チェリウスキン号の最後
解説
ソヴェートの大北航路局長オ・ユ・シュミット博士を隊長とする一行百四名の遠征隊が一九三三年夏から翌年二月へかけて行った北極洋遠征の記録映画である。一行の目的は北極洋の測量を完成して、最適の航路を発見開拓することが主であった。映画はこの遠征の始終、一行の乗船たる砕氷船チェリウスキン号が氷に圧潰されて沈没し、救援隊に救い出されて母国に帰還するまで、を忠実に撮影したもの。編集には「新女性線」の編集者ヤ・ポセリスキーが当っている。
1934年製作/ソ連
原題または英題:Chelyuskin
ストーリー
一九三三年七月十六日、北氷洋測量遠征隊一行を乗せた砕氷船チェリウスキン号は、市民の見送りを受けつつレニングラードを出帆した。隊長はオ・ユ・シュミット博士、船長は前回のソヴェート北極探険船シピリヤコフ号の船長だった、ウォローニンである。七月二十日コペンハーゲンに寄港し、同二十六日いよいよ極北征服の航路に就いた。チェリウスキン号が初めて氷に遭遇したのは、ノーワヤ・ゼムリヤ局を通過した八月十二日であった。翌十三日には流氷に船首を傷つけられて修理に三日間を要した。十八日クラシン号が救助に来た。二十一日クラシン号に別れて、飛行機を飛ばして安全な航路を偵察しつつ進んだ。かくて一里一里を、一呎一呎を闘って進んだが、コリューチン島を距る六里の海上で、永遠の氷がチェリウスキン号を閉塞してしまった。やむなく一行はここに冬篭りをすることとなった。折柄ワンカレムからチューチク原住民が犬橇に乗ってやって来たので隊員の一部は原住民と同行して本土へ赴き、本土とチェリウスキン号との連絡をとることとなった。その間も一行は気象観測や沿岸調査を行うと同時に氷の虜から脱出しようと努め、遂に十一月四日、ベーリング海峡の無氷の海にあと二里で達するという点まで辿り着く事が出来た。ところが逆風はまたもやチェリウスキン号を北氷洋へと追い返して、氷にとじ込めてしまった。そして翌年二月十三日午後、北の岬から百五十五里、ウェーレン岬から百四十四里の海上で、厚い氷の包囲攻撃を受けたチェリウスキン号は船首、船尾、甲板、舷側、ことごとく離れ々々になって、二時間で沈没してしまった。時は一九三四年二月十三日午後三時三十分であった。しかし一行は、事務長が下船を過って船と運命を共にしたほか、無事下船し、食糧、ラジオ、飛行機などの必要品も救った。そして翌日は氷上にキャンプを建てて救援隊を待つこととなった。救援には、飛行機を搭載した砕氷船スモレンスク号がウラジオストックから、スタリングラード号がペトロパウロスクから赴いた。またクラシン号もレニングラードを出発した。かくて隊員は次々に救助され、遭難から二ケ月後には大部分の隊員がレニングラードに帰還し、北氷洋航路が開かれたのである。
スタッフ・キャスト
- 撮影
- アルカージー・シャフラン
- マルク・トロヤノフスキー
- 音楽
- G・ハンブルグ
- 録音
- S・レンスキー
- 編集
- ヤ・ポセリスキー