最後の突撃(1957)のレビュー・感想・評価
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敵ではなく味方に死を迫られる不条理をいかに見るや。。。
同名のイギリス映画(1944年)もあるが、ただの偶然の一致。本作は純然たるオリジナル国産映画だ(日活、1957年)。
成瀬大隊に起こった実話を忠実に再現した、「実録もの」の良作。
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『ゲゲゲの鬼太郎』で有名な漫画家・水木しげるは、まさに、この成瀬大隊に所属していた。
1973年に『総員玉砕せよ』というタイトルで作品に仕上げている。水木しげる本人は、玉砕攻撃当時、空襲で腕を失い入院中だった。
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『最後の突撃』というタイトルにもかかわらず、本作にはハデな戦闘シーンはもちろん、敵兵すら出てこない。
最後の突撃に至る過程を描いている。
目的は低予算化なのかもしれないが、結果的に、当時の帝国陸軍内の狂った常識が浮き彫りになる効果が出ている。
製作公開は昭和32年なので、製作者・演者の大半は軍隊経験者、戦中派であろう。軍人の所作はあくまで自然で気負いもない。
主役の松下参謀(少佐)に水島道太郎、
下山軍医(中尉)に大坂志郎、
その他、葉山良二、二谷英明、西村晃なども出演しているが、みな若いので見つける楽しみもある(笑)。
本作の舞台は、
米軍の「飛び石作戦」により、敵中に取り残されたラバウル基地(ニューブリテン島)。
「ズンゲン守備隊(ズンゲン支隊とも呼ばれる。成瀬隊長)」が編成され、ラバウル防衛の最前線に送られたが、敵(豪州)が上陸し戦闘が始まったと司令部に知らせが届く。
増援を要請する成瀬少佐だが、司令部は兵員不足を理由に取り合わない。守備隊はついに玉砕を決意、ラバウル司令部に訣別の電文が届く。
全滅と思われたが、一部の士官は別行動を取り、多くの将兵と共に生きのびて近くの友軍陣地(ヤンマー)にたどり着いたことが分かる。
司令部は「敵前逃亡だ!」と騒然となる。
生き残りがいることを喜ぶどころか、全滅しなかったことを責めているのだ。
ズンゲン守備隊は「玉砕」し、全員が「名誉の戦死」をしていなければならなかったからだ。
司令部の参謀たちの中に、自分たちの思考が狂っていることに気づいている者がいないのが怖い。
全滅を願う味方がいる軍が、勝てるわけはない。
その後、
どうしても全滅させたい司令部は、松下参謀を現地に派遣することにするが、その矢先、ズンゲン守備隊生き残りの一人、下山軍医が部隊の窮状を直訴するため本部に到着する。
対応した松下参謀に対して玉砕の無益さを述べるが、逆に叱責され、拳銃で自決する。
松下参謀はズンゲン守備隊の生き残りに合流し、士官だけに対して再度突撃するよう(あるいは、自決するよう)話をしていく。
自決はしない、銃殺してくれという二人の士官がいた。
「日本の勝利を祈ります」と言い遺す。
そしてラストシーン、
松下参謀は、自ら生き残り兵士たちの陣頭に立ち、『最後の突撃』に向かう。
この展開は、水木しげるのマンガ『総員玉砕せよ』とまったく同じだが、この2回目の玉砕攻撃だけは虚構で、実際は終戦まで戦闘には加わらずに済んだというのが史実。
本作にしても、水木しげるのマンガにしても、
この虚構は非常に効果的で(本作は部隊が出発するところで終わり、マンガは全滅まで描いている)、当時の軍人達、特に士官学校を卒業したエリート軍人のイカれっぷりが強調されている。
松下参謀は、歯車の一部にすぎない。
死を申し渡す以上は、自分も死ぬ、という考えだ。
松下参謀に同行した司令部要員たちは「そこまでする(陣頭に立って死にに行く)必要はない」と止めるが、松下参謀は出発する。
戦略的に意味のない2度目の玉砕攻撃は、死ぬこと自体を目的化した最悪な愚行だが、それこそが、当時のエリート日本軍人の美学なのだ。
集団催眠、または、同調圧力。
それしかない。
なんてアホらしい。心からそう思う。
二言目には、
「それでも男か」「それでも軍人か」
などと相手を詰っておいて、その人物が自決すると、
「潔く自決できるとは、惜しい男をなくした」
と嘆息する。
支離滅裂だ。
しかし、昔の軍人は、これを支離滅裂とは考えない。
本作に登場する軍人たちは、
昨今の映画に多い、ステレオタイプの帝国陸軍軍人(怒鳴り、喚き散らし、殴る)ではない。
だからこそ、如何に当時の日本人が常軌を逸していたかが分かる。
死と隣り合わせにいる人間たちの思考や行動、
組織(軍)のメンツが最優先である人間の思考や行動、
敵ではなく、味方に死を迫られる不条理。
令和を生きる若者たちは、この映画をどうみるだろうか。
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