早春(1956)のレビュー・感想・評価
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爽やかな不倫映画
不倫を題材にした小津安二郎としては異色作になっています。
ウィキペディアに『池部と岸にとっては唯一出演した小津作品であり、同じようなキャストを使い続けた小津にとっては異例であった。』とあり、積極的に路線・趣向を変えようとした感のある映画でした。
1956年製作の早春は東京物語(1953)の次にあたる映画ですが、その間の3年という開きは終戦から年1本のペースで映画を撮ってきた小津安二郎にとっては長いブランクだったそうです。
Early Springのwikipediaによると当時、大船調やホームドラマの人気が下落しており松竹が新機軸をもとめていたため、野田高梧と小津の脚本コンビは松竹と時代性に即していくつかの譲歩をした──とありました。
集大成といえる東京物語を作り上げたことで家族哀話が一段落したという監督自身の意中もあったのだと思います。
そこで当時のフレッシュな人気俳優を使った刺激的な不倫もの映画早春がつくられた──という感じだったのでしょう。ただし映画に刺激的なところはありません。不倫を扱ってはいますがヒューマニズムが横溢するいかにも小津印(じるし)な映画になっています。
ちなみに「大船調」とはネットの概説によると──
『松竹大船撮影所で作られた映画作品をしめすことば。暴力、裸などが描かれない、家族で楽しめる作品。多くほのぼのとした映画をしめす。』とのことでした。
蒲田に住む妻帯者の杉山(池部良)は都心の丸ビルにある東亜耐火煉瓦株式会社につとめています。会社でハイキングにでかけたとき、その大きな目から金魚とあだ名されている若い同僚(岸恵子)と急接近し、以後たびたび逢い引きするようになります。
杉山の妻、正子(淡島千景)は夫の異変に感づきますが、向き合うことができないままでいます。杉山の岡山への転勤を機に杉山と正子は夫婦として互いにやりなおそうと誓います。
不倫もの映画とはいえ杉山と金魚の交情描写はありません。接吻シーンでさえ横からではなく後ろからなので、どちらかの後頭部しか見えません。そもそも二人でいる描写自体がわずかなので、不倫の有無もあいまいであり、不倫よりも浮気と言ったほうが妥当なものです。
金魚は無邪気な幼い女で、じぶんが妻帯者と仲良くしていることに良心の呵責がありません。男の生態を観察しているような若い女っているでしょう。つきあうっていうより面白がっていて、こっちも愉しんで利用している──という状況が男にはあると思います。
むろんそんな関係は泡沫ですし遊びのつもりでしょうがパートナーが知ったら悲しむのは言うまでもありません。
しかし不倫は副次的なもので映画早春の主題はサラリーマン生活の閉塞感です。戦争で生き延びて、帰還し、日常生活に戻った人間、戻ろうとしている人間が撞着する悩み、あるいは戦争後遺症の話は内外問わず、しばしば映画になります。
杉山にも漠然とした不安があります。正子は気丈ですが、ふたりは子をつくったものの幼くして赤痢で失っています。その痛みに加えてサラリーマン生活は単調で、このままこうやって生きていていいのか、という憂慮が杉山にも正子にもあります。
そんなとき憂さを忘れてつきあえる金魚に接近してしまった──とはむろん男側の言い訳ですが、そういう流れをみてとることができます。
池部良は暗さをもった美男子です。ウィキによると1942年に召集され、46年復員するまでの間に、輸送船を撃沈されセレベス海を10時間泳いだり、ハルマヘラ島のジャングルをさまよったり、オーストラリア海軍艦長と交渉をまかされたこともあるそうです。戦争体験が俳優池部良に陰影と厚みを付け足しているように感じました。
映画には戦争が描かれていませんが戦争の影が色濃い映画です。
加東大介や三井弘次が演じている杉山の戦友は、生き延びるために必死だった戦場から、金稼ぎに必死にならなければならない平時に戻って、戦時を懐かしんでいるように見えます。平時の延命方法は、戦時の延命方法とちがって、ルーティン化された規則的なものです。高度成長期にあり、時代は激しい変化をとげています。かれらが抱えている将来への漠然とした不安が伝わってくることと、杉山の不貞が軽減されることは、無関係ではないと思いました。
