「純愛を貫き通す15歳の少女の覚悟の選択を描いたアメリカ映画」ビリー・ジョー 愛のかけ橋 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
純愛を貫き通す15歳の少女の覚悟の選択を描いたアメリカ映画
ボビー・ジェントリーのヒット曲『Ode to Billy Joe』(1967年)に肖った映画化で、主演のカップルに「ジェレミー」で好演を見せたロビー・ベンソンとグリニス・オコーナーが3年振りに共演を果たす。注目すべきは、脚本に「おもいでの夏」のハーマン・ローチャーと、同じく音楽にミシェル・ルグランが担当していることだ。
舞台は1953年のミシシッピ州の田舎町。主人公ボビー・リー・ハートリーの家に水洗トイレが漸く取り付けられる時代背景が面白い。父と母と兄の4人家族構成で特に変わったところの無い平均的な家庭だ。誠実な父の一人娘への躾けは厳格で、昔気質の考え方の持主である。勿論信心深いキリスト教徒ゆえ、家にはよく神父さんが訪ねてくる。それを親切に応対するシーンが温かく、この映画のひとつの魅力になっている。母は年頃になったボビーの成長に敏感に反応してくれるが、最終的な決め事は父任せである。観ていて食い足りないのは、やはりアメリカ映画にあるキリスト教の価値観が大きいからだろう。兄は村の中でも好青年のようだが、女遊びもよくするし、ボビーに好意を抱く18歳のビリーを仕事場でからかうところは、未だ人としての未熟さを見せる。これら家族に囲まれた15歳のボビーは、密かにビリーに惹かれるも行動は消極的だ。アメリカでも南部の田舎町の古い風習とキリスト教の教えに忠実な生活信条が窺われる。
この若いカップルの恋愛は、町の祭りを境に悲劇に転じてしまう。ビリーが働く仕事場の主人に、神に逆らう行為をさせられたというのだが、勿論場面で明確に表現する訳ではなく、その苦悩はビリーがボビーの前に現れ只泣き濡れて茫然としている姿で観客に解らせる。これから二人の純粋な恋愛を始めようとしていた時の、この事件でビリーは自分を責めることしか出来ない。
結末は、ビリーの自殺とボビーの純愛を貫き通す覚悟で綺麗に終わる。ボビーに子供を孕ませたことで自殺を選択したとみる世間の好奇を受け入れ、誰の罪も責めず一人町を去るボビーは、ビリーの心を奇麗に遺す純愛を選択をする大人になっていくのだ。
女性の純愛と男性の純愛が成就しない悲劇だが、それぞれに相手を想う恋愛劇として異色のアメリカ映画になっていた。そこにはキリスト教の戒律と封建的なアメリカ南部の価値観が影響して、昔の時代を色濃く反映させている。ロビー・ベンソンはこの難役ビリーを見事に演じて、グリニス・オコーナーもボビーの内面を良く表現している。地味な恋愛映画ではあるが、内容の深いアメリカ映画であり、考えさせる題材の作品だった。
1978年 9月4日 中野武蔵野館