ニーベルンゲン クリームヒルトの復讐

解説

“ニーベルンゲン”(Die Nibelungen)の後編。前編の「ニーベルンゲン ジークフリード」と同じ顔振れの人々によって製作された。即ちテア・フォン・ハルボウ女史の脚色、フリッツ・ラング氏の監督で、この編に入って出演する人にはアッティラ王に扮するルドルフ・クライン・ロッゲ氏(「化石騎士」「ドクトル・マブゼ」主演)がある。無声。

1924年製作/ドイツ
原題または英題:The Vengeance of Kriemild Die Nibelungen Kriemhilds Rache

あらすじ

夫ジークフリードを殺したハーゲン・トロンエに復讐を誓ったクリームヒルトは、日夜機の到るを待っていた。ハン族の王アッティラは武将ルディガー伯をクリームヒルトの兄ギュンター王の許に遣わし、クリームヒルトを妻に欲しいと申込んだ。クリームヒルトの心は既に夫ジークフリードの死と共に死んでいたが、復讐を遂げる手段として、彼女はアッティラの妻となることを承諾する。程なく二人の間には男の子が生れた。喜んだアッティラ王は何なりと望みを云うようにとクリームヒルトに申出た。兄達を王の城に招いてくれ--それがクリームヒルトの望みであった。彼女は仇敵ハーゲントロンエが必ず兄達と共に来る事を知っていた。ギュンター王一行を歓迎する盛大な宴が開かれた時、クリームヒルトの命を受けたハン族はブルガンディーの軍を襲った。ハーゲン・トロンエは幼なきアッティラ王の子息を手にかけたので、今迄平和を望んでいたアッティラは激怒し我が居城に立て篭るブルガンディーの一族との間に猛烈な戦端を開く。アッティラ王の命で城に火が放たれた。ギュンター王の軍勢は炎のうちに全滅したが、ハーゲンは最後までギュンター王を護っていた。居残った二人がクリームヒルトの前に引出された時、クリームヒルトはハーゲンの盗んだニーベルングの宝物の在所を聞いたが、ハーゲンは王の命あらん限り口外せぬと嘲う。クリームヒルトは兄ギュンター王を殺したが、ハーゲンは尚も口を緘して宝の在所を云わなかった。クリームヒルトは彼がジークフリードから奪ったバルムンクの剣を揮ってハーゲンを斃し、亡夫の血が浸込んだ土にハーゲンの血を吸わせた。クリームヒルトはかくして復讐を遂げ亡夫の跡を追って世を去り、アッティラは彼女の死骸を抱いて果敢なき運命を嘆いた。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

映画レビュー

4.5 復讐にすべてを捧げる

2025年12月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

『クリームヒルトの復讐』は、第一部の「神話的英雄譚」から一転し、愛と誇りを失った一人の女性が、憎悪そのものへと変質していく過程を描いた壮大な悲劇として立ち上がってくる作品だと思います。第一部では、ジークフリートとブリュンヒルトという“神話的存在”が物語を牽引していましたが、第二部では時間の流れが現実的な密度を帯び、人物の感情が神話的象徴から“生身の倫理”へと引き寄せられていきます。その中心に立つのが、タイトル通りクリームヒルトです。

彼女は夫ジークフリートを殺された瞬間から、物語世界そのものの軸を塗り替えていきます。もはや彼女の生は「幸福を求める人間の生」ではなく、「復讐のためだけに存在する意志」へと収束していくのですが、その変貌は必ずしも単純な“悪”として描かれてはいません。むしろラングは、クリームヒルトの悲劇を「愛の純度ゆえの破滅」として提示し、彼女が辿る道が避けられない宿命のようにも見えてしまうのです。

興味深いのは、第一部ではほとんど掘り下げられなかったクリームヒルトの“内面”が、第二部で突如として厚みを持ち始める点です。第一部の彼女は、美しく善良で、物語の中心からは少し外れた“理想の姫君”として存在していました。しかし夫を失った瞬間、その像は完全に崩れ落ち、彼女自身が“語り手であり行為者でもある存在”へと反転します。ここで初めて、ラングが第一部から仕掛けていた構造的な罠──すなわち「クリームヒルトは途中まで主要人物の地位が隠されている」──が明らかになるように感じました。