ところで不倫について、人それぞれ違った見識があります。まず大前提として不倫とは当事者間の問題です。無関係な者がとやかく言うことではありません。
また、あまりこのようなことは言われませんが、芸能人の不倫についてけしからんと言う人は、おそらく恋多き人ではないでしょう。不倫・浮気はそもそもが魅力的な人のやることです。すなわち、わたしが不倫をしたことがないのは、とりもなおさずわたしに外見的魅力や甲斐性が無いからです。人様の不倫をどうこう言う前に不倫と無縁であるじぶんを顧みる必要があると思います。わたしは不倫を拒んだのではなく、できなかったのです。モテない。誰も寄ってこない。甘美な誘惑を知らない。そんな非モテの不倫未体験者が不倫をけしからんと言うのは惨めなことです。不倫をどう見るかそれぞれの勝手ですが個人的にはそんな風に思っています。
多目的トイレでコトにおよんだ芸人がいましたが男とはそういうものです。もしあなたが男で、かたわらに乗り気な女がいて、目の前に多目的トイレがあって、とくに誰かに見られる心配もなくて、それでもおれはそんなことはしないと言うのだったら、そりゃあたいしたものですが、ただしこの芸人は「男とはそんなもの」と知っているきれいな女と結婚する甲斐性をもっていました。雲泥の差だと思います。
話が逸れましたが早春は浮気をあつかってはいるものの、それは枝葉になっていて、最終的にはしっかり前を向いて生きようとする夫婦像をおしだして、正しい世道を説きます。同時に正子の母を演じた浦辺粂子に『女は三界に家無し』という台詞を言わせて、銃後女性の辛労にも配慮しています。
淡島千景は、いつも毅然としていて、さっさと家を出て行く鉄火なところもあるので、話の見た目はさっぱりしています。これを田中絹代が演じていたら、可哀想で仕方ない──ということになりますが、淡島千景なのでほとんど憐憫を感じません。さらに岸恵子が裏表のないお嬢様なので、まったく悪意を感じません。暗い池部良ですが、ふたりの明るい美人のおかげで、こんな爽やかな不倫映画があるんだろうか、というくらい爽やかな不倫映画になっていると思いました。
imdb7.7、RottenTomatoes100%と88%。
女は三界に家無しとは──
『《「三界」は仏語で、欲界・色界・無色界、すなわち全世界のこと》女は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がない。』
草食系かと思いきや、ちょっとだけ肉食の早春物語。 間違ってレンタル。
映画の始まりに流れるタイトルが佳いんですよねぇ、
麻布の紗に、白字の筆で、担当者と配役の役者の名前。
清廉な音楽が流れます。
「小津映画の世界」に、とっぷりと我らを誘ってくれます。
でも失敗!
初めて借りたDVDのつもりでしたが、見れば見るほど既視感が!😱
矢張り、すでに以前に借りたものでした。
またやっちゃいましたねー。
小津作品は、「題名」がどれもこれも似かよっていて“薄味”なんですから、ついつい、どの作品を観たのか忘れてしまうのです。どれもこれも同じ人が出ているし(笑)
それで、間違ってレンタルしてしまいました。
・・・・・・・・・・・・
でも平々凡々な庶民の暮らしや、サラリーマン稼業って、日々繰り返しの毎日で、こんなものなのかも知れません。
目覚ましで起きて、隣にはいつもの愛妻。
蚊取り線と蚊帳。
お向かいにはいつもの杉村春子がいて、あの声が聞こえる。
決まった電車で出社すると、上司は東野英治郎。
「きみ、電車一本早く出社するのもたまにはいいもんだね」。
「東京駅の利用者数は34万だそうだよ」。
駅に向かうサラリーマンたちは、草むらの空き地を抜けて、土の道を集まってくる。
こういう「昔の日本の光景」を見るのも乙なものです。
今や草むらも砂利道もありません。新宿の乗降者総数は、日に350万人だそうですから。
会社勤めをしながら家族を養い、
会社勤めに疲れて早春の誘惑に手を出す。
サラリーマンは今も昔も、あいも変わらずです。
勤め人、脱サラしたトリスバーのマスター、戦地帰りの先輩の不遇、左遷、倦怠期、エトセトラ。
戦後の庶民の新しい生活を小津は観察しています。
小津安二郎本人は、サラリーマンの経験はあったのだろうか? 浮気や不倫の経験は?
