「辞書の埃を払う。」舟を編む shotamalさんの映画レビュー(感想・評価)
辞書の埃を払う。
「真面目」「どんくさい」
そんな言葉で埋もれていたかもしれない、馬締の静かで熱い才能。
辞書作りという地味で果てしない作業は、決して単純作業ではない。
「いかに簡潔かつ明瞭に言葉の意味を表すことができるか」
それには絶対的センスが必要不可欠。
ヒラメキのない、いわゆる平凡な人間に出来るような、無難な仕事ではない。
そのことにすら気がつかない凡人に、時に馬締のような人間がバカにされてしまうのは
この世の中、仕方のないことなのかもしれない。
これまで馬締にとって言葉とは、自己解釈・インプットのためのツールでしかなかった。
しかし辞書制作部の温かい人々との出会いを通して、
積極的に他者との交流・アウトプットのために言葉を使うように変化した。
馬締の才能を引き出しながら、馬締に心地よい変化をもたらすことのできるあのチームは、最高のメンバーだ。
人にはそれぞれ適材適所がある。
他者の得意・不得意を理解し、自分の得意・不得意を認めること。
互いの得意なことを尊重し合い、不得意な部分を補い合うこと。
世の中の全ての人が素直にそうすることが出来れば。
人々はそれぞれ心地良く呼吸し、伸び伸びと内なる才能を発揮することが出来るのだろう。
紙辞書は重く分厚く持ち運びに適さず、時代の流れに伴い今後ますます衰退の一途を辿っていくだろう。
私自身、もう何年も紙辞書に触れていないことに気がつく。
スマートフォンで簡単に調べられるようになったこのご時世。
この作品を観た後も紙辞書を愛用することはないのだろう。
紙辞書がこの世からなくなったとしても正直困らない。
しかし鑑賞後、なんとなく本棚から辞書を探し、埃を払い、ひどく久しぶりに手に取ってみる。
ほんとだ。
紙が手に吸い付き軽やかにページをめくることが出来る。
そんなこと、今まで気にとめたこともなかった。
kossyさん
コメントありがとうございます!
たしかに私のレビューは、
映画の評論というよりは、エッセイっぽさも混ざっているかもしれません(^^)笑
純粋な評論が求められるこの場では、読み手によっては必要とされない文章かもしれません。
そして残念なことに、私はコラムニストでもエッセイニストでもないんです(^ ^)
むしろそういう自己表現できる仕事、憧れます!
もともとは画家になるのが夢だったのですが、
自分の才能は食べていけるほど大したものではないと気が付き、今は臨床研究に携わる仕事をしています。
本来の自分とは真逆の理系ですが、安定に逃げました。(^_^;)
そのため日々内なる自分を抑圧されています。笑
時間がある時は絵を描いたり、こういった場を借りて自己表現の真似っこをして発散させていただいています。
辞書のありがたみも感じる映画でしたが、shotamalさんのレビューも素敵です!
FMのジェットストリームのスクリプトのような温かさを感じます。
もしかしてプロのコラムニストさん?