「本土決戦とはここにある 本当の反戦映画」ひめゆりの塔(1953) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
本土決戦とはここにある 本当の反戦映画
さすが今井正監督は実力があります
傑作です
1953年昭和28年1月9日公開
空前の大ヒットを記録し、倒産危機にあった東映を救ったといいます
撮影はその前年の秋から冬頃のはず
敗戦からまだ7年です
撮影されたその1952年の4月28日にサンフランシスコ条約が発効して日本の独立が回復されて、米軍の占領が解かれてまだ半年のこと
沖縄はその中には含まれず、米軍占領下におかれたまま
沖縄が日本に返還されるのは1972年5月
まだ本作から20年もの歳月がかかったのです
今井正監督はご存知の通り日本共産党員で筋金入りの左翼監督で有名です
だから、本作も観るまでは監督の持つイデロギーによるバイアスがかかった左翼的な史観、視線で撮られた作品違いない
反戦を旗印にした、その実は共産主義のプロガパンダであろうという予断を持っていました
間違いでした
本作は1945年3月下旬から6月末にかけて、沖縄に何が起こったのか
沖縄戦とは一体どのようなものであったのか
それを左翼も右翼もなく、客観的に手記などの記録に基づいた事実の映画的な再構成に徹しています
お涙頂戴式の過剰なセンチメンタルな演出もありません
監督の思想信条に基づくバイアスは感じられることは無かったのです
ただあるのは悲惨な沖縄戦の実相
戦闘シーンはありません、米兵も登場しません
しかし恐ろしいほどの迫力とリアリティで彼女達に起こったことを描いています
そして今も昔も、沖縄も本土も変わらない女子高生達の姿
戦闘が始まるまでは、まるで学園もののような普通の女子高生達のキャピキャピとした明るい笑顔です
過酷、悲惨、言葉を尽くしても足らない沖縄戦の現実の中で、それでも彼女達は気を張り詰めて頑張っていながら女子高生なのです
それが監督のメッセージなのでした
本作は何故空前の大ヒットになったのでしょか?
それは本作には、あり得たかも知れない本土決戦の姿が本作の中にあったからだと思います
日本中の観客は、自分達の町、村、自分自身、子供達がこうなっていたかも知れないのだという恐怖を今更ながらに知ったからだと思います
本土決戦になっていれば、映画の登場人物の誰かに確実に自分がなっていたと震え上がったはずです
岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」で、あの青年将校達がやろうとした本土決戦とはこれだったのです
如何に終戦の詔勅が日本の滅亡を救ったのかを、実感したのだと思います
そして平和の有り難み、不戦の誓いを新たにしたのだと思うのです
だからこそ国民が本作に詰め掛け空前の大ヒットとなったのだと思います
撮影は沖縄はまだ米国の時代
現地ロケも出来ず、撮影所と銚子で撮ったとのこと
九十九里浜は実際、米軍が本土上陸作戦を予定していた地点の幾つかの一つです
日本軍もここで上陸戦が行われることは必至と決戦準備をしていた土地でした
玉音放送が無ければ、8月下旬から、9月にかけて上陸戦があったはずの土地でのロケだったのです
本当に本土決戦が本作のように起こらなかったことは幸せです
そしてその本土決戦が唯一行われた沖縄の不幸
私達はそれを知らなけばなりません
本作は本当の反戦教育たりる映画だと思います
ひめゆりの塔とは彼女達の塔と言えないほど本当に驚くほど小さな墓碑のことです
沖縄本島の南端にあります
那覇空港から南に車で30分程
リゾートホテルのある沖縄中部からでも1時間程で行けます
大昔に行ったことがあるのですが、当時はさして関心も興味もなかったので、もうなにも覚えていません
コロナがおさまったならまた訪れて、献花したいと思いました