エレファント・マンのレビュー・感想・評価
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観ていて息苦しかった(すごい)
観ていてとても息苦しく感じました。頭痛い
見慣れない白黒映像のせいなのか、作品の雰囲気のせいか、序盤の全体的にある得体の知れなさのせいか、ジョン・メリックの苦しそうな呼吸音のせいか、わからないですが…。
個人的に、当時の時代背景を考えると、ジョンを差別する人々を責める気にはならないです。
ジョンがもう気づいていたとおり、人間は、自分の知らないものを恐れるので。
(でも院内で働きながらジョン見世物にして金稼いでた奴は気に食わん。)
寧ろ、無知で浅慮な人々がかわいそう。
自分の頭で考えられないという点では、ジョンよりかわいそう。
上手く伝えるのは難しいけど、ジョンに優しく接した人もそうでない人も本質的には変わらない気がしました。
フレデリック医師はジョンに知能があることを知る前までは、実験体のように扱っており、その後は普通の患者のように、友人のように接するようになりました。
看護婦たちもある程度関わるようなってから恐れず接するようになり、
意思のある一人の人間として報ぜられたことで、女優さんやその他面会を求める人々、劇場で拍手喝采を送った人々もジョンを肯定的に捉えたのだと思います。
彼らの行動次第で、見世物小屋の仲間の言葉を借りれば、運次第でジョンの周りの評価や環境が変わると身に染みました。
私自身も、最初はまったく言葉を発さず意思表示をしないジョンを不気味に思ってしまいました。ただ見た目に関しては、そういう人々がいることを知ってたのでそれほど恐く思いませんでした。そこが、知っている人と知らない人の違いでしょう。
どうしてジョンはこんな扱いを受けても表面上は穏やかでいられるんだと不思議でしたが、
終盤で自分はエレファント・マンじゃないと叫んだとおり、
医師が与えた、人としての生活をするまでは、自分の意思表示をすること自体を知らなかったということだと思います。
終盤のジョンと比べると、最初のただただ心穏やかなジョンはまるで意思のないロボットのようで人間味が無く感じられます。
人間らしい生活を知ったことで、
見世物小屋の仲間に手助けしてもらってバイツから逃げたり、
自分の感情を表出させたり、
最期の選択を自分で決めるようになった
と考えると、
ジョンが本当に意思をもった一人の人間になれたのは、環境の変化によるものだと思いました。
あと最近の風潮から考えると、拍手喝采のシーンはカムアウトにならないかなーとちょっとモヤっとしました。
ジョン自身の気持ちは完全にはわからないので、何とも言えませんが。
同じように、顔を見せるか隠すかの権利についても考えてしまいます。
やはりジョン自身で決めるという発想には至らないと思うので、周りが選択肢を提示してほしい。
こういった差別とか人権とかの問題は、良い悪いでは片付かないものなので、難しいですよね。
見世物小屋自体も非人道的ではあるけど、廃止されたらされたで、障害のある人々が生活に困ったという話も聞いたことがあるので…。
色々考えさせられました。
とりあえず福祉の充実と教育と、本人の意思の尊重が大事。
実話という衝撃
映画にそこまで明るくない父親がこの映画の話をしていたため、気になって鑑賞。
白黒映画で、カット割りも昔を感じる。
アンソニーホプキンスの面影がなくてびっくり。
酷い登場人物も多いが、主人公を含め優しい人々に救われる。
見世物小屋というものがあったことに驚いた。
元となった人物のWikiを読んだが、生活に困った挙句、見世物小屋に自ら応募したようだ。
今となっては考えられないが、それを娯楽とされていた時代があったのか。興味深い。
ラストどうなったのかは見た人次第の解釈だが、本人は自殺はしていないらしい。
大昔観たけれど再度
悲しい物語だったと言う記憶はあったけれど、殆ど忘れてしまっていたのでもう一度観直す事に。
驚く事に物語ではなく実話を元に作られた作品でした!
