陽は沈まず
劇場公開日:1954年5月26日
解説
松竹大船撮影所長高村潔総指揮により、「東京物語」の野田高梧と「沖縄健児隊」の沢村勉のオリジナル・シナリオを「家族会議」の中村登が監督している。製作は山本武。撮影は「家族会議」の生方敏夫、音楽は「真実一路」の黛敏郎である。出演者は「真実一路」の淡島千景、佐田啓二、「濡れ髪権八」の高橋貞二、「女の園」の岸恵子、田浦正巳、「恋愛パトロール」の三橋達也、小林トシ子、「若き日の誘惑」の柳永二郎などである。
1954年製作/139分/日本
原題または英題:The Sun Never Sets
劇場公開日:1954年5月26日
ストーリー
与党幹事長児玉貞良には七人の子供があった。長女綾子は原田仙介の妻として大阪に、保険会社に勤める長男健一は児玉の旧友医者の板倉金太郎の娘雪子とそれぞれ幸福な結婚生活を営んでいた。そして露子夫人の他界した後の児玉邸には、次女節子、三女桃子三男勇三、それに女中しげと児玉との間に出来た四女の京子達が住んでいた。節子には健一の戦友で新聞記者の青木三平という恋人がいたが、秘書の黒井敏夫を節子の夫にと考えていた児玉は、それに反対だった。次男省二はこんな父に反対して家出し、横浜の与太者仲間に入っていた。たまたま児玉は副総理より再婚をすすめられた。若い姉弟達はしげを入籍しない父を不潔なものとして、健一の処へ逃げた。しげと会ってこれを聞いた省二は父の行きつけの料亭の女将あきを訪れたが、忙しい児玉には会えなかった。折しも児玉の汚職が噂され、子供達に去られた児玉の顔には寂しさがにじんでいた。板倉家で板倉の還暦と節子と青木の婚約披露の会が催された数日後、脳溢血で児玉は急死した。省二も喫茶店の女みねのすすめと寂しさから父なき児玉邸に帰り、父の日記帖を見た。家出した息子に寄せた父の苦しみ、省二の頬を涙が流れた。兄妹達にとってやはり優しい父だったのだ。売却される児玉邸から花嫁姿の節子が出る。自動車に写る白堊の議事堂--五月の空は今日も晴れていた。