⇒ 彼は大店のボンボンで、学校に行かずに映画館に通い、代用教員を経て松竹に入ったようです。
生涯未婚でお母さんと暮らしたそうです。
故にか、
小津映画は全般にあっさりした作風で、どこか一歩引いていて、ドロドロにははまり込まないですよね。
ハッピーエンドっぽい小津の脚本なのですが、まさかあっけらかんと本気で、「淡島千景が夫婦関係を修復したのだ」と思っているのでは?と、僕は小津さんのお考えが心配になります。
小津作品に珍しい不倫物
昔この映画が長すぎるせいか観るのを挫折したのをおぼえております。
TVで観た感じではサラリーマンがバーで語らう場面が印象的でした。
その後ジワジワと見たいなぁという気持ちが
湧き上がり今回4Kレストア修復版を見る事ができました。とても良かったです。
不倫物なのに、あまりドロドロしてなく
終盤、蛍の光を合唱するシーンはホロッと
させられます。厚田雄春さんのカメラワークは素晴らしいです。昨日撮って焼いたんじゃないかという程、画がシャープでした。
岸惠子の美しさは言うまでもありません。
なぜか金魚と呼ばれている。
小津作品の中で一番好きな作品です。
池部良と淡島千景の二人が列車が来たと
見つめる表情が空虚なのは、
ミケランジェロ・アントニオーニの不条理に通じるものが、あるのかな・・・
敗戦後、女性は強くなり男性は社畜と化した。
画一化した画面に、
単一な日常が軽妙に展開され、
その不満や鬱屈が吹き溜まり、
時として人生の波乱の一つとして同化して行く。
それを俯瞰して見てみると、
人生は空ぞしくも在りながら凡庸と承知して行くことが敗戦直後からの教訓なのかも知れない。
( ̄∇ ̄)
通勤電車で顔なじみの丸の内勤めの男女が織りなす哀歓に満ちた人間模様。
一児を亡くしてから妻との関係に隙間風が吹く杉山(池辺良)とそんな彼を愛する現代娘(岸惠子)の不倫を主軸に、
戦後10年が過ぎたころのサラリーマンや若者の心情を、
小津安二郎監督は活写している。
( ^ω^ )
早春(1956)
劇場公開日:1956年1月29日 144分
「東京物語」のコンビ、野田高梧と小津安二郎が脚本を書き、
同じく小津安二郎が監督、
「水郷哀話 娘船頭さん」の厚田雄春が撮影を担当した。
主なる出演者は「乱菊物語」の池部良、
「チャッカリ夫人とウッカリ夫人 (夫婦御円満の巻)」の淡島千景、
「君美しく」の高橋貞二、
「白い橋」の岸恵子、
「若き潮」の笠智衆、田浦正巳、
「彼奴を逃すな」の宮口精二(文学座)、
随筆家の菅原通済など。
早春(1956)
劇場公開日:1956年1月29日 144分
シネ・ヌーヴォ(九条)
不倫からの再生
淡島さんの美しさ。所作を見ているだけでも一見の価値あり。
淡島千景さんは、手塚治さんがファンでリボンの騎士のモデルとした方と聞いていましたが、正直この映画を観るまでは、淡島さんの良さが良く分かっていませんでした。でもこの映画を視聴して、自分の見方を訂正。
なんという圧倒的な美しさ。
特に、杉村春子さん演じる田村タマ子とのおしゃべり等で、淡島さんの上半身、画面いっぱいに写るシーン。バルコニーか何かでの独白のよう。そこだけ、額に入っているよう。昌子とタマ子が狭い長屋で向き合うのだから、タマ子から見た昌子がああいうアングルに写るのは不自然なんだけど、きっと小津監督が淡島さんを美しく撮るために、いろいろ工夫した集大成の場面なのだろうと思います。
