「これは魂の代理戦争なのです」男たちの挽歌 モアイさんの映画レビュー(感想・評価)
これは魂の代理戦争なのです
燃やした偽札でタバコに火を点けるチョウ・ユンファの姿は男のハートに刻まれる名カットである。
かつて喫煙者だった頃の私もこれを真似、スーパーでもらったまま期限が切れた割引券を燃やしてタバコに火を点けようと―アッツッ!
予想よりも火の回りが速い割引券はタバコではなく私の指を焦がし、思わず手を離したそれはシンクの上で燃え尽き灰になる。傍らでは口からこぼれ落ちたタバコが水を吸って湿気ていたのでした。
ほんの少し格好付けようとしただけなのにこの有様である。しかも無頼漢を気取ろうというのに火にビビり、流し台で実行するという小心者っぷり。(おかげで大事には至らなかった訳ですが…。)この恥ずかしい姿を誰に見られた訳でもありませんが、しかし何より自分自身が自分のバカさ加減を改めて見つめているのです。
ただ言い訳をさせてもらうと、私をこんなバカな行動に駆り立てたのはこの映画のせいである。この映画の放つ熱量に当てられ、のぼせてしまったのだ。しかしそれこそが本当の映画なのです。鑑賞後に人をのぼせあがらせる映画こそが真に面白い映画と言えるです。
映画.comにアカウントを作る際、“生涯ベスト5”を設定させられました(私は必ず設定しないといけないと思っていたのですが「未設定」でもよかったらしい…)皆さんもよく分かる事だと思うのですが、こんなもん無茶な話である。好きな映画を挙げだしたらとても5つじゃ収まらないし、ましてや順位なんてその日の気分でいくらでも変動するでしょう。だから私の“生涯ベスト5”はこのアカウントを作成した時の気分の記録です。しかしそれでも大抵の日においてこの「男たちの挽歌」(86年)はランクインしてくるだろうし、むしろこの作品を軸に順位を付けていくかもしれない。私にとってそんな映画なのです。
そんな本作が今回 池袋の新文芸坐にて上映されたので観てきました。上映後にはトーク企画があり、壇上には新文芸坐の花俟氏、映画評論家のくれい響氏、映画ライターのギンティ小林氏が登壇し貴重な話を聞かせてくれたのです。
なんでも今、香港映画が再び熱いらしい。しかし日本では上映館がかなり少ない。そんな現状を打破する一助になればという事で一連の香港映画の上映を企画し、本作もその中の1本であるとの事。うーん、熱い!やはり人を動かすだけの熱量をこの映画は帯びているのです。
トークショーで語られた事によるとこの映画の制作当時、監督のジョン・ウーは香港映画界から干されていたそうだ。そして主人公:ホー役のティ・ロンもかつての人気に陰りが見え、ホーの親友:マーク役のチョウ・ユンファはテレビでは人気の役者だったが映画では出演作が悉くコケて、映画人からは起用を忌避されており、ホーの弟:キット役のレスリー・チャンは元々アイドル歌手で役者稼業を始めたばかりのペーペーだったが、跳ねっ返りなところがこの役にピッタリだと監督のジョン・ウーと製作のツイ・ハークに見染められて起用にいたったとの事なのです。
つまりこの映画は当時の香港映画界に居場所のなかった男たちが集まって作り上げた起死回生の一撃であり、それはまさにこの映画の内容そのものなのです。
普段はおちゃらけて人懐こい笑顔を見せるマーク(チョウ・ユンファ)が過去を述懐し、ふと鬼気迫る表情になり言います『あんな屈辱は二度と受けないと誓ったんだ―』と。しかし、というかやはりというか、この前振りはキッチリ回収され、マークはかつてないほどの屈辱を与えられ、その代わりに地位や名誉や金やとありとあらゆるものを奪われてしまうのです。
あぁ、しかし、人生とはそこいら中に屈辱が埋まっている地雷原を歩くが如しもの。どんなに「あんな思いは二度と御免だ」と思っていても、もう本当に「なんで?」というほど定期的に屈辱に苛まれるものではないですか。別に「一旗揚げてやろう」だとか「人より抜きんでてやろう」だとかいう具合にアクティブに生きている訳でもないのにそうなのです。
“恥じて生きるより熱く死ね!”は男のハートに刻まれる本作の名キャッチコピーです。
そしてボロボロになりながらもマークはこう訴えかけてきます『運命に挑んだことはあるのか?ないだろ?一度もな!』……そのとおりなのですが、何とも酷な事を言うものです。
自分に覆いかぶさってくる屈辱や理不尽に対して挑みかかろうにも、相手の方が立場が上だったり、面白くは無いが確かに非はコチラにあったり、そもそも相手を跳ね返すだけの実力が自分にあるという自信がなかったりと、自分が行動した後の結果の成否や是非をついつい考えてしまいます。
映画の登場人物たちの人生はエンドロールが流れたらそれで終わりですが、私たちはそうはいきません。エンドロールが流れ終わったのを見届け席を立ち、劇場の外へ一歩踏み出せば、そこには再び生きねばならぬ人生が延々と続いているのです。
今後もそこで生きていく事を思えば、この屈辱を黙って受け入れた方がマシだな などと考えて、モヤモヤした物をグッと腹の底に押し込めてしまう事は往々にしてあるのです。
そうして屈辱と挫折を繰り返し七転八倒する内に角が取れ丸く、どんどん小さくなって低い方へ転がっていく人生。このやるせなさを一体どうしてくれようか?
いや、しかし、だからこそ映画の中の彼等には我が身に覆いかぶさる屈辱を跳ね除け、撃ち抜き、運命に挑んで欲しいのです。
バイクでマークの元へ駆けつけるホーの様に、戦場と化した波止場へボートの舵を切ったマークの様に、自分の思い描いた未来を捨てて友の元へ馳せ参じる姿に、自分はそうは生きられなかった事を思い、保身のために誰かを裏切った事を、誰かを失望させた事を、誰かを傷つけた事を、もう取り返しようもなく過ぎていったあの瞬間の事を脳裏によぎらせ、そして祈るようにスクリーンを見詰めるのです。
できる事と言ったら割引券を燃やしてタバコに火を点けるのを失敗する事くらいしかない私に代わって、そのべらぼうに弾の飛ぶ二丁拳銃を撃ちまくり、人生を燃やし、爆発炎上させてくれと―。
そうして映画が回っているこの時だけは、あの素晴らしいメロディがアレンジを変え様々なシチュエーションにフィットして流れているこの瞬間だけは、私もこの男たちと一緒になって熱く死ねるのです。
気づき、学び、刺激…何を求めて映画を観るのかは人それぞれ、その時々だと思いますが、この映画は私が映画を観る一つの動機なのです。
いくつも共感どうもです。
モアイさんも長嶋茂雄ファンですか?
チョウ・ユンファ、カッコよかったですね。
大胆で、それでいて植木鉢に銃とか計画的で。また、よろしくお願いします。