カンチェンジュンガの登高

解説

一九三〇年に行われた国際ヒマラヤ探険隊の登高次第を記録した映画で、登高探険はG・O・ディレンフルト教授指揮の下に遂行され、次第はチャールス・デュヴァネル、ウルリッヒ・ウィーラント、ヘルマン・ヘルリン、G・O・ディレンフルトの四氏のキャメラによって記録された。映画製作の指揮はカール・J・フリッチェによったもので、なおこの映画には「吸血鬼」「秋の女性」のウォルフガング・ツェラーが作曲している。因に探検隊はディレンフルト教授を始めドイツ、イギリス、オーストリア、スイス、等の人々十一名か組織されたものであった。ドイツオリジナル版は82分。

1931年製作/55分/ドイツ
原題または英題:Himatschal Der Thron der Gotter

ストーリー

我が地球上に残された最大な謎の未踏地はインド人によってヒマチャール(神々の王座)と呼ばれているヒマラヤ大雪嶺であるが、チベット人はこの神秘境を冒さんとするものは必ず死ぬと信じている。然も、この大雪嶺中の霊峯カンチェンジュンガ(二八一五〇呎)に向っては既に二回も登高失敗の記録があるものであるが、一九三〇年にディレンフルト博士を頭とする探険隊が第三回目の試みを敢行した。即ち、探険隊は四月七日ダージリンを出発し、刺麻教の寺院パミオンヒーで悪魔踊を見物し、更にシキムの峡谷を通り、叢林を抜けて、遂にカン・ラ(雪の峠)五〇八〇メートルをも突破して独立国ネパールへと入った。一行は、ここのクーンザという村落で休憩した後、再び出発して、道々ヤクの群を見つつ、次でジャンヌ氷河を登り出した。そして四月二十六日にはカンチェンジュンガ(大氷河の五つの庫)の麓まで来た。越えて五月一日、六人の欧州人、四十人の作業員から成る決死隊は愈々登高の途に着いた。五月六日、苦闘の後やっと六〇〇〇米の地点に達したが前途には氷壁が頑張っていて進めない。五月九日、凄い雪崩があり、作業員一人の命を失った。一行は、到底この神秘境カンチェンジュンガは人の接近を許さぬものである事を覚り、道を転じて第二の目的たる東ヒマラヤのジョンソン峯(二四三四〇呎)の征服に向った。そして此処で再び苦闘と辛酸とをなめたが、でもヘルリン、シュナイダー、ジョンソン、スマイスの一隊は六月三日に、ディレンフルト教授、クルツ、ウィーラントの一隊は六月八日に、遂に頂上に到達した。斯くてジョンソン・ピークの頂上には四つの旗が翻ったのである。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

映画レビュー

映画レビュー募集中!

この作品にレビューはまだ投稿されていません。
皆さまのレビューをお待ちしています。
みんなに感想を伝えましょう!

レビューを書く