未知との遭遇 ファイナル・カット版のレビュー・感想・評価
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WE ARE NOT ALONE. 光と音のファンタジー!
「無知との遭遇」なんてのを見たら、俄然、本家を観たくなっての再見です。
今見ても全然色褪せてない。とても50年近く前の作品とは思えない。
ただ当時としては、かなり画期的だったであろう巨大UFOも、迫力では「インデペンデンス・デイ」のそれには、敵わないかな。 とは言うものの、この光り輝くUFOも満更じゃありません。さすが、スピルバーグって感じです。
当時は、この友好的な宇宙人の話が実話で、みんなにショックを与えないよう、映画を公開してから発表なんて噂もあったけど、UFOの存在自体が、昔から何の進歩もなくて残念です。
今回、DVDでの観賞ですが、ファイナルカット版と言うことで、公開時のものとは、ちょっと異なります。ただラストは、最初の公開版と同じなので良かったです。 自分は特別編のUFOの中を映すシーンが大っ嫌いです。
「未知との遭遇」に納得出来なかったスピルバーグ監督が、特別編として作り直すために、UFOの内装が必要だったみたいだけど、興ざめした想いがあります。
さて、今回、改めて見直して、思ったことがあるのですが、この作品の宇宙人って本当に友好的?単純に人さらいのような気がするんだけど。 無事に返せばそれで良いってのも、ちょっと違うような。
そして、主役のロイは、本当にこれで良かったの?
UFOに取り憑かれたようにおかしくなって、奇行を繰り返す。挙げ句の果てに家族から見放され、宇宙人と共に旅立つことになってしまった。
なんか、不憫で仕方ない。残された家族はどうなっちゃうの?
やっぱり自らが家庭を築いた今、改めて見直すと見るところも変わってくるのかな。
この作品については、予告編も大好きです。まっすぐな道を光に向かって進んでいく映像。第一種接近遭遇・・・と、ナレーションが説明していくのが良かったです。
最後は、音楽について。
ジョン・ウィリアムズ、やっぱり良いですね。ホンっと感動的な音楽で最高です!
狂った親父のやばさよ!
窓から土をスコップでブチ込む事が、こんなに人間の狂気を表現するとは思わなかった!
そりゃ子供も泣くし、女房は逃げるわ。
親父が土で例の山?を作ってからはスピルバーグらしい怒涛の展開でグイグイ引っ張っていくのだが。
宇宙人と交信したり、ラストで主人公が宇宙に出発するシーンは、謎のカタルシスと( ;∀;)イイハナシダナー感がある、、、、が、彼は家族平気で捨ててるよね。冷静に考えると中々狂気を含んだ最後。
家族を捨てて呆気なく宇宙に
冒頭でTBFアヴェンジャーが登場し、エンジン蒸して飛行してるのにも度胆を抜かれた!
純粋さは狂気
この映画は最後までどうなるかが分からない、正に予測不可能なSFである。その長所を形作ったのはこの作品が登場する以前のSF作品、『宇宙戦争』や『地球の静止する日』のように最後まで宇宙人の正体がはっきりせず、また地球人にとって善か悪かが分からない、鑑賞者に緊張感を与えるような構成であろう。
しかしこの映画が印象深いのはどこまでも主人公が純粋なことである。私はこの作品を学生の時に見たのだが、恐らく幼少期に見た場合とでは感想は違ってくるだろう。何故ならヤングアダルトを含むある程度現実を知った大人たちには主人公の純粋さは狂気にしか見えないからである。
例えば宇宙人が発するメッセージにインスピレーションを受けた主人公は無我夢中で受けたメッセージを形にしようとし、家の中でそのイメージの模型を作ろうとする、そのために材料を得るため家の周りに植えている木を抜き、更には他人の家の金網を奪う、啞然とする住人に対し、主人公は「私は正気です。」と平然と言い放つ。これが狂気以外のなんであろうか。この主人公の好意を素直に手伝おうとしているのは純粋さを持つ子供だけである。結局妻には逃げられ、近所の人からは白い目で見られる。余りの純粋さは狂気として写る現実を示した場面であろう。
だが結局は主人公は正しく宇宙人と対面することが叶う、この妄想に囚われ正気を失ったように見える主人公の認識が正しかったという展開は『ローズマリーの赤ちゃん』と同様である。しかし主人公は幸福のまま映画は幕を閉じるが、家族はどうだろうか?宇宙人の存在は政府によって隠蔽されるかもしれない、そうすれば残された家族には主人公はただ正気を失い姿を消した夫、もしくは父となるだろう。仮に宇宙人が主人公を招き連れていったと認めても家族を捨て、未知なる世界を選んだという事実は消えない。純粋さはスクリーン上のみに成立するものであり、結局独善的なものである善意は大人になる過程で捨てなければならないものである。そう純粋さを否定しない映画から逆説的に捉えてしまう私は主人公を白い目でみる虚しい大人なのだろうか?