そしてそういう演出をしっかりと受けて立てる淡島さん。宝塚ご出身の”如何に魅せるか”×小津監督の”如何に美しく撮るか”のコラボレーションとため息が出てしまう。演じている内容は、タマ子から「夫の浮気に気をつけなさいな」に「そんなことあるわけない。(この時点では)信じてます」というだけのものなのに、何故か神々しくすら見えます。『裏窓』のグレースさんを思い出します。淡島さんの方が生活感があってゆるぎないものがありながらもこの美しさ。
ため息。
他の場面でも、淡々とドキュメンタリーのようなとても丁寧な設定・演出で話が進むのに、そのすべての場面が美しい。
杉村さん、浦辺さんの所作も真似したくなるほど美しい。舞台女優がたくさん出演されているからなのか、小津監督の演出のなせる技なのか?
岸恵子さんも勿論美しいけど、役柄的に「美しい」より「キュート」かな。
役柄的に独身と夫持ちだから仕方ないのだけど、岸さん演じる金魚がふらふら回遊しているのに比べて、淡島さん演じる昌子は大地に根をはっている潔さというか、安定感、凛とした感じがかっこいい。
池部良さんもカッコイイですね。
役柄は日和見的ななあなあ男で誘われれば浮気もし、まずいと思えば金魚に責任もとれないで、結局派閥の上司(笠さん演じる小野田氏)の失脚により、左遷されるって、全然良いとこないのに?
この主役3人以外の人々も、印象として皆背筋が伸びている気持ち良さ。
酔ってへべれけな場面もあるけどお行儀が良いです。台詞の掛け合い、言葉使いのせい?微妙な間が上品?浴衣も、ランニングTシャツまでも、糊が効いてアイロンかけてある感じ。
物語はサラリーマンの悲哀、倦怠期の夫婦を描いているらしいけど、正直、リアルではなく、表面をさらっと当時の風俗入れて描いています。
倦怠期夫婦の危機は、子どもってああやってあっけなく死んじゃう時代だったのねとか、食器や食料の貸し借りとか日常風景が丁寧に描かれていましたが、危機もさらっと。
反対に会社での仕事風景は机に向かって何か書いているだけなのでリアルさないし、出世競争に敗れて冷や飯・左遷とかのエピソードは出てくるけど、結核はまだ死病のなのねとかはあるけど、今のサラリーマンに比べて、なんて優雅なといった印象。
なのに、それを絵空事と一笑に付すなんて、なぜかできない。最後まで見入ってしまう。小津監督マジックか?
観終わった後に背筋が伸びる、ちゃんと生活しよう、と思える映画。
扱っているのは不倫だし、サラリーマンの愚痴なのにね。
会社の歯車に例えられるサラリーマン。本人の個性や働きよりも、没個性の”兵隊”として会社に使われるだけ。とはいえ、その歯車にも、気持ちがあり、家庭があり…。
今の、就職氷河期を経験して人からは、正社員として働けているうえにと反感快走だが。
文字通りの命のやり取りを経験した元兵士が、命をかけて帰ってきた後の未来をどう生きるかの、虚無感と未来への希望がないまぜになっていて…。
そして、その先の未来へと物語は終わる。
新しい酸素を満喫して、青空に向かって背伸びした感じ。
たわいのない日常を描いた話なんだけれどね。
本作もまた世界に誇る日本映画、いや世界の映画史に残る至宝でしょう
昭和30年頃の夏が舞台
では何故タイトルが早春なのでしょうか?
