100回泣くこと : インタビュー
桐谷美玲&ともさかりえ“廣木塾”で得たものとは
2005年に刊行され、80万部を超えるロングセラー小説「100回泣くこと」が映画化され、桐谷美玲がヒロインを務めた。病魔と闘いながら、事故で記憶障害を起こした恋人(大倉忠義)へのいちずな愛を貫く佳美役。初顔合わせとなった廣木隆一監督の演出の下、「まさに体当たりだった」と振り返るほど全身全霊を注いだ。一方、ともさかりえも9年ぶりの廣木組の洗礼を受けながら、共演シーンは多くないものの先輩で親友の夏子として佳美を支えた。2人が“廣木塾”で得たものとは。(取材・文/鈴木元、写真/堀弥生)
「余命1ヶ月の花嫁」の榮倉奈々、「軽蔑」の鈴木杏と、廣木監督は若手俳優、特に女優を鍛えることには定評がある。とはいっても現場で声を荒らげたり、一挙手一投足に細かい指示を出すわけではない。まずは役者の感性に任せ、カットを重ねることで自身の描くイメージに近づけていくスタイルという印象がある。桐谷も、同様の感覚を持ったようだ。
桐谷「こう演じてほしいということを、あまり口に出さないタイプの監督だと思うんです。それよりは、そこ(現場)にいて感じたまま、やりすぎないで自然なままでいてほしいとはよく言われました。でも、それを意識したらしたでダメだと思うので、すごく難しかったです」
一方のともさかも、2004年のオムニバスドラマ「青×黒×白の女」の1編で演出を受けて以来。たたずまいなどには不変のものを感じながらも、その粘り腰には必死で食らいついていったことをうかがわせる。
ともさか「(佳美が)死ぬというゴールが分かっている作品なので、そこから逆算してやっていくのが難しかったですね。いかにリアリティを持たせてやっていくか。上っ面でやろうと思えば泣くこともできるし、気持ちをつくっていくこともできるけれど、その場にいて悲しい、つらいと本当に役に共感してやっていくのは、当たり前といえば当たり前ですけれど、それを貫き通すのはハードだなあと思いつつやっていましたね」
脚本に関係性が詳述されているわけではないが、佳美の闘病をずっと見守ってきた夏子という深いきずながストーリーの根底にあるため、非常に重要なシークエンスになっている。特に佳美が入院する病室でのシーンは、何度もテイクを重ねた。
桐谷「すっごい、やりました」
ともさか「もう一生、終わらないんじゃないかっていうくらいやりました。リハも含めて、10回以上はやっているよね」
桐谷「やっています。やっています」
ともさか「何がダメということはなく、廣木さん的にやっぱり本物じゃないってことだと思うんです」
桐谷「何がダメとか言わずに、『はい、もう1回』って」
ともさか「何がなんだか分からなくなるところまで持っていってやるって感じでした」
バイク事故で、その1年前の記憶を失ってしまった藤井と、当時恋人だった佳美が4年後に再会し、あらためて交際を始めるラブストーリーが根幹。だが佳美は、今の藤井が知らない病気のことを告げられず、2人の間にも微妙な距離が生じていく。感じたままを託された桐谷はどのように取り組んだのだろうか。
桐谷「まあ、4年も待ち続けるなんて私にはできないですけれど。でも、いちずに人を思ったり、本当は会いたかったよねって気持ちは女性なら共感できるんじゃないですかねえ。悲しいお話ではあるけれど、何げない2人の日常の中にある幸せがすごくいいなあと思って、(脚本から)楽しい雰囲気が伝わってきたので、それを大事に撮影に臨みたいと思いました」
だからこそ、初共演の大倉とは特に話し合いを重ねるようなこともなく、自然な流れの中で“恋人関係”を築いていったという。これも、廣木監督の現場ならではだ。
桐谷「最初は全くしゃべらなかったんですけれど、佳美と藤井くんも最初から仲良くしていたわけでもないのであまり意識せずに、撮影を重ねるうちに自然といろんな話をするようになりました。大倉さん、すごくマイペースなんですよ。多分、私もそうなんですけれど、頑張って距離を埋めなきゃいけない2人じゃないので、いい距離感でできたと思います」
しかし、佳美は確実に死へ向かっていく。衰弱していく体を表現するために、減量にも挑んだ。撮影がほぼ順撮りだったことは奏功したが、すべてがうまく運んだわけではない。
桐谷「私がピンピンしていてもダメだし、佳美に寄り添いたいなと思ったので食事制限をしたり…。なんか、その頃はあまりおなかもすかなくて。なんでですかねえ。ただ、病気で死にそうな次の日に、回想シーンでめっちゃ元気みたいな時もありましたけれど(笑)」
そして、自身のラストカットがまさに息を引き取るクライマックス。「追い込まれるところもありました」と述懐するだけに、相当な手応えをつかんだようだ。
桐谷「達成感、ありました。本当に全力で取り組んで、まさに体当たりだったなってすごく思いました」
そんな佳美を救ってやることができず、激励しながらも見守るしかできないという設定のともさかの、抑制の利いた演技が哀愁を誘う。いたたまれない気持ちがひしひしとスクリーンから伝わり、単なる“難病もの”にとどまらない作品のスパイスとなっている。
ともさか「第一に佳美の体のことを気遣っているにもかかわらず、純粋さひとつで突っ走ってしまうところを見てしかってやりたい気持ちと、でもその純粋さを否定もできないし応援してあげたいって気持ち。多分、その間でずっと揺れていた感じですかね」
自ちょう気味に語るが、その表情は廣木監督の課題をしっかりとクリアし体現できた充実感に満ちている。桐谷も“廣木塾”で自らを追い込んで成し遂げた足跡に満足げな様子。そして、自信に満ちた笑顔で言い切った。
桐谷「もちろん、大切にしたい作品になりましたし、自信を持って皆さんに見てもらえるなって感じました」