当時のスピルバーグが自身の映画との向き合い方を示している作品だと思う
この映画を見て当時のスピルバーグにとって、
未知(宇宙人)≒衝動を駆られるモノ、情熱が湧き出るもの≒映画
だと思った。
「未知との遭遇」で宇宙人に魅入られたリチャード・ドレイファスは映画監督の才能があったスピルバーグ自身なのだ。つまり、その追求の為ならば家族を捨てても構わない。
なんというか視聴した後良かったねって素直に思えない。なぜなら主人公家族は離散してるから。父が自分の衝動に生きるために嫁と子供を捨てたのだ。
また、この映画はスピルバーグの心象風景が端々に入っている。スピルバーグは夫婦喧嘩の絶えない家庭で育ったそう。リチャードドレイファスと嫁さんの喧嘩のシーンはとても辛い。その辛さは夫婦喧嘩を第三者・子供の目線から撮っているからでは無いかと思う。
リチャード・ドレイファスは宇宙人に出会う前、初めて登場した時からろくな父親では無い。子供の質問にまともに答えず嫌がらせで返し、約束も平気で反故にする。嫁さんも素直な良い人なのに邪険に扱う。リチャード・ドレイファスは最初から家族を大切に扱っていなかった。そんな男が宇宙人に魅入られたことで完全に家族を切る選択に突き進む話だと思った。
またデビルスタワーの近隣から住民を避難させる列車の様子などどうもホロコーストを思い起こさせる。
ただ、やっぱり才能は確か。初めてリチャードドレイファスが宇宙人と接触する場面。後方から抜き去る車の動きをヘッドライトの動きで示すシーンを入れた後、2台目の車のヘッドライトが宙に浮かび、観客にアレっと思わせる。
またジョーズでも健在だがレーダー室の場面や子供のアブダクションの場面など見せないで感じさせるのがまー上手い。そしてアブダクションされた子供が戻るか戻らないかで観客の心にどこかソワソワを残しておく。すると話が引き締まって観客が話に飽きずについて来てくれる。
当時のスピルバーグはまだ若く、結婚してしていなかったのか。若者が自分の才覚に生きる格好良さみたいなものを追い求めているように映った。
おそらくスピルバーグも結婚して子供が出来たから認識が変わったのだろう。ジュラシックパークのような映画が撮れたのだと思う。
40年ぶりの接近遭遇
約40年ぶりの再見。もちろんDVDも出ているけど、あの満艦飾のシャンデリア登場シーンの感動を味わうには、やはり大画面でないと。リチャード・ドレイファスが築山造りに熱中するあたりはやや中だるみの感があるが、ド派手なクライマックスのおかげでおおむね帳消しに。
考えてみれば、「激突」の原題は「決闘」だし、「ジョーズ」は「顎」だし、本作も「第三種接近遭遇」だ。外国映画の題名はそっけないのが多い。本国ではその題名で観客が足を運んでいるんだからね…。
素晴らしき未知との遭遇。
映画館で見るのは三十何年ぶりになります。
やっぱり映画は映画館で見なくっちゃね
自分の理解を超える体験をしたことはあっただろうか
昨日の夕方、私はとある山の頂上まで行ける車道を走っていました
さながら映画「ミスト」のようにとても濃い霧に包まれ視界は1メートルもなくなりUターンも恐々としてやっとの思いで降りてたのは想像以上の体験でしたね〜〜
恐いことは恐いのですがその反面でどこかウキウキしていたことも確かです、私はきっと主人公ロイ側の人間ではないだろうか!
毎日安定した生活よりもたまにある刺激的な何かがあるほうがはるかに人生を彩ってくれるような気がしてなりません。
それには普段の何もない生活が何よりも大切だと思いますよ。
でも、ロイのような経験をしてしまったら現実の普通の生活に戻るにはかなりの努力が必要になるでしょうね。
それにしてもよく考えられた邦題だな
眠かった
前から大して面白くないと思っていたのだけど改めて見て、ぼんやりしたストーリーでやっぱり退屈でウトウトした。『張り込み』でめちゃくちゃ魅力的だったリチャード・ドレイファスが全く魅力がなかった。
このバージョンで、初めて手足の長い宇宙人を見たのだけど、しょぼかった。宇宙船も町工場みたいであんまりじっくり見ない方がよかった。
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