それは杉山夫妻にとって人生はまだ早春に過ぎないからなのです
小野寺さんが示唆する様に、まだ瀬田川でボートを漕いでいる人生の学生にすぎないのです
人生の様々な先輩や同僚達が登場します
サラリーマン生活は山あり谷あり、上司により、派閥により、健康により、順調に出世の階段を昇る者もいれば、儚く若死にする者もいる
女性にしくじる者だっている
夫婦生活も同じように波風もたてばすれ違いもある
それでもあっという間に月日は過ぎていくのです
気がつけば会社の先輩が脱サラで開いたバーに飲みに来ていた定年間近の男性のように暮れゆく秋を迎えているのです
その時、あなたは人生の早春をどのように思い返すのでしょうか?
瀬田大橋を快速でくぐり抜けていく漕艇
漕艇はオールを呼吸を合わせて漕がねばいけません、夫婦も同じだというメッセージなのです
だから小野寺さんの任地は滋賀支店に設定されているのです
蒲田と丸の内
アジア的なごみごみとした日本の家屋と都心の近代的なオフィスビル
岡山県三石と東京
山に囲まれた何もない町と猥雑で繁華な都会
その二つの対比を際立て描写しています
人生のオンとオフ、公と私、山と谷
それらをこの二つが象徴しています
そして、その両者を鉄道が結びます
鉄道は両者を毎日行ったり来たりするのです
さすが黒沢明と並ぶ世界に名声が轟く名監督小津安二郎作品
その中でも最高峰の傑作に挙げらるだけあります
何もかもが見事です
パーフェクトとはこの事でしょう
金魚役の岸惠子の美貌には目を奪われました
なんという美人
時代を超越してあり得ない程の美人です
彼女の序盤のシーンではブラウスの背中にうっすらとブラジャーが透けています
畳から立ち上がるときにスカートが翻り、チラリと足が一瞬覗きます
セックスアピールの演出の的確さは舌を巻きます
小津安二郎監督作品はとても日本的でドメスティックな内容のように感じます
しかし本作を観ているとイタリア映画のネオリアリズモにも似た味わいを感じます
普通の人々の生活への視線にはヴィットリオ・デ・シーカ監督にも負けない国際的な普遍性があると思います
本作もまた世界に誇る日本映画、いや世界の映画史に残る至宝でしょう
ほんのり
契約によって生じる義務と安定
戦争帰還者が現役サラリーマンをしている頃の昭和。
蒲田に住む杉山は、丸ビルに勤めるハンサムなサラリーマン。幼い息子を亡くしており、大恋愛の末に結婚した昌子との関係は冷えきっている。そんな中、通勤仲間の一人である派手な千代と不倫関係になってしまう…。
昌子の実家はおでん屋。
杉山は客だったのかな?
ともかく昌子からしたらエリートを捕まえたって感じなのかしら。
杉山夫妻を中心に、サラリーマン人生や結婚生活のあらゆる典型例が網羅されていました。
組織や他人と契約を結ぶことで得られる安定した生活の一方で、義務と退屈と不自由への忍耐が試される…。
隣の芝生は常に青いし、何でも思い通りに行くとは限らない。
儚く虚しい人生は、何も会社員に限ったことではないですよね。戦争が終わり無事生きて帰れて平和を味わっているけれど、待っていたのはこんな暮らしか、お国に従った次は会社に従うのか、と嘆いているのかも知れませんが。
いつの時代も、人生の春が過ぎるのは早いもので…。散ってから気付く春の花、乾いてから気付く青春の汗?
ほぼ毎朝駅で顔を合わせるからと、同世代の社会人らが職業の垣根を越えて学生のように仲良くなっていることに驚き。「通勤仲間」で日帰り旅行なんて、今ではちょっと考えられません。他人との距離がとても近いです。近過ぎて不倫にまでなるのだけれど、同じ最寄駅だからなかなかリスキーですね。
妻も不倫相手も「バカにしないでよ!」「何さ!」と男に噛み付きますが、結局折れて男の決断に従うのは女性側。こんな自己中男が愛され許されるのはイケメンだからなのか?!
