレーションが誕生した。日本からは、戦慄のサスペンス「冷たい熱帯魚」と実録犯罪ドラマ「凶悪」を放った製作陣が参加、対するインドネシアからは、あの世界中の度肝を抜いた驚異のサスペンス・アクション「ザ・レイド」の監督&製作チームが乗り出し、狂気とリアルとバイオレンスが渾然一体となった衝撃のハイブリッド作を生み出したのだ。
誘い込んだ女を無機質な“処刑室”で殴り殺し、息を引き取っていくさまをじっくりとビデオカメラで撮影する東京の男・野村(北村一輝)。そしてインドネシアのジャカルタで、汚職にまみれた有力者を追う実直なジャーナリスト、バユ(オカ・アンタラ)が、動画サイトにアップされた野村のスナッフ・ビデオの映像にひきつけられ、内なる殺人衝動を開花させていく……。
そして、いじめられっ子の弟を死なせようとする姿を目撃したことをきっかけに、野村が異様な関心を持って接近していくことになる花屋の女・久恵(高梨臨)。
遠く離れた東京とジャカルタで呼応するように“狂気”を増大させていく2人の男と、慎ましやかに生きながらも、心の片隅に衝動を抱える1人の女──禁断の3人が織り成す血みどろのドラマが、見る者の狂気までを刺激するのは間違いないのである。
映画史上初となる「日本・インドネシア合作」を実現させたのは、日本の日活とインドネシアのゲリラメラフィルムズ。「冷たい熱帯魚」(監督:園子温)や「凶悪」(監督:白石和彌)を手掛けたプロデューサー、千葉善紀が製作に名を連ね、製作総指揮をあの「ザ・レイド」のギャレス・エバンスが担当。気鋭の監督ユニット“モー・ブラザーズ”(血縁ではない親友2人組)がメガホンをとり、狂気あふれる心理描写と壮絶なバイオレンス描写に満ちた禁断のサスペンスが描かれる。2014年サンダンス映画祭の正式出品も決定しており、全世界が本作をどう受け止めるのか──その行方からも目が離せない。
従来の日本映画では描き切ることができなかった、壮絶なバイオレンス描写が注目だ。鈍器で殴られた頭が割れて鮮血がほとばしり、身体がけいれんしてやがて動かなくなっていく──誘い込んだ女たちを次々に殺すサイコキラー=野村の残酷な所業を、本作はカメラを背けることなく見せつける。インドネシアでは、タクシー強盗に襲われてしまったバユが、突発的に彼らを射殺してしまう血まみれの姿を、迫真のリアリティで映し出す。ナイフで切り刻み、生きたまま身体に火を放つという目を覆いたくなるような描写は、「ザ・レイド」チームの専売特許なのだ。
狂気に魅入られた2人の男と1人の女による、濃厚な世界観を作り上げるには、実力と個性を放つ俳優陣の参加が必須だった。主人公の1人、野村を圧倒的な存在感で演じ切ったのは、映画、テレビで多彩なキャラクターを演じ分けてきた北村一輝。野村にひかれる久恵役には、巨匠アッバス・キアロスタミ監督作「ライク・サムワン・イン・ラブ」で主演を務めた高梨臨。そのほかにも、黒川芽以、でんでんが意外な役どころで顔を見せる。対するインドネシア側も、バユ役のオカ・アンタラ、モデル出身のルナ・マヤ、「ザ・レイド」で犯罪王を演じたレイ・サヘタピーという実力派が起用されている。
■かつて、これほどまでに残忍で純粋、そして美しい殺人鬼はいただろうか──
《サイコキラー野村》の“狂気”が伝染しても、映画.comは一切責任を負いません!
無機質な部屋に暮らし、エキゾチックで端麗な容姿で女性を魅了する連続殺人鬼・野村──「KILLERS キラーズ」を見た者が、彼が放つ存在感とその魅力に一気に捕われてしまうのは確実だろう。サディスティックな残忍さと、凡人には理解できないほどの純粋な美意識にのっとって殺人を繰り返すサイコキラーながら、社会的な地位と財産、そして美しい容姿を誇るキャラクター。「サイコ(1960)」のノーマン・ベイツ、「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクター博士、「セブン」のジョン・ドゥ、「冷たい熱帯魚」の村田幸雄ほか、これまでにも数々のサイコキラーが映画には登場してきたが、かつてこれほどまでに残忍さと純粋さをあわせ持った“美しい”殺人鬼はいなかったはずだ。
野村は一体なんのために殺人を繰り返し、犠牲者たちが命を落としていく様子を撮影し、そして動画サイトにアップするのか。観客は、野村の大胆かつ緻密な殺人行為を目撃しつつ、彼の衝動と狂気の源に興味をそそられずにはいられなくなる。いじめられっ子の弟と2人暮らしの花屋の女・久恵が、優しく尽くしてくれる野村にひかれていく姿を通して、観客もまた野村の深遠なる“狂気”を覗き込んでいくことになるのだ。
時おり差し込まれる、野村の“姉”とおぼしきフラッシュバック。野村の精神を束縛するのは、殺人による快楽なのか、姉の幻影なのか、それとも自らの狂気に共感する者への渇望なのか。野村の心理と行動に引き込まれるほどに、観客誰しもの内面に潜む衝動が刺激され、“狂気”が感染していくのだ。