クラウド アトラスのレビュー・感想・評価
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普通
6つの時代を6つの物語で構成した映画で、時系列が行き来する。どうやら輪廻転生を描いているようで、お話どうしの密接な関連性はないようだった。
6つの話がどれも別に大した興奮も感動もない話で、けっこう退屈だった。意味合いを持たせようとしていて、それを読み取ってみろというような態度で、大して面白くもねえのに読み取りたくねえよと思った。
とはいえマトリックスの監督がこうして新機軸でみんなをびっくりさせようとあがいているような印象があり、そういった姿勢は感心した。
ホモの作曲家がおじいさんの師匠に曲の権利を取られそうになっているエピソードは強烈な欲が描かれていて一番面白かった。逆に一番つまらなかったのは、船のエピソードで、なんだそれと思った。
あと、ペ・ドゥナがかわいいおっぱいを見せてくれていてドキドキした。
この映画について改めて思う事があったのでレビューします
この映画はそれぞれ別々の時代で、国籍も性別も違う者たちが大きな問題に直面してもなお、生き抜こうとする姿を平行して描いています。それぞれの話が最後に繋がるのかな、と思っていたけど、最後まで平行して直接交わる事は無かったです。そこがこの映画の少し残念なポイントですね。バラエティに富んだ6つのストーリーが入れ替わり立ち替わり交差して進行するので、少し付いて行くのが大変ですけど、決して難解な話ではないです。むしろ、この映画のテーマを、主人公達がちょくちょく口に出しているので、分かりやすいくらいです。あと、6つものストーリーを見れるので、満足はするのですが、ひとつひとつのストーリー自体は大した出来ではないかな、と。それと、時間の関係かは分かりませんが、割と重要な部分を端折ってしまっているのでは?と思う場所がいくつか有りました。
観客を飽きさせないように、次々 とテンポ良く時代を変えて行く編集のおかげで、三時間もの間、全く退屈しなかったのはスゴいと思いました。また、音楽を使うタイミングもうまいと感じました。ただ、題名にもなっている「クラウド・アトラス六重奏」がほとんど劇中で出てこなかったのが気になりました。
あとこの映画はエログロが意外と多いので、注意しましょう。
(以下、ネタばれ あり 注意!!)
ユーイングが最後に、一滴から大海が生まれる、と言っていましたが、この映画はその最初の一滴を描いたものの様に思いました。六つそれぞれの物語の主人公は何か大きな事を成し遂げた訳ではありません。後世で神と崇められる事となるソンミ451 も、革命に失敗し、最後には処刑されてしまいます。彼らがそれぞれ成し遂げたことは、一見、大海には何の影響も及ばさないようなちっぽけなものに見えます。ですが、その六滴はやがて大海へと成る可能性を秘めているに違いないのです。
あ とはなんといっても「愛」が重要なキーワードとなってくるでしょう。同性愛や家族愛など、かたちこそ違うけれど、六つ全てのストーリーに「愛」が絡んできます。愛こそが全ての原動力になりうるということでしょう。
「 いま人生の謎が解けようとしている」とはこの映画のキャッチコピーとしてポスターに書かれている文言ですが、私はこの映画のテーマとあまり合ってないような気がしました。私がこの映画を見て感じたのは、「人生とは何か」といった謎解きではなく、「どう生きるのか」といったことだと思ったからです。(これは人によってまた違う考えを持っているとはおもうのですが)この映画の主人公たちは皆一様にさまざまな問題と直面しています。そして選択肢としてその問題を解決するにあたり、簡単なものが用意されています。(ユーイングなら、奴隷のオーティアを見捨てる、フロビシャーならクラウドアトラスを合作ということにする、ルイサ・レイなら原子力発電所にまつわる陰謀を探るのをやめる、といった具合に)しかし、彼らは自分の信念や、自分が正しい・善いと思ったことを信じて、わざわざ困難な道になるであろう方を選択します。そういった行動が一滴の水となり、やがて大海へと変わるのです。私はこの映画はどの時代、どんな状況下であろうとも困難に負けずに正しい道を選択することの尊さを説いているように感じます。