第二部の構造は非常に明快です。
クリームヒルトが抱えた傷が癒えないまま時間が進む → 王侯貴族の倫理や秩序が彼女の復讐を止められない → その“穴”を利用して彼女の意志が暴走していく。
この流れは、まるでラングが社会構造そのものの脆弱性を指摘しているかのようです。特に、ブルグントの王族たちが「家名」「誇り」「名誉」といった形式的な価値に縛られ、大局を判断できずに破滅へ向かっていく姿は、のちのドイツの歴史を想起させるものがあり、戦争の予兆や国家の硬直性を暗示するようにも見えます。これは単純にナチスを連想させるというより、「集団の倫理が自己破壊へ向かうメカニズム」を寓話として描いたものだと私は感じました。

クリームヒルト自身は、復讐のために自らの魂を焼き尽くしていく存在です。彼女の選択は倫理的には肯定できないものですが、その破滅に向かう歩みの凄絶さは圧倒的で、むしろ“何かに取り憑かれたような純粋さ”すら漂っています。第一部のブリュンヒルトが誇りを守ろうとして崩壊していったのに対し、第二部のクリームヒルトは“愛ゆえの自己崩壊”へ向かい、二人の女性の彫像が作品全体の両端を支えるような構造になっている点が非常に見事です。

ラングの演出も第一部とは大きく異なり、建築のスケール感、群衆の動き、儀式的な構図などが“集団の運命としての悲劇”を強調しています。第一部が神話的ロマンであったのに対し、第二部はほとんど史劇に近い質感であり、個人の感情が巨大な運命を引き寄せる様子が冷徹なまでに描かれています。最終的にクリームヒルトは復讐を果たしますが、その姿は勝利者ではなく、愛と誇りのすべてを失った“空洞の人物”として立ち現れます。

結果として、二部作全体を貫くテーマは「女性の誇り」「愛の純度」「自己欺瞞と崩壊」であり、第一部のブリュンヒルト、第二部のクリームヒルトという二つの対照的な女性像が、作品全体の精神的中心を形作っていると強く感じました。ラングは英雄ジークフリートに神話的光を当てつつ、その影で崩れていく女性たちの内面こそが、この物語の真の焦点であることを示しているように思います。

鑑賞方法: 活弁付き上映 (2025-12-07) 弁士: 片岡一郎氏

評価: 90点

コメントする (0件)
共感した! 0件)
neonrg

4.5 氷の女帝の復讐は、悲劇で始まり破滅で終わる

2013年9月16日
フィーチャーフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

泣ける

悲しい

興奮

ドイツの国民的叙事詩をフリッツ・ラングが映画化したサイレントの名作後編。
タイトル通り、愛するジークフリートを奪われたクリームヒルトの壮絶な復讐劇が描かれる。

第1部はまだ冒険ファンタジーや英雄物語の形を取っていたが、本作は愛憎渦巻く史劇。スペクタクルなアクション・シーンもアリ。

困ったちゃんでしかなかったクリームヒルトが、復讐という狂気に駆られていく様は恐ろしいほどに凄みがある。
と同時に、過去を忘れられず、取り憑かれた姿は哀しくもある。

妬み、策略、裏切り…。
第1部でも蠢いていたドス黒い感情は、遂には、憎悪、殺意、哀しみへ。
何処で歯車が狂ったのか。一個人に芽生えた浅ましき感情が、やがて国同士や関わった人々の破滅にまで広がっていく。
これは紛れもなく、悲劇の物語だ。

計5時間たっぷり堪能。
このままでも充分面白いが、現代の技術をフルに駆使して新たに映画化してみても面白いと思う。「ロード・オブ・ザ・リング」や「グラディエーター」にも匹敵する事だろう。
そんな夢すら浮かぶ、色褪せない古典!

コメントする (0件)
共感した! 0件)
近大

他のユーザーは「ニーベルンゲン クリームヒルトの復讐」以外にこんな作品をCheck-inしています。