「無垢でいられなくなるとき。」春の目ざめ(1947) 文字読みさんの映画レビュー(感想・評価)
無垢でいられなくなるとき。
1947年。成瀬巳喜男監督。高等女学校に通う主人公は厳しめの両親のもとでのびのびと育っているが、仲のいい友達の兄たち(高校生)とグループとしてよく遊ぶようになって、無垢な少女だった主人公は次第に異性を意識していく。性教育を受けていない思春期の主人公が性や妊娠の仕組みがわからずに悩むのが大きなテーマだが、時代の転換期に性をどう扱うべきかということを、主人公グループの周囲の大人たちの考え方の違い(古い道徳的な考え方の主人公の親、知的でオープンな考え方の医者、あけっぴろげの料亭の女将)として示している。
グループのキャラも明確で、無垢な世界から離れつつある主人公を中心に、同じく煩悶し始める小説を書く高校生、死に哲学的な興味を持つ料亭の息子、その息子と話が合う大人びた女学生、料亭の息子の妹で天然の娘、苦学して絵描きになろうとする男。無垢でまじめな若者たちが思春期を生きる姿が初々しい。
成瀬映画では人物が窓際に立つことに意味があるという批評があるが、そう考えてみると、たしかに、人物があけっぴろげだったり閉め切ったりする窓際に立つ時、流れている情感はびしびしと伝わってくる。今作の場合は「寝転がること」もまた別のポイントになっている。高校生たちはことあるごとに寝転がり、煩悶したり歌を歌ったりする。そしてそれは女学生たちにも伝染していく。
久我美子が走ること、その久我美子の父親役が溝口健二監督「近松物語」の「院の経師以三」である石黒達也であることが声でわかること、並んで歩く場面で人物が振り返ること、など見どころ満載。
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