妻が夫を懲らしめたい時に強制鑑賞させる映画は”Gone Girl”が最恐だと思っています(^^)。本作を夫婦間で活用するなら、なかなか許してくれない妻に観てもらう映画でしょうか…。しかし、昭和の価値観を押し付けないで!!とかえってブチ切れられる可能性もありますので、責任は持てません(^^)。
オリジナルでないものもありますが、名言(今や迷言?)がぎゅうぎゅうに詰まっておりました。
「人生からサラリーもらってるようなもんだよ。」
「間に合うってことはつまんないことね。」
「歴史は夜作られる。」(他作品)
「もう、これで男の子は一人もいなくなってしまいやしたもの。もう、誰も私に文句言ってくれる人はありません。」
「我が身をつねって人の痛さを知れだ。」
「つまり反省だな。Self-examination だ。」
「それがなきゃ人間、犬猫とおんなじだぜ。」
「Humanismってものはな、そんな時羨ましがっちゃいけねえもんなんだ。そういう風にできてるんだ。窮屈なもんなんだ。」
「女は三界に家なしだから。」
「古くたってね、人間に変わりはないよ、おんなじだよ。」
「折れべき時に折れないとね、取り返しのつかないことになりますよ。」
「色んなことがあって、段々本当の夫婦になるんだよ。」
「間違いは、お互いに努力して、小さいうちに片付けろ。」
「つまんないことに拘ってこれ以上不幸になるな。」
***
幸一と母親の、ずり下がった腰巻きのやり取りには大爆笑。
所で「アイスウォーター」は有料なのかしら(^^)。
…→氷が貴重な時代だから有料だろうとのこと!
☆☆☆★★★ 小津安二郎作品と言うと、『東京物語』や『晩春』等の作...
☆☆☆★★★
小津安二郎作品と言うと、『東京物語』や『晩春』等の作品が真っ先に浮かぶ人が多いのではないでしょうか。
その様な親娘の関わりを描いた歴史的な名作を撮る一方で、《人間の業》を炙り出す作品も多い。
その代表作と言えるのが、自身が撮った『浮草物語』をリメイクした『浮草』ではないか…と思っている。(小津作品を全て観た訳ではないが…)
さしずめ、この『早春』は。『浮草』を撮るにあたり、習作となったのでは?…と思わせる程。男女の【腐れ縁】に関し、「これでもか!」とばかりに畳み掛けて来る。
【腐れ縁】とは書いたが、主演の2人、池部良と淡島千景は夫婦。
夫婦だけに、本来の【腐れ縁】の言葉の意味する〝くっついたり離れたり〟と言った関係では無い。
…無いのだが、まさに【腐れ縁】と言うに相応しい様な描かれ方だった様に思える。
映画の舞台は蒲田在住の夫婦が、夫の浮気から仲違いをするも。その関係が修復するまでの姿を描く。
映画は、サラリーマン社会の悲哀を背景にしているのだが。小津が描くサラリーマン像はまさに会社の中。ひいては、日本経済発展の中での《歯車の一つ》にしか過ぎない…とゆう思惑の様な描かれ方で。昔から時々、小津安二郎に対して少しばかり感じていた…。
意 地 の 悪 い お っ さ ん !
そんな思いを深めたりするのだった(。-_-。)
何てったって、死んでしまった池部良の同僚に対して。元上司の山村聰は「サラリーマンの辛さを知らずに死んで行ったのだから、幸せだよ!」(←完全に覚えてはいないが、こんな感じで)だものなあ〜(¬_¬)
そんなサラリーマン社会を描きながら。小津の本質にはどこか、日本社会が以前から抱えていた。男女封建制度による、男女の(立場的な意味から発生する)差別的な一面も多少有るのでは?…と思わせるところ。
そんな面を感じるのが、淡島千景の母親役の浦部粂子。
夫が浮気した事で実家に帰って来た娘に対して言う台詞は、昔ならいざ知れず。現代ならば全女性を敵に回しそうな程だ!
