「人生の終焉に対する決意」菖蒲 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)
人生の終焉に対する決意
『カティンの森』で巨匠健在を見せつけた、アンジェイ・ワイダの最新作。
たった2回だけの特別上映に駆け付ける。
個人的には高い評価を受けた『カティン…』だが、昔からのファンとしては納得のいかない内容だった。
だから不安を抱えての鑑賞でした。
映画は、いきなり物凄く長いワンシーンワンカットによる独白から、スタートする。カメラは一切動かずに、対象となる女優1人が画面を行ったり来たりする。およそ10分に及ぶ長廻しだ。
この時字幕で、「K・ヤンダ…」云々と表示された瞬間…気が付いた。
「クリスティナ・ヤンダだ!」
『大理石の男』と『鉄の男』でポーランドに、言わば革命をもたらした人と言って良いのかも知れない。
実に30年振りに彼女を観た。
当時と比べて体系は変わり。あの当時の人を射抜く様な鋭い目線は、歳を取った事で丸くなったのか、薄れていた。それでも眼を見れば彼女と解るのが懐かしい。
映画は、アンジェイ・ワイダの新作に出演する彼女と。彼女の私生活上に起こった出来事を、どこまでが映画で、どこからかが私生活なのか?が、終盤に至るまで読み切れ無い。極めて刺激的な内容になっていた。
それまで、若いイケメンに夢中になって行く彼女の姿を見たら、幾ら映画だからとは言え「おいおい!」と思ってしまう。
元々は「菖蒲」と言う、どこか死のイメージが付き纏う小説の映画化があり。そこにクリスティナ・ヤンダ本人による私生活での、夫との悲しい日々の回顧が重なり合っているらしい。
冒頭と中盤での彼女の長い独白は、夫に対する鎮魂歌であり。原作と彼女の私生活を綴った内容を伴う映画本編は、アンジェイ・ワイダが今後迎える人生の終盤に向けての、《死》に対して向き合う決意の一環の様な気がしてならない。
ところで映画本編でのクリスティナ・ヤンダとイケメン男子による、やり取りの若々しさは一体全体何だ!
この巨匠まだまだ全く枯れちゃ〜いない。
『カティン…』の時の、映像の覇気の無さは影を薄め、寧ろデビュー作の『世代』から『灰とダイヤモンド』の頃の、映像の若々しさを取り戻し。不思議なデカダンスをも醸し出していた中期の傑作群『すべて売り物』:『戦いのあとの風景』:『約束の土地』:『白樺の林』と言った作品に重なる、《死への誘い》へのアプローチも相変わらず続いている。
おそらく一般公開は難しいかも知れない。娯楽性とは全く無縁だし、※1 『カティン…』の様な歴史的な背景すら無い。
一見すると、どう見ても若いイケメンにとち狂った叔母さんの話にしか見えないのは、明らかに損をしている。
でも声を出して言いたい。これはアンジェイ・ワイダの作品歴の中でも、極めて重要な位置に在るかも知れないし、まだ完全には理解出来ていないのですが、傑作かも知れませんよ…と。
※1 その後岩波ホールで公開される
(2010年6月2日国立近代美術館フィルムセンター大ホール)