この映画は「輪廻」がテーマとなっているそうで、生まれ変わった姿を同じ役者さんが演じているという話ですが、私は生まれ変わりというよりも、ある人物と多かれ少なかれ血がつながっている人物を同じ役者さんが演じているのでは、と思いました。というのも、2012年に作家のダーモットがパーティー会場で見つめている女性はハルベリーが演じているのですが、同じくハルベリーの演じるルイサ・レイの時代(1973年)とほとんど時代が変わらないからです。ルイサ・レイがよほど早死にしたというので無い限り、パーティー会場の女性(彼女もそんなに若くは見えません)がルイサレイの生まれ変わりだとは考えられません。なので、私は彼女はルイサ・レイの相当遠く離れた親戚ではないかと思います。(ダーモットの前世はアイザック博士で、彼はルイサに恋をしていたから、ルイサと血のつながっているであろうパーティー会場の女性が目に留まったのだと推測します。)
この映画は人と人とが次の世界でも繋がっていく様子を描いています。ある人が行った善い行動が、次の世代の善い行いへと繋がっていく様がうっすらとですが、描かれているのです。演じている役者さんに注目することで、それがより分かりやすくなります。だからあえて監督も最後にスタッフロールで「ネタばらし」をしたのでしょう。
弁護士のユーイングは奴隷であるオーティアを見捨てずに水夫として雇うよう言い、彼が銃で殺されそうになる所を助けます。そしてユーイングは、後に、医者に殺されそうになるところをオーティアに助けられます。
オーティアの子孫は後にアメリカで兵士となり、朝鮮戦争である人物を迫撃砲から救います。そして、ルイサ・レイの父親となります。オーティアが救ったある人物こそ、ルイサ・レイをサポートすることになるボディーガード、ジョーです。ルイサ・レイは原発にまつわる陰謀を阻止することで、多くの人を救う事になります。
戻って1936年、フロビシャーはシックススミスの元を離れ、ヴィヴィアンの元で作曲活動を始めるものの、彼にクラウド・アトラスを奪われそうになり、発砲、殺人未遂を犯し、警察から逃れることとなります。彼は、シックススミスがそんな殺人犯である自分の元に来るだろう(実際、シックススミスはフロビシャーの元へ行った)と考え、愛する彼の人生を、殺人犯である自分をかばうことで破滅させてしまう訳にはいかないと考え、自殺をします。シックススミスは悲しみますが、彼の人生に汚点が付く事は有りませんでした。そんなシックススミスは年老いた後、ルイサ・レイに手を貸し、自らの命をフロビシャーと同じ方法で落としてしまうものの、原発事故を防ぎ、多くの人の命を救います。
一方、2012年の主人公は、ルイサ・レイの本を出版した人物、ティモシーです。ティモシーは老人ホームから脱出する際、仲間の老人を見捨てずに救い出します。そして後に、その老人の機転でピンチを脱出することになります。ティモシーのその出来事を書いた本は、そののち、映画化されることとなります。
その映画を見た人物は、ネオソウルのパパソングで働くクローンであるユナ939です。ソンミ451の友人である彼女を、断片的なその映画のセリフが奮い立たせました。彼女は自身の死によってソンミ451に「外の世界」の存在を知らせるきっかけとなる人物となります。ソンミ451はその後、革命家であるヘチュに救いだされ、クローン革命運動のシンボルとして、革命を率いて行きます。ちなみに、ソンミ451が処刑された後に革命が成功したであろう事が、ザックリーのパートで示唆されています。ソンミ451の像や彫刻が彼女が逮捕前に通信を行った天文台にあったことから、それは推測できます。(政府軍が天文台に突入した時には彼女の像はありませんでした)つまり、ソンミ451やヘチュの死後、革命の象徴であった彼女の像が、革命の転機となった通信天文台に造られたのでしょう。「もう信じている誰か」達の手によって。
そんな彼女を崇める人物が、文明崩壊後の世界にすむ、上にも出て来たザックリーです。ソンミへの信仰はザックリーを助ける事となります。そんなザックリーはメロニムに手を貸すことで、放射能に汚染されつつある地球から他の部族の人達を助け出すことになります。そして最終的には地球外の星への移住を成功させます。
映画的には、ここで一区切りとなります。困難であろうと、善い行いをすれば、より良い世界に繋がって行くのだと、そしてそこでまた人間達は愛を育む事が出来るのだという事が、この3時間の中で語られているのです。
壮大すぎる物語をどうまとめたのか
原作はかなり有名らしいが、私は手に取ったことが無い。この手の映画は原作が比重を占めることが多いが、これはあくまで映画のみのレビューである。
