バラケツ勝負
劇場公開日:1965年2月13日
解説
「忍び大名」の比佐芳武がシナリオを執筆「新吾番外勝負」の松田定次が監督した侠客もの。撮影もコンビの川崎新太郎。
1965年製作/92分/日本
配給:東映
劇場公開日:1965年2月13日
ストーリー
大正初期の神戸湊川新開地。当時そこは最大の歓楽地帝で博徒、クスブリ、バラケツなどの争いが絶えなかった。地元兵庫県警察本部でもこの地区には、特に監視の目を向けていたが、鬼刑事武村久五郎刑事部長の関心は更に強かった。それと言うのは、久五郎には、久雄という息子がいたが十六歳の時母を亡くし、後妻と合わず、勘当され、家出をすると、今ではこの歓楽街でバラケツ仲間として顔を売っているからだ。こんなある日、学生バラケツ秋月京太郎が久雄を頼ってやって来た。意気投合した二人は、福原へ遊びに出かけ、帰り久雄は一人で情婦福原芸者の花奴と酒をくみ交し、泥酔してしまった。夜中、うたた寝から目ざめた久雄は、傍の花奴の無惨な死体に驚愕した。廊下には仲居のお梅までが、久雄の匕首で刺されていた。あわてた久雄は裏手の窓から屋根づたいに逃げたが、ちょうど警羅中の久五郎は、胸騒ぎを覚え、現場に立って呆然とした。久雄のしわざと思い込んだ久五郎は、久雄の代りに自首して出た。新聞はこぞって名刑事の殺人事件を書きたてた。身に覚えのない久雄は、放心した毎日を送った。秋月はそんな久雄を力づけた。事件後一週間を過ぎたが、ナゾは解けず、久雄は父を思い自首を決意した。久五郎は逮捕されてからというもの、自責の念にかられ、鉄格子の中で断食をしていた。しかし、久五郎にも、疑惑があった。それは花奴の体内に睡眠薬を飲んだ形跡があることに、つながる、謎であった。釈放された久雄に同情は集り、事件の究明にのり出した。そして、栗本隆吉の名があがった。栗本は元兵事部長在職中、軍医坂内兵助と結託して、暴力団員五〇名を丙種として軍籍から除き、暴利をむさぼっていた。それをかぎつけた久五郎は、栗本を追っていたのだ。そしてこの事件は栗本がたくらんだ、久五郎追出しの策であったのだ。バラケツを集結して、栗本に殴りこむ久雄の目に明るいものがあった。