博徒七人のレビュー・感想・評価
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笠原和夫が奏でるダイナミック不謹慎活劇
笠原和夫が自著『破滅の美学』で自薦していた脚本の一つに本作『博徒七人』がある。なんでも7人の身体障碍者が力を合わせて狡猾な土建ヤクザ組織を壊滅に追い込むなどという筋書きだというから俄然気にはなっていたが、どうにも視聴手段がない。とはいえ障害を面白おかしくカリカチュアライズし、あまつさえそれを主題にまで押し上げたような作品が令和の倫理意識にそぐうはずもなく、TSUTAYA・サブスクともに本作を配信する気配がないのも当然の処遇といえる。「血湧き肉躍る任侠映画」と銘打って半ばドサクサ紛れに本作を上映してくれたラピュタ阿佐ヶ谷には感謝してもしきれない。 『博徒七人』というタイトルが示す通り、本作は黒澤明『七人の侍』の奇形的パロディといえる。また風来坊の侍とガンマンという半次郎と鉄砲松の組み合わせや、彼らが用心棒として雇われるという流れは『用心棒』を彷彿とさせる。しかし笠原和夫が巨匠への穏当なオマージュを捧げるに留まるはずもなく、物語は絶海の孤島を舞台に鎬を削り合う地元の石切業者とあくどい土建ヤクザの間を右へ左へ揺れ動く。 「七人」とタイトルにあるのだから、観客は島に集まった7人の身体障碍者たちの共闘を今か今かと待ち構えるが、寝返り・共謀・勘違い等によって7人揃っての連帯は終ぞ果たされることがない。とはいえ7人が不毛な血の応酬を繰り広げるということはなく、物語は幾人かの犠牲を出しながらもゆるやかにその敵を土建屋へと定めていく。 派手に錯綜しながらも最終的には一点に収斂していく物語構成はさすがと言わざるを得ないが、それに負けず劣らず登場人物たちのキャラも立っている。特に片脚坊主の一貫と、盲の勝の存在感はすごい。終盤で勝が一貫をおぶって戦地に赴くシーンなどはロボットアニメにおける変形合体に近しい興奮がある。身請け金が足りずに苦心する鉄砲松の婚約者加代にポンと全財産を渡してしまうところもニクい。せむしの弥吉と聾啞の五郎のタッグも、出番は少ないものの印象強烈だった。それぞれの外伝を見てみたいと思った。 主人公であり隻眼の半次郎の相方を務める鉄砲松も気持ちいいくらい徹底的なサブ主人公。序盤は小賢しい剽軽者だったが、終盤は半次郎を兄貴と慕う義侠へ。半次郎のほうも、彼に土建ヤクザの監視を一任しているあたり、腐れ縁の矩を超えた信頼関係がありそう。あと彼が病院で「体も心もカタワでよお」と呻吟するシーンがあったが「心がカタワ」という表現にフィクションの中で出くわしたのは人生初かもしれない。 鶴田浩二演じる主人公の半次郎は無頼ぶってはいるものの人情溢れる60年代東映的侠客だ。他の博徒たちがもっぱら腕やら脚やらを奪われている一方で半次郎だけは隻眼で済んでいるあたり二枚目スター俳優への配慮を感じなくもない。とはいえ人情一本というわけではなく、随所にシニカルでクレバーな内面を覗かせる。島で暴れ回る兵隊安を鎮圧してほしいという土建ヤクザの依頼に応じる際の彼の立ち振る舞いは見事なものだ。彼は決闘によって平伏させた地元石切業者の用心棒・兵隊安に土建ヤクザたちの前で非暴力を誓わせる。ただし「土建ヤクザたちが石切業者の持ち場を荒さない限り」という条件付きだ。これによって両陣営ともども迂闊に手が出せなくなった。用心棒という第三者だからこそ、あるいは図らずも多くの命を無為に奪ってきた過去を持つからこそなしえた穏便な手打ちだ。 終盤、土建ヤクザの策謀で半次郎が再び兵隊安に決闘を挑まれ、果てには命を奪ってしまうという展開は、後に笠原和夫が脚本を書き上げる稀代の名作『博奕打ち 総長賭博』において主人公・中井信次郎(演じるは鶴田浩二!)が辿る悲劇的運命を想起させる。そしてその数年後には『仁義なき戦い』で不動の名誉をモノにするわけだから、このあたりからの笠原はマジで脂乗ってたんだなあとつくづく思う。 ただ、脚本とキャラクターの骨太な作りに比して撮影・編集はなんともお粗末というか一周回って前衛的というか、ラストシーンでお澄が埠頭に向かって走ってくるシーンのあの異常なジャンプカットは何だったんだろうか。それにシーンが切り替わる瞬間に一切の間がなく、尻切れの会話が頭切れの会話とキメラのようにツギハギされている感じがした。任侠映画らしいぶっきらぼうさを狙ったにしてもちょっとやりすぎなんじゃないかと思った。 何にせよこんな希少な映画を観られたことは僥倖だ。この先いくら大規模な笠原和夫リバイバルが起きようとも本作だけは決してシネコンのような場所ではかからないだろうから…
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