仁義(1970)

劇場公開日:

解説

決して会ってはならぬ五人の男が、運命の糸に繰られて対決へ追いこまれる。友情と裏切りがあやなす意地と仁義の男の世界の物語。製作ロベール・ドルフマン、監督・脚本は、「影の軍隊」のジャン・ピエール・メルヴィル、撮影を「サムライ」のアンリ・ドカエ、音楽は「シェルブールの雨傘」のミシェル・ルグラン、出演は「ボルサリーノ」のアラン・ドロン、「パリのめぐり逢い」のイヴ・モンタン、「サムライ」のフランンワ・ペリエ、「クリスマス・ツリー」のブールビル、「血斗のジャンゴ」のジャン・マリア・ヴォロンテなど。

1970年製作/フランス
原題または英題:Le Cercle Rouge
配給:東和
劇場公開日:1970年12月12日

ストーリー

マルセイユ--パリ間の夜行列車のコンパートメント内、一人は刑事=マッティ(ブールビル)、一人は容疑者=ボーゲル(G・M・ヴォロンテ)。マッティが寝入るとボーゲルは安全ピンを取り出し、針の先をヒン曲げ手錠の鍵穴にさしこんだ……。マルセイユから程遠くない刑務所。年期開け近くもう出獄というコレー(A・ドロン)に古顔の看守が宝石店を襲う仕事をもちかけていた。しかし、彼は「別に大きな仕事をしなくとも俺は食える」と断った。コレーには仲間のリコ(A・エキナン)に“貸し”があったのだ。出所後、彼がくらい込んでいる間に勢力を伸ばしたリコを訪ね“貸し”を求めたがリコは言を左右にして断わる。コレーは一喝してかなりの札束をものにした。リコの追手を背後に古巣パリへ向かったコレーの車のトランクに、突っ走る列車から脱出したボーゲルが偶然もぐり込んできた。勿論、マッティの追求は随所の非常線、検問所に及んでいた。が、危機はリコの追手が先だった。コレーが捕えられた時、ボーゲルの凄腕が披露された。二人は友情を深めたが、困ったことに敵と共に札束が穴だらけになり一文ナシとなったのだった。コレーの脳裏裡にいつかの看守の話--パリの高級宝石店の話が浮かんだ。厳重な防護設備を破るには、射撃の名人が必要だった。ボーゲルの昔の仲間で元警官=ジャンセン(Y・モンタン)が呼出される。「仕事を手伝ってもらいたい」「よかろう」。計画は順調に進み出した。一方、マッティも黙ってはいなかった。彼はかねて親しいヤクザの一人、サンティ(F・ペリエ)を訪ねた。サンティが“イヌは嫌だ”と断わると、一計を案じ、彼の息子をマリファナ常習者だと逮捕して恫喝した。サンティも息子への愛には勝てなかった。網は巧みにはられた。一方、ジャンセンの精巧な腕が50米離れた防犯ベルを射抜き、コレーとボーゲルの“仕事師”ぶりも見事に発揮され宝石店襲撃は成功した。二〇億旧フラン。金に代える為に故買商が必要だった。しかし、市場はリコに押さえられていた。最後の頼みは昔の仲間サンティだった。場所はパリ郊外の空地。三人が赴いた時、出向えた故買商それはマッティだった。ボーゲルが彼を見て叫ぶ“逃げろ!”同時に警官隊のピストルの火が吹いた。

全文を読む(ネタバレを含む場合あり)

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

関連ニュース

関連ニュースをもっと読む

フォトギャラリー

  • 画像1

(C)1970 STUDIOCANAL - Fono Roma

映画レビュー

4.0淡々と折り重ねられていく動作の美学

2020年2月26日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

メルヴィル作品の中でも「サムライ」と並んで人気の高い一作。この巨匠の描く世界はどこかブルーとグレーの合間のひんやりと冷たい温度感を持ち、一見すると人と人との関係性は無機質で血の通っていないように思えるけれど、その実、溜めに溜めたテンションが一瞬の動きや決断によって一気に解き放たれる構成がたまらない。

本作では運命のいたずらで巡り合った男と男が、ほとんど言葉も交わさぬまま助け合い、いつしか一蓮托生とばかりに大きなヤマへと挑むことになる。男たちの表情からは相変わらずほとんど感情が読み取れないし、彼ら俳優の演技がたっぷりとしたものにならぬよう、メルヴィル自身が編集であえて淡々としたタッチを作り出しているようにも思える。感情の代わりに本作のエンジンとなるのは、目的に向けて淡々と折り重ねられていく動作だ。工学的なまでに緻密に組み立てられていく物語に、一度はまりだすと止まらなくなる中毒性すら感じる。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
牛津厚信

4.0赤い環をつなぐ5人

2023年7月14日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

完璧な映画と思った。

冒頭に出る「ジャン=ピエール・メルヴィルの作品」というクレジットが、すべてを表している。メルヴィルは、おそらくこの作品が当たらなければ、フランシス・フォード・コッポラと同じように個人資産を失ったのだろう。それを背景に、極めて緊張感にあふれた脚本を書き、演出し、編集に集中した。一番感じられるのは、静謐。間違いなく、日本映画から来たものだろう。まっすぐキタノにつながっている。「サムライ」に続いて、今回は邦題を「仁義」としたことも、うなずける。特に、パリ・ヴァンドーム広場の宝石店を襲うセリフのない25分間が圧巻。時間配分から考えても、ラストはお決まりに近い形か。

