炎上

劇場公開日:

解説

三島由紀夫の「金閣寺」の映画化で、驟閣という美に憑かれた男を描く異色作。脚色は和田夏十と「四季の愛欲」の長谷部慶次が共同であたり、監督は「穴」の市川崑、撮影は「赤胴鈴之助 三つ目の鳥人」の宮川一夫が担当。「人肌孔雀」の市川雷蔵が現代劇初出演するほか、「大番 (完結篇)」の仲代達矢、「若い獣」の新珠三千代、「大阪の女」の中村鴈治郎、それに浦路洋子・中村玉緒・北林谷栄・信欣三などが出演している。

1958年製作/99分/日本
原題または英題:Conflagration/The Flame of Torment
配給:大映
劇場公開日:1958年8月19日

あらすじ

溝口吾市は、父の遺書を携えて京都の驟閣寺を訪れた。昭和十九年の春のことである。彼は父から口癖のように、この世で最も美しいものは驟閣であると教えこまれ、驟閣に信仰に近いまでの憧憬の念を抱いていた。父の親友でこの寺の住職・田山道詮老師の好意で徒弟として住むことになった。昭和二十二年、戦争の悪夢から覚めた驟閣には、進駐軍の将兵を始め観光客が押しよせた。静かな信仰の場から、単なる観光地になり下ってしまったのだ。ある日米兵と訪れ戯れる女を、溝口は驟閣の美を汚す者として引ずりおろした。二十五年、溝口は古谷大学に通うようになり、そこで内翻足を誇示して超然としている戸苅を知った。彼は、驟閣の美を批判し老師の私生活を暴露した。溝口の母あきは、生活苦から驟閣寺に住みこむことになった。溝口は反対した。父が療養中、母は姦通したことがあるからだ。この汚れた母を、美しい驟閣に近づけることは彼には到底出来なかったのである。口論の挙句、街にさまよい出た溝口は、芸妓を伴った老師に出会った。戸苅の言ったことは、真実であった。彼は小刀とカルモチンを買い、戸苅から金を借りて旅に出た。故郷成生岬の断崖に立ち荒波を見つめる溝口の瞼には、妻に裏切られ淋しく死んでいった父のダビの青白い炎が浮んだ--。挙動不審のため警察に保護され、連れ戻された溝口を迎えた、母と老師の態度は冷かった。彼は、自分に残されているのは、ただ一つのことをすることだけだと思った。溝口はふるえる手で、三たびマッチをすった。白煙がたちのぼり、その中から赤い透明の焔が吹き上った。美しくそそり立つ驟閣が、夜空をこがして炎上する。その美しさに溝口は恍惚とした。--国宝放火犯人として検挙された溝口は、頑として尋問に答えなかった。実施検証で焼跡を訪れた。が、そこに見出したのは無惨な焼跡だけだった。汽車に乗せられた溝口は、便所へ立った、少しの油断を見て、彼は自らの体を車外へ投げ出した--。

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映画レビュー

4.0三島文学から独立した市川崑監督独自の映画美学がある傑作

2025年4月28日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

難しい

斬新

三島由紀夫31歳の時の日本文学の名作と謂われる『金閣寺』を原作とする市川崑監督の文芸作品。有名小説の映画化では日本映画の中で特筆に値する評判は知っていたものの(淀川長治さんの1958年の日本映画ベストワン)、この年になって漸く鑑賞の機会を得ました。市川作品は、「ビルマの竪琴」(56年)「鍵」(59年)「おとうと」(60年)「私は二歳」(62年)「股旅」(73年)「犬神家の一族」(76年)「映画女優」(87年)しか観ておらず、それでも日本映画のなかで市川監督のモダン的で洗練された演出タッチは独特の個性を持っている印象を持ちました。特に「私は二歳」の垢ぬけた演出に驚き、「股旅」にも市川監督独自の粋な才気がありました。流石に晩年の「映画女優」には衰えを感じて低評価してしまいましたが、「ビルマの竪琴」は感動した日本映画の一本です。そして今回の三島文学の作品には、簡潔にして要点を押さえまとめた脚本に感心し、撮影、音楽も素晴しく、そしてキャスティグの適正さと役者の演技のバランスの良さに驚いてしまい、この時代の日本映画の本領を痛感した次第です。

三島由紀夫の原作は、研ぎ澄まされた文章の美しさとその表現力に圧倒されて、幾つか書き写すくらい心酔したほどですが、この映画には名匠宮川一夫の崇高な映像美があります。陰翳の濃いモノクロ映像と絵画のような構図の見事さは、「羅生門」「雨月物語」と比べて見劣りがしません。この日本的映像美と時にスタイリッシュな構図を組み込むカメラアングルの斬新さ。追憶シーンでは背景を切り替えるモンタージュのスマートさもいい。観念的な文学の映像化は表面的なものに陥りやすいのを、この宮川一夫の撮影と実力ある役者の演技で克服している市川監督の演出力により、映画作品として独立しています。