さて初めこの映画の存在を聞いたときは正直不安だった。なにしろ6つの違う時代の話が交差するというのだから、複雑きわまりない。上手く処理しないと、観客が混乱して話についていけなくなることすらある。しかもそれぞれの話を成立させるためには時間も必要だ。逆に言うと、ほぼ3時間の上映時間の中、見ている側が飽きるようなことがあってはならない。非常に多大な努力が必要である。
しかし、それらの点ではこの映画は見事にクリアしていると言える。少なくとも私は3時間の間集中できたし、ストーリーも上手くまとめられていたから混乱もしなかった。
事実、脚本は良くできていると思う。「すべての罪が、あらゆる善意が、未来を作る」という輪廻転生的なテーマを描くために、必要最小限の情報だけをピックアップし、筋道立てて整理されている。ある時代に登場した人や物が別の時代をつなげるものとして再度現れるのは、なかなか上手い見せ方だ。テンポよく時代も切り替わるから、この映画に中だるみは存在しない。
しかしその「良い部分」がそのまま「悪い部分」になっているのも事実だ。まず、ピックアップされた情報があまりにも絞られているから、それぞれの時代が(当然だが)非常に薄っぺらい。それにあまりにもテンポが良すぎるせいで、ある時代の登場人物に感情移入し始めた所で、次の時代に移ってしまう。全体的なテーマは理解できても、個々の登場人物の存在が軽ければ何の意味も無い。
もちろん、それぞれの時代の出来にも違いがある。私のお気に入りは1936年、2012年、2144年だ。一番は1936年だが、この時代は並のSF映画とは思えないほど繊細だ。主人公のロバートはゲイであることを隠し、作曲に励むのだが、ベン・ウィショーはそんな彼に完璧になり切っている。自尊心が強く自分に才能があることを信じて疑わないが、恋人のことはひと時も忘れない。彼が自分のアイデンティティに苦しむ様子や恋人を思い焦がれる様子に人間味あり、登場人物の中でも最も共感できる存在だ。
2012年は他と比べてかなり軽いタッチで描かれている。意地悪な兄に騙されて虐待老人ホームにぶち込まれたカベンディッシュの逃亡劇が主軸なのだが、ジム・ブロードベントは自分の持ち味を良く生かしている。口が悪く、だらしない性格なのに、どこか憎めない。ほとんどの時代が重苦しいトーンだから、彼の存在は唯一と言っても良い心安らぐものである。
2144年は映画全体のテーマにも大きく関わってくる。ストーリー展開も他とは違い(厳密に言うと2321年も一緒だが)回想形式となっている。初めのうちソンミ451は外の世界を知らないが、同じくクローンのユナ939と映画を見たことで、次第に日々の生活に疑問を抱き始める。なぜ複製種は純血種(クローンでない人)に従事しなければならないのか、契約満了後はどうなるのか。こういった重苦しいテーマがSFらしい映像と共に語られていく。
その後ヘジュと出会ったことで、知識をつけたソンミは革命のシンボルとなる。しかし、できればこの心の移り変わりを丁寧に描いて欲しかった。というのも、あの衝撃を見せつけられて「反政府運動を展開せねば」となるソンミの気持ちは理解できるが、あれでは周りの革命家にまんまとのせられたように見えなくもない。ソンミがクローンとして植え付けられた意識ではなく、自らの意志で決断したことの描写が必要だったのでは。
そうは言うもののソンミ451を演じたペ・ドゥナは素晴らしい。彼女とヘジュの関係こそが「輪廻転生」に最も即しているし、何より“愛”のために革命に身を投じたという彼女の眼差しは、揺るがない決意で形作られている。
その他の時代も悪くはないが特筆すべき点も無い。1849年はそもそもストーリー的にも比重が置かれていない。1973年はその時代らしい社会問題を取り扱っているが、表面をサラッとなぞるだけで薄っぺらいのには変わりない。何より悪いのが主役のハル・ベリー。あまりにも70年代っぽくなくて、過剰な「ウーマン・リブ」的女性像が鼻につく。台詞をただ読んでいるかのようなシーンもあり、とてもオスカー女優とは思えない(ただ、後半に登場する逃亡劇は一応70年代アクションを意識していたが)。でも一番の問題は2321年。この時代が一番重要なはずなのに、真実を明かすまでのくだりが早すぎて何の感傷もない。トム・ハンクスも悪役を演じていた時代では(オーバーだが)良かったのに、この時代はただの一つの駒のように動いている(ハル・ベリーは言わずもがな)。彼の狂気の化身オールド・ジョージーもあまりにもステレオタイプな描写で煩わしい。
