「単なるTVの拡大再生産」映画 妖怪人間ベム tochiroさんの映画レビュー(感想・評価)
単なるTVの拡大再生産
TV版が非常によくできていたので、この映画化の話を知った時は「TV版で描いたものをどこまでスケールアップしてくれるのか」と楽しみにしていた。
TV作品を映画化する意味(意義)は何なのか。私は「TVより更にスケールアップした舞台で主人公を活躍させる」か「TVの制約を離れてより深く自由に描写する」だと思っている。しかしこの作品は最初に(ベム達が意図したものではないが)TVと同じ舞台(町)に戻ってきてしまい、TVと同じ設定の各キャラが登場する。言わば最初から「安全な土俵」でしか勝負しようとしていない。
出演者の真摯な姿勢は感じられるし、作品のテーマも単独で見れば決して悪くはない。しかしこの作品で声高に言われている「人間の醜さ」も「善なる心を持ちながらその容姿の醜さゆえに迫害される者の苦悩」も「自らを迫害する人間を憎みながらも、その人間になりたいというジレンマ」も散々TVで描かれ尽くしているもので、二番煎じとしか感じられず、何ら映画化することの意味(意義)を示すものになり得ていない。少なくともこの部分は映画でなければ描き得なかったと思わせるところはなかった。
またTVではそれほど気にならなかったベム達のメイク(マスク?)も、劇場の大スクリーンで見ると中途半端で生物感に欠け、やや興醒めだった。
私がもっとも不満に思うのは最後の戦いのシーンだ。製鉄所か、鋳物工場かは知らないが、溶鉱炉があり稼働しているというのに従業員の姿はなく、部外者が好きなように暴れまくり、挙句の果ては工場を破壊してしまうという無茶苦茶さ。おまけに銑鉄が小百合とみちるに向かって流れてくるのに何の被害も与えずいつの間にか消えているといういい加減さ。工場勤務を経験した者として、「少しは現実的な描写をしろ!」と言いたくなる。製作者が「ターミネーター2」を参考にしたのかどうかは知らないが、小百合が「ビオランテ」もどきになって暴れまくるのであれば、もっと納得のいく場を設定して欲しかった。
結果としてこの作品はTV版と比べて内容的に何も進化していない、単なる拡大再生産に止まっていると言える。本来TVスペシャル版として放映されるレベルの作品だ。