汚れなき祈り : 映画評論・批評
2013年3月21日更新
2013年3月16日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにてロードショー
語られないことの中にある真実の諸相を思わせる、遠くて近い世界の響き
2005年にルーマニアで起きた”悪魔祓い”の実話。それを三面記事的に料理するのではないけれど、今時!?と驚く妄信の儀式が案外、現実に成り立ち得る世界と映画/虚構のつかず離れずの距離感が「4か月、3週と2日」の監督クリスティアン・ムンジウの新作の醍醐味となっていく。
英題は“Beyond the Hills(丘を越えて)。再会した孤児院育ちの幼なじみアリーナとヴォイキツァが丘の向こうの修道院、後者が今、身を置く”別世界“へと歩を進める姿を周到にすべり出しに置く映画は、その周到さを見せず誇示せずあくまで見守る姿勢に徹してさらなる周到さを印象づける。修道院の柵に掲げられた看板の文字がふたりを迎える。異教徒は立ち入り禁止。神に帰依した親友(以上の関係があったことを映画はきっぱりと見せていく)を奪還すべく乗り込む戦士のようなアリーナの闘いの物語、あるいは神(の名の下に集う善意の愚かさ)との三角関係の物語としてもスリリングな映画は、丘の上の別世界とふもとの現世の近さをじわじわと明かしていく。
金の心配が院長と尼僧長との食卓での会話を支配する様。それはふもとの病院や役所、アリーナの里親の家で拾われる言葉が示す人の世の無関心や不寛容の罪と重ならずにはいない。そこにあるより深く大きな語るべき物語を長回しの話術が緊密に裏打ちする。繊細に構築された現実音、目覚まし時計の時の刻みや風の音、遠い雷鳴、とりわけ深夜、ヴォイキツァの耳に届いたはずの新雪を踏む愛しい人の足音が、沈黙のざわめきを豊かに紡ぐ。語られないことの中にある真実の諸相を思わせる、遠くて近い世界の響きが他人事でなく迫ってくる。
(川口敦子)