博徒百人 任侠道
劇場公開日:1969年9月13日
解説
「さくら盃 仁義」の山崎巌が脚本を書き、「博徒百人」の野村孝と峰重義が、監督、撮影を担当したシリーズ第二作。
1969年製作/89分/日本
配給:日活
劇場公開日:1969年9月13日
ストーリー
昭和初期の四国高松。梶岡清太郎は、石津一家の代貸になった。先輩の代貸小池も喜こんで迎え、二人は兄弟の契りを交した。そんな清太郎に、芸者の小新は好意を寄せていた。二人は、力を合わせて、雨宮老人の石切場で働いていた。そんなある日、石津親分は、賭場で石津組の縄張を狙う、三木本と笹井の奸計にかかり、清太郎は親分の替りに、三木本を刺し、傷を負わせた。そして、一年の所払いになり、旅に出た。留守中、石津は、連合会々長を辞退していたが、再選の席上で、三木本らに恥をかかされ、二人に向かったが、卑怯な子分たちの兇刃に倒れた。北陸路の旅先で、尾山組の好意で、その事を知った清太郎は高松に戻ろうとしたが、所払いの身故、自重した。一方、小池は、謹慎中の石津組を守っていた。三木本組は、残った石切場を狙って、作業員の引き抜きに出たが、ちょうど、所払いが解けて帰ってきた清太郎が止めて、事なきを得た。その時、相手の助っ人に雇われた都築は、なぜか、手出しせず帰っていった。清太郎は、小池に協力して石切場の仕事に精を出した。そんな折、トラックが、三木本組に爆破され、怒った小池が殴り込もうとしたが、清太郎は諌めた。そして、雨宮に、つなぎの資金を借りることにした。都築と清太郎は、かつて一緒に殴り込んだ仲だった。しかし、渡世の仁義で、二人は対決した。その間に入って必死に止めたのは、小新だった。都築と小新は、昔、好き合った仲だったのだ。都築は、笹井と三木本のもとに帰ると、詑びに指を詰め、三木本組を出た。そして、帰途、三木本の子分たちに刺された。苦しい息の下から、雨宮殺しの計画を清太郎に告げると、息絶えた。雨宮を気づかって、清太郎は迎えに出たが、雨宮は刺され、金は奪われていた。そして、雨宮は、一通の書類を渡すと事切れた。石津組は進退極まった。子分たちを尾山親分に預ってもらった小池は、殴り込みをかけようとしたが、清太郎は小池を出しぬき、単身親分衆の集まる花会に乗込んだ。そして、雨宮の権利書を示し、三木本と笹井の不正を暴き代紋を脱ぎ捨てると、三木本を刺し、さらに怒りの刃で笹井を倒し、怨念を晴らした。かけつけた小池に、跡目を継ぐよう頼んだ清太郎は、闇の中に消えた。