許されざる者のレビュー・感想・評価
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久しぶりにしっかりした邦画を観た
イーストウッドの同名作品(1992)と、筋書きや台詞がほとんど同じだが、初めてこの作品に触れる人は存分に見応えがあるだろう。とくに極限の中で生き抜く力を一本の刀に懸けた男の生きざまは魂を揺さぶり、邦画の醍醐味を十二分に味わわせてくれる。
ほとんどオリジナルに近いと書いたが、本格的に開拓が始まったばかりの北海道を舞台に、髷を落として間もない元武士階級のいがみ合いと、和人移住の増加に伴い北海道の先住民であるアイヌの生活や文化が破壊されていく様子を絡めて、邦画としてリメイクした価値を高めている。
一度、刀を封印した男が再び刀を振るうまでの葛藤は、さすが渡辺謙、奥が深い演技を見せる。
幼い子たちの糊口を満たすために立ち上がってはいるが、この時点で本気で刀を抜く気にはまだなっていない。刀でケリをつけなければならないところまで追い込まれた男の凄みを出すところまでじっくり見せてくれる。
このケリをつける意味合いがアメリカ版と日本版で微妙に違う。アメリカ版は腐った人間どもを町から排除する意味合いが強く、本人は意識していないかもしれないが町を救った“英雄”という言葉がちらつく。いっぽう本作は、男の眠れる魂に火を着けたのは友への憐憫であって、そこには“情け”という言葉が似つかわしい。したがって、自ずとラストから受ける印象は異なる。
イーストウッドのオリジナル版よりも黒澤映画を意識した作風に見えた。
これで、渡辺謙以外の役者が、声のトーンをもう少し落として、気持ち台詞をゆっくり喋ってくれたら作品がもっと落ち着いた。
また、女郎たちと賞金稼ぎの接点がまったく描かれていない。そもそも何故、男たちが遠く鷲路まで集まってきたのか説明がない。賞金の噂を流布する手立てが描かれていないため、話が唐突に進む。オリジナルの真似をすることはない。
開拓時代の北海道が、アメリカに見えた
もちろん映画でしか知らないのだが、アメリカの開拓時代のことはそれなりに思い浮かぶ。それは西部劇のおかげ。しかし住んでいる北海道が、どんな風に開拓されたか映像として描かれたものを見るのは初めてかもしれない(実際には僕が見ていないだけでいくつかあるだろうけど)
そこには、西部劇のように、「馬」がいて、「ライフル」があって、「焚き火」があって、「ならず者」がいて、「女郎宿」があって、「賞金稼ぎ」がいて、「貧乏」があって、「差別」があって、「殺戮があって」・・・・
たかだか150年前のことなのに、今とはずいぶん違う。
北海道を舞台に西部劇をリメイクした着眼点はナイス。
北海道が、開拓時代のアメリカに見える。
ストーリーが大味な感じがした。
十兵衛がまた殺人を犯すには、もっと葛藤があってもいいと思うかな
見事でした。
何故、イーストウッドの名作のリメイクでなければならなかったのか
実に評価が難しい作品である。
一本の映画としては見応え充分。
演出はどっしりと構え、役者も熱演。
アイヌや明治初期の背景を絡め、巧く日本の風土に溶け込ませている。
雄大な映像も素晴らしい。
だけど、やはりどうしても払えきれない違和感が。
何故、イーストウッドのリメイクでなければならなかったのか。
オリジナルは至高の名作。いくら才ある日本の映画人が尽力しても、太刀打ち出来ない事は分かり切っている筈である。
ならば、日本オリジナルの時代劇として作った方が、絶対に評価も上がった事だろう。(実際、サブエピソードで描かれるアイヌの悲劇をメインに据えたオリジナルの時代劇の方こそ見たいと思ってしまった)
設定が似ている点についても、オマージュを捧げた事にすれば、イーストウッドと渡辺謙は繋がりがある訳だし、それすら敬意として評価される。
リメイクにした時点で、この映画は自らハンデを背負ってしまったのである。
演出も演技も悪くはないが、かと言って手放しで絶賛には至らない。
まず、演出面。イーストウッドの演出はドライで緊張感溢れ、格調高く深淵なものだった。李相日の演出も緊張感はなかなかだったが、感情をなぞる。これは日本人の感性に合わせたものなのだろうが。
渡辺謙は静かに怒りがこみ上げる熱演を見せてくれるが、伝説の人斬りの過去を背負った枯れた佇まいにはちょっと乏しい。
佐藤浩市は暴力的な狂人にしか見えなかった。ジーン・ハックマンは善と悪の不条理を感じさせたが。
役者陣では、柳楽優弥が印象に残った。
駄作ではないし、決して“許されざる映画”でもない。むしろ、好きなタイプの映画である。
でも…。
さっきから良いと言ってみたり否定してみたり、意見がふらつき大変恐縮だが、感じた事を思った通りに書いたまで。
なので最初に記した通り、評価が難しいのである。
(それでも、来年の日本○カデミー賞では高く評価される事だろう。ほとんどの部門でのノミネートはまず間違いない。それどころか、大量受賞も…?)
