偽れる結婚
劇場公開日:1949年12月
解説
フランシス・ブレット・ヤングのベストセラー小説の映画化で、レスリー・L・ランドンとエイドリアン・アリントンが共同で脚色し、嘗ては演劇映画の俳優であり、現在は双方の演出をしているハロルド・フレンチが監督した。撮影はフレンチの前作「白ゆりかご館」の名手デリック・ウイリアムスが監督している。主演は「狂乱の狼火」の新スター、マイケル・デニソン、デニソン夫人で同じく新顔スターのダルシー・グレイ、故レスリー・ハワードの息子ロナルド・ハワード、舞台で名のあるスティーブン・マレイで、「情炎の島」「大いなる遺産」のフィンレイ・カリー等である。
1948年製作/イギリス
原題または英題:My Brother Jonathan
劇場公開日:1949年12月
ストーリー
一九〇〇年夏、休暇のある日デカースの二人息子ジョナサンとハロルドは、土地の素封家マーチン邸に招かれ、娘イーディーと知合った。それから数年、母に偏愛された弟はオックスフォード大学に学び、外科医を志すジョナサンは病院の助手として勤務のかたわら、医学を勉強した。婦人参政権運動のデモ行進の騒ぎの時、ジョナサンはイーディーと再会し、美しい彼女に心を奪われてしまう。マーティ家でクリケット試合があった日、二人の父は投資した炭坑が爆発した落胆のあまり、でいすいして自動車にれき殺された、伯父からもらった遺産を父に使い込まれたジョナサンは、ロンドンで開業するための資金がフイになり、後家になった母が半狂人で、家宅整理を承知しないため、また弟を卒業させるため、彼はウェンズフォード町で、開業医ハモンド老人のパートナーとなった。ハモンドには気立てのよい美しい娘レイチェルがあり一人で看護婦と家政婦の仕事を受持っていた。ジョナサンの母と弟のために尽くす献身的愛情を知ると、レイチェルは彼を憎くからず思う心が募った。しかし彼はイーディーに夢中で、大陸漫遊中のイーディーと一週に二、三回も文通するという熱中ぶりで、レイチェルの思いはとどきそうもなかった。大学を卒業したハロルドは外務省に勤めることになった。一九一三年の大晦日の夜、ジョナサンはイーディーと正式に婚約するつもりであったが、ロンドンへ行ってみると、イーディーはハロルドと恋仲になっていた。翌一九一四年夏、欧州大戦がぼう発し、ハロルドは応召したが、軍医を志したジョナサンは銃後の衛生の義務が医者としてあるため、従軍を許可されなかった。事実ジョナサンの活躍は目覚しく、ウェンズフォードの働く庶民層は、ほとんどハモンド・デカース医院の患者であった。町には鉄工場を経営しているヒギンスが寄付した慈善病院があったが、ヒギンスの娘婿クレイグ医師が主任であるため、有産有閑階級の患者が専門で、貧困者の入院をことわっていた、又ヒギンスが経営している住宅は不衛生なので、ジョナサンはそれを指摘して州の医務官へ通告した。イーディーが弟の恋人となってしまったことは、ジョナサンの目を開き、彼ははじめてレイチェルの姿と心の美しさを認め、互いに告白せぬままに、愛し合っていることを感じ合っていた。折しもソンムの激戦でハロルドは戦死した。しかもハロルドの子を妊娠中のイーディーは、結婚否定の恋愛享楽主義がたたって、ハロルドと結婚していなかった。イーディーの名誉を救うこともだが、生ま出る子を私生児にするに忍びず、ジョナサンはイーディーと結婚した。彼女を二十メートルはなれた家に母と同居させ、彼はハモンドの家に起きふしていたため、クレイグはジョナサンが不品行であるといううわさをまきちらした。時しもジフテリイにかかった少年を手術したあと、伝染病としての申告をしないで慈善病院に入院させたジョナンサンを、クレイグは医師法違反として、病院医院会で査問することとなった。査問会には臨月の体をおして、イーディーが出席、ジョナサン不品行のうわさを身をもって否定すると共に、ジョナサンはクレイグ医師ならびにヒギンス等が病院を、私服を肥やすために利用していることを確証をあげて証明し、ジフテリイ患者は完全に隔離したから伝染の危険はないと言明したので、傍聴していた町民達は拍手してジョナサンを支持した。クレイグ、ヒギンス一派は辞職し、慈善病院ははじめて慈善施設となった、イーディーは男子を出生して産褥に死し、ジョナサンがレイチェルと結婚して自分の子を育ててくれる様にと遺言した。
スタッフ・キャスト
- 監督
- ハロルド・フレンチ
- 脚色
- レスリー・L・ランドン
- エイドリアン・アリントン
- 原作
- フランシス・ブレット・ヤング
- 製作
- ワーウィック・ウォード
- 撮影
- デリック・ウィリアムス
- 美術
- Douglas Daniels
- 音楽
- ハンス・メイ