振袖狂女
劇場公開日:1952年7月10日
解説
毎日新聞夕刊に連載された川口松太郎の原作から、「西遊記(1952)」の八尋不二が脚色し、「十六夜街道」の安田公義が監督に当たっている。撮影は「修羅城秘聞 双龍の巻」の杉山公平である。出演者の主なものは、「修羅城秘聞 双龍の巻」の長谷川一夫に「四十八人目の男」の山根寿子、「西陣の姉妹」の宮城野由美子の他に黒川弥太郎、小堀誠、松島トモ子、岡譲二などで、衣裳考証に岩田專太郎、劇中人形芝居の指導には桐竹紋十郎、豐澤猿二郎の両氏、狂女舞の按舞には藤間良輔が当たっている。
1952年製作/96分/日本
配給:大映
劇場公開日:1952年7月10日
ストーリー
大阪落城後科手の若い豪士彌右衞門は秀頼の遺児鶴姫を守って再興の機を狙っていたが、鶴姫の侍女左枝と彌右衞門が夫婦の約束をしたのを嫉妬した同志の中内宗右衞門の密告によって隠れ家を襲われた。彌右衞門は鶴姫を連れてようやく血路を開き窮地を脱したが、そのために左枝とは別れ別れになった。彌右衞門は鶴姫に男装させ子太郎と呼んで傀儡師近江久次郎の一行に加わって旅を続けた。久次郎の娘宇津木には父親のない玉木という幼い娘があり、子太郎と仲良しになっていた。家康は駿府城で病床に伏していたが、尾張義直の肝煎りで各国の芸人が集められ、家康を慰める演芸大会が催された。そこに選ばれた芸人たちの中には、彌右衞門の一行や女歌舞伎の丹後一座に入っていた左枝の姿もあった。彌右衞門と左枝は再会を喜ぶと同時に、これをよい機会として家康を討とうと計るが、彌右衞門の身を案じた宇津木の邪魔によって失敗し、左枝は捕らえられ、彌右衞門たちも追いつめられた。宇津木は彌右衞門の胸中を察して、自分の子玉木を鶴姫だと言って差し出した。子太郎を丹後に預けた彌右衞門は引き返して左枝を救い出すが、玉木が殺されたと聞いて憤然と家康の寝所に忍び込む。だが、家康は既に病死していた。やがて家康の御側用人内海陣十郎の情けある計らいで、一同は殺されていなかった玉木とともに無事に城外へ送り出されたのだった。