そして全編を通して問題となっているのが、特殊メイク。当然様々な人物を演じるためには必須となるが、そのほとんどは上手くいっていない。韓国人のペ・ドゥナが西欧人を演じ、ハル・ベリーがユダヤ人を演じる。申し訳ないが、あまりにも似合っていなくて不自然だ。だが最も酷いのは2144年のネオソウルの住民だろう。どいつもこいつも西欧人の考えるアジア人らしく「つり目で平たい顔」だ。はっきり言ってアジア人というより火星人に近い容貌なのだが。
それとは反対に大げさな特殊メイクでも上手くいっている人もいる。ベストは驚くことにヒューゴ・ウィーヴィングの女装だ。彼は2012年で老人を虐待する看護師を演じているのだが、これがなかなかゴツくて怖いのだ。普段とは違うコミカルな要素と彼の演技力が相まって、1973年で彼が演じるヒットマンの数倍良い。
こうして見ると、「輪廻転生」を表現するために無理に同じ役者を使わなくても良かったのではないだろうか。そもそも各時代の主人公には共通して「彗星型の痣」があるわけだし、各々のキャラクターの共通性もにおわせるだけで良かったのではと思う。
心に残るシーンはそれなりにあった。だが「クラウド・アトラス」という本の映画化としては、ベストな形とは言えない。むしろ壮大な物語をここまでまとめあげたことだけでも評価に値する。
(13年3月21日鑑賞)
男女を超えて。
最近、上映時間が長い映画が多くなった…なんて書いてたら、
またもや3時間弱のSF大作が公開されちゃった。原作モノだし、
製作が、監督が、あの方々なので^^;あーという感じもしますが。
テーマは輪廻転生? まったく意味が違うけど、
転生、という事実ではウォシャウスキーの兄→姉になったラナ、
これで姉弟コンビになったワケですが^^;そう考えると納得至極。
面白いことに今作の中でも俳優たちが見た目年齢性別を超えて(爆)
様々な時代の配役になりきっている。分かり辛いので(人によって)
エンディングの種明かし、まで楽しみに待ちましょう。
まぁハッキリ言って、いちばん面白いのもそこなんですけどね。
6つの話がほぼ同時進行、時代も性別も名前も性格も、そして誰?
というくらいに内容が、パッと見は分かり辛いんですが、
なにせ3時間も観ていると、段々と目が(そして脳が)慣れてきて…
あーこの人がこのヒトで、そんでこの話がこう繋がって、と結構
分かるようになってきます。ただ問題は、だからナニ?ってところ。
結局のところ、楽しい(場合によってムチャぶり)メイクや設定など
そういう映像美で飽きない分、物語としては今ひとつ面白くない、
一つの話が実を結ぶ話でもないので、盛り上がりに欠けるというか。
6つもあるけど、ウキウキするような楽しいパートはないのよねぇ。
暗いし、重いし、けっこう辛い。あ、それが人生ってことか。
とりあえず、すぐ分かる、誰でも分かる、トムにポイントを置いて
観ていたんだけど、この人もうメイクを超えて(爆)声で分かります。
エ?と思うような役もやってるんだけど、あははトムだ^^;ってすぐ
分かっちゃう。こういうキャラ持ってると、役得にならないかも。
あとは不自然なメイクをのぞけば、ヒューとかヒューゴあたりなど
へぇ~!って思う化け方してましたね。ハルもかなり超えてました。
俳優陣はメイクだけでなく、演技の方も上手いので、それはそれで
本当に楽しめる(だから3時間も観ていられるワケで)ので問題なし。
しかし今、映画サイトのキャスト欄を見ていて笑っちゃうのが、
こんなに長く配役名がズラズラと下まで並んでるの見たことない(爆)
いかに大変で、いかに楽しい役作りだったのかは想像できますね。
個人的には(自分が男になるとかは考えたくないけど)
輪廻転生を信じている方で、何か見た時のアレ?という既視感には
ひょっとして…なんてウキウキしちゃう方でして。まぁ最近では、
単に記憶違いだの、物忘れだの、そっちの方が多くを占めてますが。
もし自分が過去のどこかで、別人として生きているのを見ちゃったら
今との落差に(なかったりして)驚いたりするんだろうか…。でも案外、
同じような生き方を(価値観変わらなかったりして)してる可能性あるな^^;
考えるほど果てしなく、キリのない物語ではあるんだけど、
だから人間って面白い。の発想で観ることができれば楽しめる作品。
自分だけでなくあらゆる人間同士の繋がりが、
せめて希望へと導かれることを切に願ってしまう、そんなラストでした。
(この物語を3時間で描けるんなら、他作は全て90分でいけると思います)
何が言いたいのかさっぱり!