主演は日本映画全盛期の大スターの一人ながら早逝された市川雷蔵(1931~1969年)で、初めて現代劇に挑戦した作品といいます。これ迄観た作品は「新・平家物語」(56年)「好色一代男」(61年)「剣鬼」(65年)「陸軍中野学校」(66年)のみで、代表作「眠狂四郎」シリーズを知りません。どれも魅力的な演技を遺していると思われますが、今回の溝口吾市役は、「陸軍中野学校」の冷静沈着な演技に匹敵するものを感じました。スター俳優が進んでやるような役柄ではないものに挑戦したことに収まらない、人物表現として優れた演技です。この市川雷蔵演じる溝口と同じような境遇の戸刈役仲代達矢の演技にも感心しました。舞台で鍛えた芝居の技巧、足が不自由な難役を自然に見せる身体の動きと流れるような台詞の上手さが素晴らしい。これによって市川雷蔵演じる溝口と対比される人物表現が、設定以上の深さを増しています。このキャスティングの相乗効果の素晴らしさに加えて、老師役中村鴈治郎の安定感と貫禄の演技にも感銘を受けました。溝口に期待しながら修行として距離を置く老師の内面を見事に表現していると思います。溝口の母役北林谷栄も適役以上の上手さがありました。自分の不貞を知られても我が子の出世を期待し親のエゴを押し付ける複雑な役を巧みに演じています。父承道の浜村純、福司の信欣三、友人鶴川の舟木洋一、典座の大崎四郎と、どれも役に嵌っています。なかでも脇役が主で唯一「帝銀事件」(64年)が主演だった信欣三が個性的で渋く、地味ながら存在感がありました。女優では28歳の新珠三千代の品のある美しさ、五番町の遊女役の中村玉緒19歳の初々しさと可愛らしさが、共に好印象で作品内容に合っていました。兎に角、このようにキャスティングが的確で、役者の演技も高いレベルでまとまっていて非の打ち所がないのは、日本映画では珍しい。
原作が名作だと映画として不足があるものですが、これは市川映画として独自の世界観を構築した日本映画史に遺る傑作と言っていいと思います。宮川一夫の映像美と役者の演技を味わうべき映画でした。

〔金閣寺は50年前に一度だけ高校の修学旅行で観たことがあります。しかし、黄金に輝く美しさに見惚れた記憶がありません。印象としては、清水寺と二条城が古都京都らしいと思ったくらいで、会社員時代大阪に3年配属されていた頃(阪神淡路大震災のとき)も再び金閣寺を訪ねることはありませんでした。主人公溝口が絶対的美として思い込んだ、または思い込まされていたことに共鳴することはありません。この絶対的美として17歳の私が衝撃を受けたのが、唯一西芳寺(苔寺)でした。枯山水の古色蒼然とした静寂の佇まいに日本的な侘び寂びの美しさを感じて圧倒されたことが今でも想い出されます。放火される1950年以前の金閣寺には、再建されたものと違う美しさがあったと想像します]

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Gustav

4.0観て 読んで 観る

2025年4月21日
PCから投稿

天才三島の代表作ですが、そもそも原作の心理描写が難解なので映像化が限定的になるのは仕方がないです。いきなり読むとよほど頭のいい人以外はよくわからないハズなので、予習として観て筋を掴んだら読んで、もう一度観ると小説の、映画の素晴らしさが理解できます。二度見は邪道ですが、この作品には許されます。

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越後屋

4.0知っても分からなければ知らぬと一緒

2025年4月20日
iPhoneアプリから投稿

意地は強いが皮が弱い主人公を市川雷蔵が演じる。碇シンジか?ファザコンにマザコン、挙げ句に恩人にもコンプレックスをぶちまける。まるで仏の手の中に在る孫悟空のようでもある。周囲を蔑み、心の中にありもしない美しさを宿し、そこに縋る。
罪はしっかりと意識した上で、自らを含めて罪深い存在でしかないと悟る中村鴈治郎の大きな。柔和な娘玉緒。悪友仲代も切れた演技を見せる。
タイトルが実に良い。モノクロに寺の図面とフォントのみ、念仏のような黛敏郎音楽が舞台へと誘う。全編通じて音楽は斬新で現代的でもある。

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Kj

3.0

2025年4月18日
iPhoneアプリから投稿
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りか