小さな英雄の詩

劇場公開日:

解説

一九四一年、ナナス・ドイツの突然のロシア侵入によって両親を失ったワーシャ少年の放浪の物語。一九七一年のモスクワ映画祭で「全ソ連邦教育省賞」、全ソ映画祭では最優秀賞の「スカーレット・カーネーション」を獲得した。製作はベラルスフィルム。監督はレフ・ゴルーブ、脚本はコンスタンティン・グバレビッチ、撮影はグリゴーリ・マサリスキー、音楽はゲンリフ・ワグネフが各々担当。出演はイリヤ・ツッケル、ゲンナジー・ユフチン、ペトル・パブロフスキー、G・ガルバク、P・コルムニン、オレフ・エスコラ、O・シャルコヒなど。

1971年製作/83分/ソ連
原題または英題:Oginsky's Polonaise
配給:松竹映配
劇場公開日:1972年6月10日

ストーリー

一九四一年六月、ナチス・ドイツは独ソ不可侵条約を破ってソ連に攻撃を仕掛けた。キエフ、ハリコフの要衝を占領されたソ連軍はようやく立直り首都をクイビシェフに移し、長期戦の体勢を整えた。四一年の冬が訪れたが戦線は膠着し、破竹の勢いのヒットラーも壁にぶつかった感があった。それから一年半余、一九四三年一月、スターリングラードでドイツ軍を包囲全滅させたソ連軍が猛反撃にでるまでは、白ロシアは厳しいナチの占領下に置かれた。その占領下のころ、白ロシアの首都ミンスクに近い市の音楽学校に通うワーシャ(イリヤ・ツッケル)は、ナチスの侵略によって孤児になってしまった。十歳になったばかりのワーシャは、子供オーケストラのコンサート・マスターをやれる程バイオリンが得意だったので、両親を失ってからというもの、村から村へバイオリンを弾きながら物乞いをして空腹を満たしていた。ある日森の中で、ワーシャはパルチザンの一隊にであった。老若男女、服装もまちまちだったが、祖国奪回の気意に燃える戦士たちの中に、どこか父を思わせる、逞しい男マクシム(ゲンナジー・ユフチン)にワーシャは親しみを覚えた。そして自然に彼らの仕事を手伝うようになった。ワーシャはバイオリンを弾きながらドイツ兵に近づき、僅かな油断をついて橋梁を爆破させた。その結果、軍用列車が駅に集結し、マクシムとワーシャは乞食姿に化け、見事駅を爆破させた。爆発後、一斉逮捕が始まり、マクシムは捕えられた。一方ワーシャはドイツ兵の手を逃れ、教会に飛び込み、そこでポーランド人のオルガン奏者フラネク(ペトル・パブロフスキー)にかくまわれた。フラネクは、ワーシャがバイオリンを弾くことを知ると“オギンスキーのポロネーズ”をいっしょに弾いた。それはポーランドの独立を謳う舞曲であった。だが、ワーシャを捜しにきたドイツ兵に捕えられた彼は、ドイツ軍指令部に連行された。怪しいとは思いながらも、子供のワーシャには指令官のカンツ(オレフ・エスコラ)は優しかった。ワーシャの弾くトロイメライにピアノで伴奏をつけるカンツは音楽好きなドイツ人だった。だが、ドイツ兵の証言で、ワーシャは駅爆破事件の仲間だとわかってしまい、マクシムのいる個室に連れていかれる。マクシムはワーシャのいる前で拷問を受けたが、パルチザンのアジトはいわなかった。歯をくいしばるワーシャの青く澄んだ瞳から涙がこぼれ落ちた。フラネクの巧妙な作戦ではあったが、ワーシャは地下道を潜って森の仲間に連絡することができた。そしてパルチザンの主力は、マクシムたちの救援に町の広場に向った。広場は閃光とライトに照らしだされ処刑台にマクシムが上る。教会から朗々と“オギンスキーのポロネーズ”が鳴りだす。フラネクが弾き始めるのを合図に銃声と硝煙が広場を覆った。パルチザンの奇襲がマクシムたちを救ったのだ。ベルリン陥落を最後にこの大戦は終った。再び平和が甦えったワルシャワの国際音楽コンクール会場に、強く美しい“オギンスキーのポロネーズ”が響く。凛々しい青年に成長したワーシャが弾いているのだ。やがて嵐のような拍手。会場の一隅から「ワーシャ」と叫んで立った老人、それはフラネクだった。舞台をかけおりて、無事の再会を喜びあう二人は、しっかりと抱きあった。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

映画レビュー

映画レビュー募集中!

この作品にレビューはまだ投稿されていません。
皆さまのレビューをお待ちしています。
みんなに感想を伝えましょう!

レビューを書く