輪廻転生とか人とのつながりを映画化したというようなイメージで宣伝されていたように思い、おもしろそうだと見に行ったんですが・・・。
欧米人にはこの程度の感覚が精いっぱいだったんでしょうか。
がっかりです。
アジア人、黄色人種にある、自然に対する恐れや輪廻転生のために現在の人生を正しく生きるということは欧米にはないのでしょうか?
死ぬのは新しい扉を開くこととそれらしい言葉はありましたがそれが何ら広がっていません。
何が言いたいのかさっぱりわからない。
夫婦や友人との愛情は輪廻した後も生きていくとか、もっと広げていけば共感できたかもしれない。
唯一の神を信じる人種にこの手の話は通じないのでしょう。
宗教が駄目な映画を造ったのでしょう。
韓国が世界の中心でスラム街に住んでいるのが中国人っぽいのは韓国の出資でもあったのでしょうか?
酷い映画でした。
志の高さを評価したい
最近の大作SFやアクションは何せ志が低い。トータル・リコールのリメイクにしろ、トロン・レガシーにしろ、「あ、すげー、俺マトリックスみたいな絵が撮れたわ!」という声が監督から聞こえてきそうだ。映画ファンがyoutubeに自主映画をアップするようなノリで、大作映画の監督を恥ずかしげもなくしてしまうのは、プロとしてどうなんだ?と思う今日このごろ。
で、そのマトリックスを作った本人達のウォシャウスキー兄弟とラン・ローラ・ランの監督が久しぶりに撮ったSF。フォロワー達の映画とは対照的に、非常に志の高い映画となっている。
フォロワーが表層的なレベルでマトリックスをコピーしている間も、「マトリックス的表現」にとどまらずに、新しい表現を模索し続けているのがわかる作品になっているからだ。今回の場合、明らかにそれがはっきりしているのは、物語の構成だろう。
映画のストーリーは時代設定が違う6つのエピソードなので、それぞれの時代の世界観の説明にはもちろん時間はかかる。でも、物語が同時並行で進んでもそんなに混乱がない。なぜなら、各メインキャラクターは、共通した葛藤を持っているから。
例えて言うならば、「穴に落ちてしまって追いつめられている、あるいは自分が穴の中にいることを知ってしまう(社会や既存の倫理観、物理的環境等、様々な事情による束縛)」から始まり、そして「どうやればその穴から抜け出るか試行錯誤する(束縛からの解放・自由を求める)」という物語運びになっている点で共通している。
そう考えれば、なぜ、各エピソードのキャラクターの抱えている問題が異なるにもかかわらず、それぞれの危機的状況や感情の流れがシンクロしていて、見ている側が混乱しないかがわかってくる。基本的に全ての物語が同じ方向性を持っているのだ。
「自分が穴にいる事に気づく」→「穴から出ようとする」。考えてみれば、「マトリックス」という映画もこの構成に見事に当てはまる映画だったと言える。そういう点では、ウォシャウスキー兄弟はブレていない。ちゃんと自分たちの語りたいテーマを語れている。「カンフーでスローモーションでアクション映画を撮りたい」とか言って表層的な部分だけで、「マトリックス」という映画が構成されているわけではないのだ。
ちなみに、映画の特色である、多くの登場人物が異なる場所で物語を進めながら、実はつながっているという構成、これ自体は「クラッシュ」や「バベル」等、近年よくある。だが、先に上げたその「クラッシュ」や「バベル」、実は「人と人とがつながっている」必然性が薄くないだろうか?
