「盗まれたのは"誰の"人生なのか」ザ・ワーズ 盗まれた人生 saitofjさんの映画レビュー(感想・評価)
盗まれたのは"誰の"人生なのか
最後の放り投げががが。。。
この作品には、3人の語り手がいます。成功した小説家、青年、老人。青年が盗んだものは老人の作品ではなく人生だった。という流れ。
ですが、これだけなら、成功した小説家は不要なのです。作品構造を俯瞰すると気が付くのですが、老人の語りを観客に伝えてるのは、小説家なのです。作品という体ではあるのですが、小説家は、老人の人生の語り部となって、作品に込められた"老人の人生"を伝える役になっているのです。
作品だと思って盗んだものは、人生そのものでした。それにより、老人の人生そのものを背負ってしまったのです。懺悔のように老人として人生を語る役になってしまうほどに。青年の人生もまた盗まれてしまったのです。だから寝た時に思い浮かぶのは老人の顔ではなく、失ってしまった"自分"の人生の顔なのですね。
そういう構造的な意図もあったのでしょう。ですが、あまりそれは伝わるように出来ていません。たぶん、そんな小賢しさを入れてしまうと、作品が描こうとするそれにあってないと判断したのでしょう。非常に"内面的"な話として終わらせてしまいました。が、それが投げすぎでふんわりと、、
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