ル・コルビュジエの家 : 映画評論・批評
2012年9月18日更新
2012年9月15日より新宿K's cinemaほかにてロードショー
まるでどこかの国の領土問題を見ているような、それぞれの「正義」の衝突
名建築家ル・コルビュジエがブエノスアイレス近郊の都市ラプラタに建てた住宅。この実在の邸宅を舞台に、乱暴で何を考えているのかわからない隣人に悩まされる家具デザイナーのお話。とても寓意的で、見ていると恐ろしくなる。しかしこの映画のテーマは「不気味な隣人」の恐怖を描くことではない。隣人の不気味さではなく、これほどまでに人は他者とわかりあえないのかというその関係性の絶望に震え上がるのだ。
主人公と隣の男の戦いは、まるでどこかの国の領土問題を見ているようだ。理解できない原理主義的な他者がやってきて主人公の国を監視し挑発し、衝突へと発展。やがて話し合いが始まり妥協しそうになるが、国内の強硬派(妻)の世論に押され、またも対立へと押しやられる。
邸宅はオープンで風通しが良い。だが開かれていることは他者からの侵入にも弱いことの裏返しでもある。そういう多文化主義や民主主義の脆弱さを、ル・コルビュジエの建築は象徴しているのだ。
隣人には隣人の正義がある。しかしその正義は主人公の正義とは異なる正義で、相容れないしそもそも理解さえできない。ラストシーンで、そういう他者の正義とは何だったのかを観客であるわれわれはまざまざと知る。しかしもはやその正義は当事者国にはまったく受け入れられない。
おそらく観客であるあなたは、知的な家具デザイナーの主人公に感情移入するだろう。しかしどこかの国の他者から見れば、日本人のあなたこそが実は「不気味な隣人」であるかもしれないのだ。そこに本作の隠れた恐ろしさがある。
排除か妥協か、それとも受け入れるのか。それはグローバリゼーションによって世界がフラット化し、さまざまな正義が衝突しつつある今、すべての国の人々に突きつけられた刃のようにも見える。
(佐々木俊尚)