リメイクの宿命で、どう捉えるかは見たアナタ次第。
誰が許されないのでしょうか?
さすが「悪人」の監督です。
元の映画の記憶が観客に残っている年数しか経っていないのに日本映画として
勝負を挑み、それを実行した自信には敬意を覚えます。
元の雰囲気を壊さず、題への解釈をより深めた感じを受けました。
確かに、この方が題に忠実なような気がします。
絵は、面白い事になんか原画を日本画にしたような気がしました。
何故なんでしょうか。
バターの味付けでは無く、味噌・醤油の味付け。
ただ、やはり銃は、日本映画に合わないような気がします。
時代考証として無理が無いのは理解してます。
がしかし、刀だけでストーリーを組む事は出来なかったのでしょうか。
いやしなかったように思えます。
黒澤監督の「7人の侍」を「荒野の7人」でウエスタン調にリメイクできたわけで、この監督なら可能な気がします。しかもどちらも名作です。
リメイクでありながら、水準をキープしている作品はめったにお目にかかれません。
作品としては申し分ないのですが、この点を原点ー1としました。
数少ない日本映画の名作「切腹」「十三人の刺客」を破壊したリメイクを実行した監督の選択とは、大きく違います。
人間の内面の浮き彫り
リスペクトを感じる
イーストウッドのこの名作に対する李監督のリスペクトを強く感じた。
「許されざる者」は、僕のNo1フェイバリットだから、
ストーリーはもちろん、その映像の細部までしっかりと頭に入っている。
そのディテールでいえば2つのシーンが強く心に残っているのだが・・・。
2つとは、賞金を求めて3人が荒野を行くシーン。
オリジナルでは太陽と川と風がきらめくように描かれていた。
水面に太陽がゆらゆら、その中を3人の乗った馬が走り抜けるシーンは
詩情性にあふれていた。
北海道に場所を移しても、真っ白な雪山の世界に、
見事な大自然を捉えていたを捉えていた。
もう一つは、長年の相棒がリンチにあって殺されたと聞いたときの、
主人公が、長年やめていたウィスキー(酒)に手を出して、
ごくりと飲み干すシーン。
そのときの戦慄といったら、息が止まる思いがしたのだ。
ここも重要なシーンとして、とらえていたことに満足を感じた。
だから、そのほかのところがオリジナルとは違っていてもしかたないと思う。
たとえば、日本版キッド役により重きを置いたことも、
残された子供をサポートするのが、違うものたちになったことも、
それはそれで、よく考えてのことだったような気がする。
だから、僕はこの映画について悪く言うつもりはないのだが。
完璧に近い作品をリメイクするといったとき、
この批判は織り込んでいただろう。
それでも、作りたかった。やりたかった。描きたかった。
このどうしようもない欲望は抑えられなかったのだと思う。
それが映画監督といおうか、アーティストだから。
役者たちもそのプレッシャーによく耐えていると感じた。
そこには、日本映画としての甘えは全くなかったと思っている。
ただ、オリジナルには到達することは難しかったというべきだろう。
オリジナルに思いを馳せてしまうな
折角のリメイクなので比較したくないけど、やはりストーリーとキャラクター配置が同じなのでついオリジナルが浮かんでしまった。というか、リメイクは凡庸で退屈な日本映画だったな、と。北海道の風景、美術など見所はあれど、まったく面白くない。
脚本、よくないですね。何がどうあっても女郎の顔刻む男と刻まれる女から始めなきゃ、だと思う。
枯れて、軽やかで、残酷なオリジナルを、若い監督が深刻に作り直して惨敗した感じです。
『十三人の刺客』とかリメイクでも本家を凌駕できるリメイクもあるんで、多分よくないリメイクだと思う。そもそも本家はアカデミー賞はとってますが、言ってみればそう大層な話でもないので、何をそんなに深刻ぶった芝居と深刻ぶった音楽つけてんのか理解に苦しむ。たぶん製作者側にイーストウッドのファンはいないんでしょうね。何度となく撮り慣れた宿場町を軽やかにさばくイーストウッドと、アカデミー賞作品を日本に翻案しようと若手監督が必死でやっている本作(監督初の時代劇?)、考えてみれば、「イーストウッドによる最後の西部劇」とえらい違うものをよくぶつけたな、と。
まあ、リメイクなので、ほかの楽しみを見つけられればと思っても、オリジナルがチラツイてしょうがなかった。こんなつまんない話だっけ?と何度も思った。
芭蕉じゃないけど、「わび」「さび」のあとのあとの「軽み」の境地の西部劇によく挑んでしまったな。
ラスト方面の改悪エピソードを見ながら、「若過ぎ」と思いました。
重い・・・
神話性から真実味へ。
壮大な大地の景色がすごい
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