朝霧(1971)
劇場公開日:1971年9月18日
解説
母一人、娘一人の家庭の中で、思春期から大人に成長しようとしている娘の姿と、母との心の交流を雪の福井、東尋坊など、日本海側の厳しい自然を背景に描く。脚本は柏倉敏之と「私は泣かない」「終りなき生命を」の吉田憲二。監督も吉田憲二。昭和四三年作品。撮影は「極楽坊主」の横山実がそれぞれ担当。
1968年製作/96分/日本
配給:ダイニチ映配
劇場公開日:1971年9月18日
ストーリー
由紀と恭子の母娘は、久しぶりに郷里の福井に帰ってきた。由紀の夫は、越前銀行頭取坂井謙造の息子だったが、二人の間に恭子が生まれた時、結婚を許さぬ謙造は強引に恭子を奪おうとした。由紀はそのため東京にのがれ、自活していたが息子の恭一が戦争で死んでから謙造の怒りもとけて、帰ってきたのだった。それでも由紀は、謙造に頼らず、友人孝代の世話で、市内で洋裁店を営み、恭子は、かねてより念願の看護婦として県立病院で働くことになった。謙造は、せめて恭子だけでも豪荘な自分の邸に住んでくれるよう頼んだが、母想いの彼女は明るく断わった。恭子の病院生活は楽しく、一緒に無医村を廻っている青年医師沢村耕次に次第に魅かれていった。そして、公害と無医村の多い四日市潮田診療所へ応援に行った時、そこで精力的に働く潮田の姿に胸をうたれた。その頃由紀は、東京時代の命の恩人広田洋平の訪問を受けた。しかし、平田は、今はおちぶれて破産寸前の織物工場をやっており、謙造に何とか融資の口をきいてほしい気持らしかった。数日後、由紀は、病院で気管支に悪性の病気があることを告げられた。もともと体が弱い上に、無理がたたったのだ。もう長いことはないかもしれないと思った由紀は、広田の求愛に応じる気になれなかった。一方、耕次のもとにかつての恋人勢津子が、大学病院の研究所入りの話を持ってきたが、潮田の仕事を手伝う決心をした彼は断わった。広田の工場はついに倒産した。ショックを受けた由紀は、病室をぬけだし、雪の中をその工場にかけつけて倒れた。そのため病状は急激に悪化した。恭子は、一目広田に逢わせようと、必死に彼を捜したが、どこにも彼の姿はなかった。その間、由紀は、謙造に見守られながら静かに死んでいった。せきを切ったように泣きだす恭子。葬式の日、広田は、一切を清算して東京で新しい生活をひらくと、恭子に別れを告げた。耕次は、病院をやめ、潮田の手助けをするため四日市へ行ってしまった。恭子の胸に新しい決意の炎が燃え始めた。彼女は、それを謙造に話すと、自分の意志と愛を貫くべく、耕次のいる四日市へと、ひとりで旅立っていった。