すごーく大雑把に言うと、それらの映画は「出会った人それぞれに、それぞれの人生の物語がある。みんな違う孤独や痛み・差別・偏見を抱えている。そんな孤独な魂達が人生のある一時だけ交差する。」そういう物語だ。でも、それって結局、「みんなつらいよねー。」しか言ってなくね?そんなとこでつながっても・・。
ひょっとしたら上記の二作はむしろ「魂の孤独」を強調したかったのだろうか?「人って結局周りに人がたくさんいても一人。差別とか悩みなんて人それぞれ立場違うし。寂しいよねー。」みたいな。だったらなおさら、そんな事最初から言われんくても、わかっとるわ、っていう感じだが・・。
いずれにしても、それらの作品と比べるとクラウド・アトラスにはもっと肯定的なメッセージがある。もっと人と人がつながる必然性のある物語になっている。その鍵になるのが、人が表現すること・芸術を生み出す事への希望だ。
映画の中では、クラウドアトラスという楽曲が、ある人の日記や手紙、小説や映画そして言葉が、本人が亡くなっても残り、他の人の心を動かし、人生を変えていく。人々が残していった様々な表現を介して、人と人が時代や場所を超えて繋がっていく。その大きな流れこそ、別の形での輪廻転生であり、「なぜ人は芸術を作るのか」という事への解答になりえている。(逆に言うと、そこで十分に感動的なので、デジャヴュ等、宗教的な意味での輪廻転生を思わせる内容はもう少し抑えても良かったかもしれない。ウォシャウスキー兄弟は禅や仏教にも関心があるようだが、逆にアジア人の自分からすると、いかにも西洋人のニューエイジ的な東洋の神秘性に対する過度の憧れの様なものを感じ取って冷めてしまう。)
この映画の欠点を述べるなら、(アメリカではもっとセンシティブな問題のはずの)人種の描き方だ。輪廻転生の話だから、もちろんさまざまな時代で違う人種に同じ人の魂が移っていくというのはわかる。でも、特殊メイクで白人が黄色人種をやるのはともかく、その描き方・・。黄色人種=全員一重まぶたってどうよ?あれは未来のエピソードだから、もしかして、黄色人種じゃなくてミュータントか何かなのか?黒人の役者は黒人のまま一重だったし・・。まあ、じゃあ仮にそうだとして、19世紀のエピソードの、ペ・ドゥナの白人はどうなのよ?まさかの「鼻を高くして、そばかすメイクしてカラコンつければ白人じゃね?」って、吉本のコントか!骨格の違いとかなんで考慮しないの?意図的なのか意図的じゃないのかはっきりしてほしい・・。今のCGのレベルなら、「ベンジャミンバトン」みたいに特殊メイク+CGとかも出来ると思うんですが・・。顔が気になってストーリーの邪魔になってるレベルなんですけど・・。この点に関してはウォシャウスキー兄弟の意図を知りたいものだ。
というわけで、クラウドアトラスは決して全てが成功している作品ではないかもしれないが、十分に魅力的な作品だ。音楽がキーな作品なので、近年のSFとは違う趣のサントラも好感が持てるし、(最近のSFとかアクションってダブ・ステップが使われているか、「ヴォーン」ていう重低音でノーランの「インセプション」か「バットマン」のまねをするのが多すぎ・・。)ネオ・ソウルの都市や各キャラクターのコスチューム等のデザインの作りこみ、キャラクターを誘惑する悪魔の造形等、ちりばめられたたくさんの要素の一つずつにこだわりを見る事が出来る。先に挙げた、特殊メイクの問題さえ、好意的に捉えれば、チャレンジした試行錯誤の跡だとも受け止められる。
どうせ映画を作るなら、この映画のテーマとも重なるけど、ずっと人々に語り継がれていくような物を作りたい。この映画がそうなれるかはわからないが、少なくともそういう志を感じさせてくれる映画だと思う。
目的が良くわからない映画
何か目的がある映画ではない。
ただ単純に色んな時代を平行して流す映画。
色んな人が輪廻していて、
何時の時代も魂は絡まりあっていることを表現する為に
同じキャストを色々なパターンで演じさせている。
もしかしたらメッセージ性の強い映画なのかもしれないが、
色んな時代を平行して観せる割には
1つに纏まらない形で終わるので
伝えたいものが何なのか良くわからない作品だった
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