ただ個人的に、浦部粂子と娘との言葉のやり取りと言えば。何と言っても成瀬巳喜男の『稲妻』での、高峰秀子との母娘の口喧嘩の素晴らしさを思い出してしまい。観ていて楽しくなってしまった(´ω`)
もう一つ男女差別の面として付け加えるならば。
田中春男を始めとする通勤仲間。
彼らが岸恵子に対して起こす、池部良の仲を巡っての〝吊るし上げ〟は。浦部粂子同様に、男の側の一方的な封建的な考え方に近く感じる。
だが、そんな吊るし上げに対して、全く怯む事がない岸恵子の姿。一体、女性側から観たらどう映るのだろうか?…「気持ちがスカッとした」って人もいるだろうが。その開き直りに対して、イラっと来る人の方が多そうな描かれ方に見え、「小津らしくないなあ〜」と、つい感じてしまったのですが…。
(他にも、「妊娠したかもしれない」と言う妻に対し。「そんな訳ないだろ!」…との台詞も有る)
※ 1 かねてより、小津安二郎が現代で監督をするならば。かなり凄腕のホラー監督として一流の腕を発揮しているんじゃないか?…と思っているのですが。岸恵子が受ける〝吊るし上げ〟に対するかの様に。池部良に対して淡島千景が行う単独での〝吊るし上げ〟
こ れ こ そ が ホ ラ ー 映 画 !
もう滅茶滅茶怖い((((;゚Д゚)))))))
名作多数の小津安二郎作品を意識して観ると。それらの作品の高みにまでは到達していない…とは思うのですが。小津安二郎その人を研究するには、やはり必見な作品だろうと思わずにはいられない作品でしょう。
※ 1 ホラー監督同様に、戦争映画作家でも在る…とも思っています。この『早春』でも、池部良は元軍人。元軍人仲間との集まりが有り、加東大介と三井弘次とゆう名脇役2人の演技をたっぷりと堪能出来る。しかし、『東京物語』の原節子の「私…狡いんです…」の様に。直接戦争の話では無いところから、突然此方の脳天をガツンと叩かれるが如く。戦争の無意味さを炙り出す様な台詞・演出がそれ程なかったのが、ちょっとだけ残念ではありました。
「そうか、土佐か」
「そうだよ、坂本龍馬だ」
「龍馬も居れば、トンマも居るか!」(^^)
初見 並木座
2019年5月9日 シネマブルースタジオ
いやー、昭和ですなぁ。社員が男女共々仲が良い。今なんかもうギスギス...
タイトルなし(ネタバレ)
夫婦の有り様よりもサラリーマンの物悲しさ、やるせなさが印象に残った。同じような毎日の繰り返しの中、岸恵子のように美しくハツラツとしたOLが相手なら不倫も仕方ないように思えてきてしまった。結局最後に妻は転勤先の夫の元に赴き、めでたしめでたしのようだが心の溝はそのままなのが表情にみてとれ、中年の寂しさが余韻に残った映画だった。
丸の内サラリーマンの悲哀
夫(池辺良)は丸の内に勤めており、通勤仲間の女性(岸恵子)と浮気する。
妻(淡島千景)は子供を亡くして以降冷え切っている夫婦関係にはあきらめ気味。
夫の浮気に気が付いた妻は家出、夫は地方への転勤を受け入れる。
この作品も戦争の影がある。
サラリーマンを憐れむ歌
表面的には浮気の話で、根っこは子どもを失った夫婦がやり直せるかどうかの話です。
しかし、本作はなぜかサラリーマンを徹底的にdisっており、そのインパクトが強烈すぎて本来のテーマを吹っ飛ばしているように感じました。小津ちゃんの執拗にして壮大なサラリーマンdis。これはなんなのか。
若くして死んだ後輩を前に、脱サラしたバーのマスターが「奴はサラリーマンの酷さを知らずに死んだ。幸せだ」的な言葉を吐いたり、バーで飲んでる定年前のサラリーマンが「ここまで生きてきても、少ない退職金を前に寂しい思いをするだけだ」みたいなことをのたまったりと、本作のリーマン諸氏は例外なく虚しさを覚えております。生きがいややりがいを感じている人は絶無。小津はサラリーマンを『無価値で無意味な存在』と明らかにバカにしています。
