裸形家族
劇場公開日:1954年5月12日
解説
「悲しき瞳」の山内久のオリジナル・シナリオによるホーム・ドラマ。監督、撮影は「家族あわせ」の瑞穂春海、布戸章である。音楽は「若き日の誘惑」の奥村一の担当。出演者は「濡れ髪権八」の高橋貞二、「陽のあたる家(1954)」の紙京子、「若き日の誘惑」の藤乃高子、「真実一路」の山村聡、須賀不二夫などである。
1954年製作/108分/日本
劇場公開日:1954年5月12日
ストーリー
虎の門の機械商杉原安蔵には四人の子供があった。長男の進一は父の反対を押し切って子供のある未亡人雅子と結婚していた。長女辰子は大学の講師木島に嫁ぎ二人の子供があった。婦人記者の次女葉子は編集長津村の求婚を退け、これも父に反対して挿絵画家塩田和彦のアパートへ住込んでいた。子供達はことごとに頑固一徹な父に対し共同戦線をはって対抗した。ただ、安蔵に言わせれば一番出来の悪い奴である次男の五郎だけが、就職も出来ず失敗続きのままに杉原家でぶらぶらしていた。女中のゆきはこんな五郎にひそかな恋心を抱いていた。事業の失敗で邸を売ることにした安蔵は孫達の七五三に子供達を招待したが、子供達は誰一人訪ねて来なかった。頑固な安蔵もさすが寂しさに耐えられなかった。間もなく安蔵は出張先の大阪で妻の志乃と五郎だけに見守られながら突然死んだ。安蔵の死後、志乃と五郎は保育園を経営するテルの許でリヤカーを引いて働く事になったが、兄妹達は誰一人、二人を引取ろうとしなかった。ゆきの兄達吉の世話で五郎は就職し、志乃の計いでゆきと互いの感情を打明け合った。だが志乃は安蔵の後を追って死んだ。集った子供達が志乃はむしろ幸福だったと言い合う中で五郎は突然口を開いた。「母さんは不幸でした。ボロボロ泣いてるのを僕は見たんです」それは五郎の最初のそして最後の兄妹達に対する抗議だった。