映画からの帰り道、外堀通りを飯田橋駅に向かって歩きながら、原題である「Le Cercle Rouge(赤い環)」って、何を指すのか考えた。しばらくして、次の5人を指すのかなと思った。

まず、偶然に知り合う主人公の二人、マルセイユ近郊の刑務所を出所したばかりのコレー(アラン・ドロン)とマルセイユから夜行の寝台列車でパリに護送されるヴォーゲル(G・M・ヴォロンテ)。次に、ヴォーゲルを護送する列車から逃がしてしまった警視マッティ(A・ブールヴィル)と、その上司で監察局長のマルシャン(P・アミオ)。彼らは、一度にではなく、輪で繋がれるように、順繰りに出てくる。そして、最後にマルシャンの教え子、マッティの元同僚であり、ヴォーゲルの仲間でもあったジャンセン(イヴ・モンタン)が、コレーとヴォーゲルの仲間に加わって、宝石店を襲う計画を進める。彼らは宝石店に侵入して手に入れた宝飾類を換金しようとするが、マッティは、3人を罠にかけようと企み、それを見守るのがマルシャン。最初に、ヴォーゲルに逃げられてパリに戻ったマッティに、捜査の継続を指示したマルシャンがかけた言葉が、最後になってまた出てきて、環が閉じる。何という周到な設定と脚本。

環を回しているのが、ヴォーゲルの昔の仲間で、彼らに代わりの換金商の紹介を頼まれたのにマッティに情報を提供するサンティ(フランソワ・ペリエ)と、コレーの昔の仲間で彼を裏切った上に、彼らの選んだ第一の換金商の仕事を邪魔するリコ(アンドレ・エキアン)。少なくとも、ヴォーゲルとマッティの間には、乾いた友情「仁義」が感じられる。

演技の中心は、何と言ってもアラン・ドロンの演ずるコレー。「サムライ」に続いて、ドライでニヒルな設定が生きる。アメリカからの影響も顕著で、彼が乗り回す車は、アメ車、プリムス。サンティの経営するナイトクラブでは、美しい女性たちのアメリカ風のダンスが楽しめる。イヴ・モンタン演ずる、アル中から回復した無類に格好いいジャンセンは、おそらく自分の運命を知っていたのではないか。彼の射撃する姿は、そのまま「ジャッカルの日」に引き継がれている。

50年以上経っても、今に生きるフランス映画、フィルム・ノワールの傑作!

コメントする (0件)
共感した! 0件)
詠み人知らず

3.0仁義というより友情

2023年6月13日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

アラン・ドロンの最後の出演作だそうで。
とにかくセリフも少なく
見分けが難しい自分は画面をみっちり
観てないと分からなくなりそうだった。

色々とすねに傷を持つ者や
堕落して再起を目指す者と
何かしらどん底かもがいて抜けようという
輩が集まって大きなヤマにかける。
爽やかなラストとは言い難いが、
最後の方は似たような境遇の者同士
義理というよりは友情なのでは?と
感じた。
しかし少々冗長だったように思う。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
こまめぞう

5.0小学生にして、これが人生初体験となったアラン・ドロン映画

2023年4月29日
iPhoneアプリから投稿

’70年の作品である。
なんの予備知識もないまま、名画座の三本立て作品の1本として観た、というか観てしまった?、劇場で観た初めてのアラン・ドロン映画となった作品。
リバイバル公開された「さらば友よ」よりもこちらを先に観ている。

だから、アラン・ドロンという名前だって、何処かで聞いたことがある、なんか(ハンサム系とか)で有名なヒトじゃなかったかな程度の認識。

当時はまだ小学生だったから、それまでの日常はその殆どが(子供を意識している)勧善懲悪的なモラリーなものなどだった。漫画本、TVマンガ等も、TVドラマとかだって。
まだTVの「ルパン三世」なんか存在しない。

そうした時代、年齢にして初めてこうした映画の洗礼を受けた作品であろう、かつ生涯脳裏に焼き付いて離れないモノ。

そもそも、犯罪者=悪人=暗黒街の人物たちが主人公?
その者たちが引き起こす犯罪がストーリーって??

しかし、そんな事はすぐに関係なくなる。
生々しい主人公たちの描写に、そんな事思ってる間も無く、どんどんと引き込まれて行ってしまい、余計なこと考えたり退屈してなど居られない、画面から目が離せない状態のうちに終盤を迎えてしまった。

結末からすれば世の常の、お決まりのように「悪者は滅んで、正義(警察)が勝利する」のであるが、それだけでは済まない、説明がつかない、そうした事を超越した、凌駕してしまう何かを感じてしまったのだ。

この映画から、その後の映画人生の全てが始まってしまったようにも思える。

因みに日本公開版は3時間は無く、短縮されたアメリカ公開版に準じた2時間半は無いくらいの「レッド・サークル」バージョンだったか?
というのは、後のレーザーディスクや初期DVDで発売されていたのは、そちらのバージョンでガッカリさせられたから。

現在のDVD等はフランス本国オリジナル版のノーカットで鑑賞可能となった。
遅ればせながら、公開から数十年経ってサウンドトラックも発売されたことには全くのビックリでした。

今思うに、恐るべき映画とそれに出会ったしまった恐るべき小学生の運命かな(!?)

コメントする (0件)
共感した! 0件)
アンディ・ロビンソン