ムッちゃんの詩のレビュー・感想・評価
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戦時下における人々の姿と犠牲になる少女の死を扱った映画としても良く出来た反戦映画で、反日と叫ぶ奴は無知蒙昧
戦時下における人々の姿と犠牲になる少女の死を扱った映画としても良く出来た反戦映画
昭和20年5月の横浜から始まり、主人公である12歳の村井睦子のささやか生活が横浜大空襲により母親と弟を失い、母の親類を尋ねて大分に一人疎開するが、そこでも親類は爆撃で叔母にあたる二十歳そこそこの娘である従姉の佳代姉ちゃんと二人で生き抜くために、お座敷料亭で住み込みの生活を始まるが、当時は不治の病である結核にかかり伝染を恐れて村八分にされて薄暗い防空壕に閉じ込められて、最後には衰弱して亡くなる。
全体を通して見ると、野坂昭如原作で高畑勲監督の名作アニメ『火垂るの墓』を思い浮かべるところもあり、大人達の無関心と戦時下における異常な心理を、観客に体験させて省みる作品になっている。
原作は未読ですが、庶民からの反戦映画として、訴える面もあるが、映画や物語としての描写や伏線や小道具を生かした作劇や心理描写キチンとあり、黒澤明監督の弟子として、幾つかの秀作を撮った堀川弘通監督の手腕も光る。
この作品では、三つの赤い色を纏う物によって主要人物達の思いや行動が示されており、睦子が母親から貰い生き方の指針としての赤いお手玉(小豆入り)や姉代わりになる佳代姉の口紅や睦子と金さんが心通わすきっかけになった赤いトマトなどは、作中に何度となく現れて彼女・彼の運命や思いを示す象徴として観客に提示される。特に空襲の中で、恋人との大事な思い出なる口紅を取りに戻り絶命するところや睦子の亡き骸の前で、金さんがトマト取り出す場面なども心に残る。
本作を見て驚くのは、沖縄や硫黄島などがアメリカ軍に攻撃や占領されて既に本土決戦も近いとされる時期で、庶民は食糧難に喘いでいるのにわ上級士官達が料亭で飲み食いして芸者をはべらせていたりする一方で、兵卒は生きては帰れない人間魚雷の回天などの任務を背負わせ、彼らに恋人に会う時間され制限させている描写がある。
料亭に来ている軍人は、敵国のウイスキーを飲んでいたりする!場面もありギョッとする。(実際に多くの若者達を無謀な計画や戦術で戦争に行かせて死に追いやった連中が戦後に責任も取らずにいたりするのは、当時の記録や後の証言でも明らかであり)
更に強烈なのは、朝鮮半島から連行されて強制労働を強いられて酷いと目合わされてきたはずの金さんは、病気の睦子を優しく親身に世話して交流するのと、対象的に同じ日本人を道具の様に扱い、病に犯されると厄介扱いする普通の人々の姿を炙り出しているところである。金さんの最後の言葉は非常に重い。
戦争が背景の作品なので、空襲や病気で亡くなる人の姿も多々描写されるが、児童向けの映画の側面もあり極端な残酷描写は抑えてあり、睦子の家族達が亡くなる場面も直接的な描き方は控えているが、子供でもわかる範囲で見せていると思う。
おそらく低予算と思われる作品だが、美術やロケなども個々職人技で違和感なく見られ、特に初撮影を担当した林淳一郎の画作りは、制約の多いロケやスタジオセット破綻なくこなしている印象でとても良い。
残念なのは今回上映されたプリントが、若干褪色気味の16ミリプリントな点だが、オリジナルは35ミリで撮影されていて、学校や公民館で上映されるのが主な作品なので、さまざま場所で上映し易い16ミリにプリントされたのだろうと予想される。
主演のムッちゃんこと睦子演じるのは、この後にアイドル的な人気もあった子役時代の磯崎亜紀子で、抑制された感情表現も含めて見事な演技である。
睦子を引き取り肺炎になっても必死に面倒をみる従姉の佳代を演じる佐藤万里の重責による焦燥や想い人との束の間の逢瀬の姿も心に残る。
治療のお金を稼ぐ為に、白粉を塗ってお座敷に上がり身売りを連想される行動や睦子に食料を届けるさなかに空襲の中で消えて行く場面も胸が詰まる。
朝鮮半島から連行されて日本にきた金さんを演じるのは、米倉斉加年で80年代初頭に韓国の焼肉タレやキムチを扱うブランドのジャンのCMが有名で、芸術分野でも才能を発揮した才人でもある。
本作を反日映画だ!とレビューしているコメントも見受けられるが、多くの映画を見ていても、何も見ていない非常に無知蒙昧な人が、いるのは残念に思う。(その手の人はコメント欄も閉じている)
何故多くの映画人が、反戦を訴えるのか?は、戦争や歴史を題材にする際に、右左ではなく多くの資料や取材や時に本人の経験基づいて調べたりした上で、最低の愚行だと判断したからである。
戦時下で、厳しい生活をする人々とそれに翻弄されて犠牲になる少女の死を扱った映画としても良く出来ていて埋もれてしまうには惜しい作品だと思う。
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