「悲しみの連鎖」LOOPER ルーパー たけろくさんの映画レビュー(感想・評価)
悲しみの連鎖
「イマイチ…」というか、「惜しい!」映画でした。
タイムループ(トラベル)ネタと超能力ネタが未整理で、その関連が強引に過ぎるかと思います。
粗筋はこんな感じです。
幼少期に母親を、未来からやって来たタイムルーパーに殺された超能力者が、やがて成人し、自身のその能力を用いて社会の支配者となります。支配者となった超能力者は、過去に起こった母親の殺害を「現在から」阻止するために、自身の権力を用いてルーパー全員を抹殺し、併せて、タイムループのシステムを破壊して全てのタイムループを閉じようとします。
一方、超能力者の意向で自分が殺されそうになるなか巻き添えをくう形で妻を殺された年老いたタイムルーパーは、妻の殺害を阻止するべく、タイムループした先の現世(過去)で、幼少期の超能力者を殺そうとします。
そして、現世に生きる「若かりし頃のルーパー」は、未来の自分が、幼少期の超能力者及び彼を庇おうとするその母親を、いままさに殺そうとする場面で、その「悲しい連鎖」を断ち切ろうと自ら命を絶ち、その瞬間、年老いたルーパーは消滅し、幼少の超能力者とその母親二人とも救われる…という話です。
「近未来」「タイムトラベル」は個人的に好きなネタです。また、誰も悪くない(それぞれに相応の理由がある)のに、悲しいことが繰り返される…というモチーフは、批評性を持ち得ると思います。でも「超能力ネタ」が絡むっていうのが、なんか「ガッカリ…」なんです。
ある人間が個人レベルで「相応の理由」をもってなした選択・決断が、よりマクロで見た場合、他者が「相応の理由」をもってなした選択・決断とバッティングしてしまい、結果的に全体としての合理性が失われる…というテーマを、タイムトラベルという手法を用いて時間的因果律の矛盾を用いて描く…という構造は、実は、アニメ版「時をかける少女」にも見られるもので、作品としてはこちらの方が数段良いと、私は思います。
超能力ネタを使わず、かつ、タイムルーパーが幼少期の超能力者を、一方成人した超能力者が全てのタイムルーパーを、それぞれ抹殺しようとする理由を、物語の後半(ラスト近く?)で観客に示すなどの工夫があれば、もっともっと良い作品になったのではないか…と思った次第です。
ブルース・ウィルスはじめ俳優陣の演技はよかったです。惰性で生きて行かざるを得ない倦怠と悲しみ、そして大切な人を守りたいという強い気持ち、そしてそれを失うことへの恐れと失ってしまったことで生じる悲しみと怒り…。それぞれの思いが「時間的因果のズレ」のなかで重層的に「ズレ」ていく様子は、まさに「ポスト9.11」的な舞台設定で、それぞれの「悲しみ」が演技から伝わってきました。それだけに「惜しい!」 1本でした。