黒いダイス
劇場公開日:1962年3月25日
解説
「堂堂たる人生」の池田一朗と「明日が私に微笑みかける」の山崎忠昭が共同で脚本を執筆、「堂堂たる人生」の牛原陽一が監督したアクションもの。撮影は「キューポラのある街」の姫田真佐久。
1962年製作/82分/日本
配給:日活
劇場公開日:1962年3月25日
ストーリー
サンフランシスコから横浜へ向う貨物船ミランダ号に一人の日本人が乗っていた。航海中、彼の神技的なダイスやカードの手捌きは外国人客の注目の的だった。日本人の名は宮本慧、彼が一体何者なのか誰も知らなかった。横浜で彼を出向えたのは川崎淳平の家族と倉橋興業の社長倉橋正雄であった。川崎家は、慧の遠縁にあたり、幼い時親を失った慧と弟の洋次が育った家である。川崎家では一人娘の節子を交えた歓迎会が行われたが、それも早々に抜け出した慧は、倉橋興行の経営するクラブ・ブリッジへ出かけて行った。そこではダイスとカードによる大賭博場が開かれていた。さっそく仲間に入った慧の手捌きに、社長を初め居合せた客たちは呆然とした。次々と金を捲きあげる慧。一方、大学の拳闘部に籍を置く洋次は、先輩と一緒にふとしたことからクラブ・ブリッジの賭博場へ足を踏み入れた。慧は居合せず、怖さ知らずの洋次は勝ちに勝った。胴元をつとめる鉄は歯が立たなかった。勝ったままクラブを出た洋次は、鉄に襲れた。賭博に負けた恨みを晴そうとする鉄を殴り倒す洋次、翌日の新聞には鉄が殴殺されたとの記事が出た。その日から洋次はすっかり変わってしまった。人知れず悩む洋次。そんな時倉橋組のライバル大島組は例の事件の情報をつかみ洋次を無理矢理に組の胴元にすえた。驚いた慧は事情を洋次に問いつめた。事の真相を知った慧は調べ始めたが、やがて鉄の死体には鉄棒で殴った跡があったことをつきとめた。大島組に乗り込んだ慧は同じディラーの五郎から、鉄をやったのは倉橋に頼まれたマサルだという証書を得た。その頃、倉橋組と大島組の縄張り争いは激化し、両組は勝負でけりをつけることにした。倉橋組からは慧、大島組からは驚いたことに洋次だった。弟を思う兄のいかさまで洋次は勝った。両者はついに拳銃の射ち合いを始めた。テーブルの下にもぐる慧や五郎たち。勝負をダイスで決めようとカップを振る五郎。だがその途端前にのめった彼の手からは、彼等の不吉な未来を暗示するように黒いダイスが血にぬれてころがり出るのだった。