「俺の心は汚い!」無法松の一生(1958) kossyさんの映画レビュー(感想・評価)
俺の心は汚い!
監督自身によるセルフリメイク。その旧作は後に観たのですが、TVの映画解説で何度も語られているので、本作はとても見やすかった。セルフリメイクした理由というのも、戦時中に検閲によって大幅にカットされてしまったことからだ。どこがカットされていた部分なのかと考えながら観ても、さっぱりわからんぞ・・・それもそのはず、未亡人に告白するシーンは前作でカットされながらも逆に心情を読み解くということで人気が出たため、リメイクでも描かなかったのだろう。
芝居小屋では車夫ということでいったん入場を断られたことに腹を立て、二度目に入ったときには升席で鍋料理をはじめて、ニンニク臭を小屋中に匂わせた(笑)。観客はたまったものではないのだが、ケンカを収拾させたのがヤクザの親分・笠智衆だ。そんなエピソードの後、吉岡一家との出会いがある。
吉岡小太郎の妻良子(高峰)に一目会ったときから恋心を抱く松五郎。しかし、そんな台詞も映像もさっぱり描かれていないのに、彼の心情がとてもよくわかる。小太郎が生きてさえいれば、心も変わることなかったのに、未亡人となった母と敏雄に一生懸命尽くす松。「俺の心は汚い」という言葉の発端は小太郎の死から始まっていたのかもしれない・・・
敏雄が成長し、熊本の大学に行ってしまった。この頃は軍国主義が闊歩していて、映像にもその名残が多く見られる。父親が酒のために死んでしまったことにより自らも酒を断っていた松五郎だったが、なぜか再び酒浸りになっていた。この気持ちの展開が描かれることはないが、敏雄が去った(とは言っても大学だから)のが原因か・・・それとも自ら死期を悟ったことが原因か。
大正3年、敏雄が帰省し、祭りでは松五郎が祇園太鼓を叩く。印象的な太鼓だったが、いつ練習していたんだ?!その後、花火を見ている良子のそばへ・・・感極まって、俺は汚い、二度と会うこともない・・・そして雪が積もる田舎道をフラフラと歩く松五郎。過去を思い出し、人力車の車輪が回る映像が映し出され、その車輪がピタリと止まる!止まった瞬間、泣けてくる。小学校も出ていない松五郎。倒れていたのは、その憧れの小学校の校庭だった・・・
身分違いの恋と言ってしまえば元も子もない。その根底には階級制度が根強い社会があるのだ。良子の言葉に、「あの人は運が悪く・・・」云々と、車引きがいかにも社会の底辺にあるような職業であるかのように語るシーンもあった。もうちょっとその社会派メッセージを訴えてくるようであれば、満点にしてもいい作品だ。