俺たちに太陽はない

劇場公開日:

解説

楠田匡介の『熔岩』を、「白い波涛」の池田忠雄と、池田博が脚色し、「外濠殺人事件」の池田博が監督した、非行少年を描くもの。撮影は「続次郎物語 若き日の怒り」の森田俊保。

1960年製作/79分/日本
劇場公開日:1960年9月29日

ストーリー

正広は十一のとき父を亡くして、母との二人暮らし。母のマサエはやがて安藤という男と一緒になったが、安藤は金をしぼりとると、若い女を連れて姿をくらました。正広は次第にグレていった。やがて、青丹の兄貴というヤクザと知り合った。「味に加わり工場のスト破りにかり出され、少年鑑別所に送られた。まもなく、保護観察処分となって出所することを許された。マサエはトラック運転手の大原と結婚し、正広は新聞配達の仕事をするようになった。ある日、ネリカン時代の仲間の丸山らに出会った。丸山は青丹一家の身内になっており、パチンコ屋のおとりの仕事を誘われた。オートバイを買いたくて、正広は彼らの口車にのった。パチンコ屋の女・多美子と関係を持つようになった。丸山らは、彼女の手引きでパチンコ屋の売上金を強奪することを考えた。強盗の結果は逮捕、正広は少年院送りとなった。浅間の特別少年院。そこには、兄貴風を吹かす古場や、おとなしい十坂らがいた。マサエが面会にきた。多美子が一緒に暮して、マサエの内職を手伝っていると言った。脱走事件が起きた。古場は、十坂が告げ口をしたといい、私刑を加えようとした。正広はかばい、手に五寸釘を打ちこまれた。正広は父の留八がハンドルを切りそこね即死したという知らせを受けた。出所した古場は留八の保険金から十五万円出せば正広がすぐ出所できると、マサエにもちかけた。多美子は少年院へ行き、正広に古場の件を書いた伝言を渡した。しかし、古場は青丹の兄貴と喧嘩し死んだ。それとも知らず正広は脱走した。だが、正広は追いつめられた。警官が拡声器で呼んだ。多美子の声も聞えた--。

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