「ありがとう映画化」レ・ミゼラブル(2012) ミントユさんの映画レビュー(感想・評価)
ありがとう映画化
このふた月間に帝国劇場で4回(まだあと2回観る)。6月21日の解禁と同時にBD2泊3日のレンタルで本編5回+特典2回観て後ろ髪曳かれつつ返却。
レミゼホリックな私の、
これは個人的な備忘録。
【冒頭】
囚人バルジャンに旗を持って来させてその怪力振りをジャベールが目撃する展開。
舞台にはないこのシーンは、その後に馬車を持ち上げる時の市長バルジャンをジャベが疑う自然な流れを作ってくれて拍手!
【工場】
ファンテーヌと女達のいざこざを放置して、その場を工場長に任せて居なくなる市長バルジャン。
舞台では、ジャベールが訪ねて来ておらず。なので何でファンテーヌを助けずにほったらかしで行っちゃうの?無関心で冷たい市長っていつも思ってた。
だから映画で上から覗くジャベールに気づいて、気もそぞろになり思わず立ち去るバルジャンは、なるほど、これなら納得!この時の後悔がコゼットを守り抜く思いへと繋がるんだと膝を打つ思い。
【夢やぶれて】
髪を刈られ、身を売ってから絶望のどん底で、吐き出すように歌うのが映画。
でも、舞台では工場をクビにされてからすぐ歌う。
落ちるとこまで落ちて絶望を歌う映画。
夢は輝いてたと振り返りつつも過去との決別を歌う舞台。
歌う順が変わり、ファンテーヌの境遇はより惨めさが際立った。
お話の運びは確かにこの方が良いのでしょう。
皆さんも泣くポイントでしょう。
でもね、夢やぶれては、あんなにも吐き出しすように歌って欲しくないの。という、ミュージカルファンとして敢えて舞台に軍配。
舞台の新演出では、ファンテーヌの歌い方がやや強くなった。
でもそれは絶望ではなく、どんな運命でも今、受け止めて生きてやる、という開き直った母の強さだと思う。
【ジャベールの背景】
映画で一番の収穫は、ジャベールが監獄で生まれたとはっきり歌った事。
もちろん、舞台でも同じ歌詞を歌っている。
ただその歌詞はバルジャンの違う歌詞と重なりハッキリとは聞き取れないのだ。
映画ではその大切な部分はジャベールが一人歌う。
これは本当に正しい。
ジャベールがなぜバルジャンに固執するのか。
ひとつ間違えば自分も囚人バルジャンだったのだ。でも自分は負けなかった。
だからこそバルジャンが許せない。我こそ正義。法こそ全て。
ジャベールの背景を知り、自殺する彼に寄り添える。
映画ではガブローシュの亡きがらに勲章を着けてやるジャベール。
偏執的な面が減り、より人間性が増した。
俄然ジャベールが好きになった。映画のおかげで舞台のジャベールの最期にも熱い思いを込めて観るようになった。
【マリウスとコゼットの恋】
アマンダのコゼットは舞台旧演出のフランス人形のようなキャラクターから、全身で喜びを表現してとても魅力的になった。マリウスがこんなにも夢中になるのももっともに思える。
だからエポニーヌとの三角関係がより切ない。
二人の逢瀬を手伝うエポニーヌの、彼に捧げる笑顔と悲しみが入り混じる表情は、さすがに25周年のレミゼラブル記念コンサートに呼ばれた舞台女優。
映画ではアン・ハサウェーが世間の高い評価を受けたけど、私は断然、エポニーヌを演じたサマンサ・バーンズを推す!
いつかイギリスのウエストエンドでレミゼラブルを観る時は必ず彼女で観たい!
だから「恵みの雨」が短くなったのは残念。
映画だと舞台の常識は通用しないのか。
冗長になるからとガブローシュのソロも短くティナルディエの下水道に至ってはバッサリ失くなった。
映画のリアル感には時々辟易。下水道は汚すぎてちょっと。宿屋もね。コミカルで笑えるシーンも汚すぎだと暗くなる。
【バリケードについて】
なんであんなにも小さいのか?舞台のものより小さい。実際、貧民街はあんな狭い通りしかなかったのだろう。
でもそこは映画的嘘をつくべき所でしょうが。舞台のような制約もなく作れるんだから。
映画ではアンジョルラスの輝きが減ったようで寂しいかった。あそこじゃアンジョルラスが死ねない。死に様は大切な見せ場だったのに。
新演出の舞台までもあのシーンが全面変更でもう唖然だった。
文句も言うけど、映画になってより解りやすくなった所あるよ、ありがとう。
そこは本筋じゃないけど大事な場面、でも変えたんだっていう所も。でも仕方ないんだ、たくさんの人に観て貰いたいから。
映画を入り口に舞台も観てほしいから。
よくぞ映画にしてくれました。ありがとう。
トム・フーパー監督はBDのコメンタリーの中で泣く泣く切ったと話していた。いつか切る前のディレクターズカット版の発売を熱烈待望!たとえ4時間超えてもいいね!って言うと約束します!