「少しの音が生きている」M(1931) talismanさんの映画レビュー(感想・評価)
少しの音が生きている
とっても面白かった。殺人者の口笛(ペールギュント組曲の「山の魔王の宮殿にて」)、警官が鳴らす笛、会社の終業ベル、「号外!号外!」の声。手回しオルガンが最初は変な音で耳を塞ぐとその音が聞こえなくなり手を耳から外すとまた聞こえる、が繰り返され最後は綺麗な音色になるのを登場人物の立場で観客も体験する仕掛け。重要な役回りを担う盲目の風船売り。サイレントであった映画が初めてとりいれた音は大袈裟でなく僅かなのに効果的で素晴らしかった。目撃証言は全部異なるが、盲目ゆえに耳で証拠を掴んだ風船売り。これは私達に対する皮肉とこれからはトーキー!の宣言のようだった。
映像面でとりわけかっこよかったのが、長方形の大きなデスクを囲んでの警察の会議と丸テーブルを囲むギャング達の相談が、会話内容含めて滑らかに場面転換して交互に映し出されるシーンだ。会議の目的は同じでも動機が異なることに笑える。それから警察のプロトコルの内容を、パシッパシッと写真として観客に見せて示すところもいい。観客にとっては経過の段階を見ているため既視の映像ばかり、つまり観客は知らず知らずギャング団の側に置かれていることに気づかされる。そんな演出がとてもクールだ。
ホテルやカジノやバーを仕切っているギャングにとって、犯人逮捕の為に警察があちこちウロウロしているのは邪魔で商売あがったり、だからこっちで早く犯人を捕まえたい。ギャング側には色んな人達がいる。娘を殺された母親達、乞食達、売春婦、盲目、耳の聞こえが悪い人、前科者。小道具にトランプ、ビアマグ、懐中時計。みんな貧しい。顔が疲れた母親の家事でとりわけ洗濯の大変さに目がいく。生活感が溢れている三文オペラの世界だった。
映画音楽はないし時間も長くない。ギャングといえども犯人には弁護人をつける。挙げればきりがないが、観客に感情移入させずカタルシスを与えない作りはまさにブレヒトだった。