なんの根拠もありませんが、小津はサラリーマンを兵隊的な存在として見ていたのでは。意志を持たず(持てず)、大いなる力にただ従うだけの存在。人間を人間たらしめる情緒や主体性、伝統的な営みは存在しないと捉えているのではないでしょうか。
サラリーマン社会のような人間性を奪い去るシステムに対して、小津は強烈なまでの怒りを抱いていると思います。
しかし、本作はシステムdisでは飽き足らず、システムの中で生きる人までdisってますからね、ちょっとやり過ぎ感を覚えました。
登場人物の中で、情熱を持って仕事に取り組む人をひとりくらい出しても良かったのでは、なんて思いました。しかし、それだと一貫性がなくなるから難しいかも。とはいえ、本作での表現を借りるならば『窮屈なヒューマニスト』の小津ちゃんにしてはちょっと下手打ったように感じました。
物語もダラダラと長い。オチも笠智衆先生に正論っぽい一見良さげなセリフを語らせてシメるといった『晩春』パターン。このやり方は強引な荒技で丁寧とはいえないです。これは物語の推進力で話を決着できなかった証左でしかありません。私はこれを『笠智衆エンド』と名付けました。
とまぁ、今回は小津ちゃんをdisりまくりですが、観ていてかなり楽しめたのも事実です。あの構図、美人女優の説得力、オフビートギャグ(お通夜のBGMがのほほんとしていて不謹慎で最高!)の小津ちゃん三種の神器が効いていると、つまらん話でもそれなりに観れてしまう。小津調恐るべし、です。
また、本作で小津ちゃんが持つ『システムへの怒り』を実感できたのは収穫でした。小津ちゃん、上品で穏やかな作品のクセに、ボブ・マーリーとかレイジ・アゲンスト・ザ・マシーンみたいなスピリットを持っているように感じ、グッと好きになりました。
ジャームッシュやカウリスマキら小津に影響を受けたインディ監督たちは、間違いなくスピリット面の影響も受けているでしょう。
麦秋では原せっちゃんが最強すぎてあまり意識できませんでしたが、淡島千景はすげー美人ですね。立ち居振る舞いの美しさにはため息。ただ、ヘビ顔なので迫力ありすぎで怖い。岸惠子は現代的なキュートさがありますね。尻軽に生きざるを得ない寂しい女性を見事に演じたと思います。
つまり反省だな、セルフ・エキザミネーションだ
映画「早春(1956)」(小津安二郎監督)から。
私の感性が低いのか、監督はこの作品を通じて、
私たちに何を伝えたかったんだろう、と考えこんでしまった。
当時の様子がわかる映像が散りばめられていて、
60年近くたった今見ると、楽しいシーンも多いが。
他の作品もそうだけど、時々、英語がぽっと台詞に含まれる。
そんな覚えたばかりのような英語を使うあたりが、
戦後間もない作品だなって感じて、メモをしてみた。
(違和感と言ったら失礼になるだろうけれど・・)
特に、働いている若者同士が一斉に手拍子で
「ツーツー・レロレロ・ツーレーロ・・」と歌いだしたり、
狭い部屋で1つの鍋を囲んで激論したり、楽しそうだ。
そんなワンシーンで使われた英語。(笑)
「つまり反省だな、セルフ・エキザミネーションだ」
「人道上な、ヒューマニズムだよ」とやたらと英単語が並ぶ。
女性の洗面所で「シャボン、もういい?」と言われた時は、
「石鹸」のこととは気づかず、メモしそこなった。
何かを意識して、英単語を使っていると思うのだが、
その意図がわからず、不完全燃焼で観終わった。(汗)
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