ジョンを救っているつもりでもやっている事は見世物小屋の主人と同じではないかと苦悩する医師。ジョンは特に治療もないのに若い医師たちや世間に姿を晒されるようになりそれでも幸せなのかと私も思いだしました。しかしジョンは医師を(彼にとって初めての)友人又は恩人だと思い、彼の言葉を信じ世間に姿を曝け出したのでしょう。
この医師役を演じているのはアンソニーホプキンス。彼の若い姿に驚きましたし、他にも懐かしい役者さんが出てきました。
この様な劣悪な環境で見せ物にされていたジョンが、心優しく礼儀正しい振る舞いが出来るとは奇跡に近いでしょう。実際は自ら売り込みにいって生活していたようです。生きていく為には開き直るしかありません。この病気は遺伝病でジョンのお姉さん?も同じ病気だったようです。遺伝病であれば当時治療も難しいと思われ、女性なら尚、辛かっただろうと思いました。
映画に出てくる人々のジョンへの反応は両極端で、人間には相手の立場になって考えられる人とそうではない人で完全に分かれるのでしょうか?
自分ならどのように感じ、どう振る舞い、どう対処出来るのかとそれぞれの立場で考えてしまう映画でした。
ラストシーンで映画プラトーンで聴いた曲が使われていて、「こちらが先だったのか!」と思いました。
僕は動物ではない人間なんだ!
もうね、いたたまれない気持ちにさせられる悲しすぎる映画ですよ。心優しい青年ジョン・メリックは、全身が畸形ということで彼を利用する周りの人々…。
群衆に追いかけられ、公衆トイレに追いつめられて、「僕は動物じゃない。僕は人間なんだ!」と叫ぶ場面は衝撃的であり悲しい名シーンとなりました。まさしく、彼の心の叫びが爆発してしまったシーンです。
そうなんです。
本当に醜いのは、エレファント・マンの外見ではなく人間の心…。
それでもメリックは、今まで味わったことが無いトリーヴスの親切に心を開き彼にとっては産まれてはじめての友人となっていきます。その様子は、とても微笑ましく救われる気分にもなれました。
ベットに横になって眠ること、人間が普通にできることです。最後は、その人間が普通にすることで、メリックはそっと命を落としていきます。彼はただただ普通の人間として生きていきたかった。それだけを願いつづけた一生でした。
考えさせられる。
鑑賞前は闇が深く救いのないものと覚悟していたが、
意外にもハートフルでハッピーエンドだったので驚き。
この映画に感想を綴るには一言で足りそうだが、
鑑賞記録として感じたことを残しておきたい。
まず、メリックの容姿が明かされるまでのホラー感からは
想像もつかないような展開になるので戸惑った。
ホプキンス演じる先生との出会いがなければ、
一切救いはなかっただろう。
また、見た目に大きなハンディキャップを背負っていても
それを認め前を向いていれば、助けてくれる人はいるんだと
そういう気持ちにさせてくれた。
ただ自分がホプキンスようになれるかと考えると
あの最後の劇場で拍手する一員程度だろう。
そんな自分に悲しくもなってしまった。
偏見でいじめるようなクズには絶対にならないが、
積極的に手を差し伸べられない自分はもどかしい。
自分自身を深く見つめ直すきっかけになった。
実在した人物ということで、実際に起こった物語とは
違うところが多々あるとはいえ、
世界中でこの映画を検索し、プロテウス症候群の
存在を認知することで少なからず、偏見を減らすことに
貢献していると思うので、この難しい物語を映像化に
踏み切ったリンチは素晴らしい。
Am I a good person? 人間の醜美とは?
人生初デビット・リンチ‼️
観たことないのになんとなく変な映画を作る人イメージがあったデビット・リンチ監督。「エレファント・マン」は古い映画だし重い内容だろうけど、「映画好きなら観とかないといけない」っという妙な使命感で劇場に足を運んだのですが・・・いや~良かったです。
正直言ってジョン・メリックの姿はそこまで驚かなかったというか。顔を出すまで物凄く引っ張るのでドンドン妄想が膨らんでいって、象のように鼻が長かったりするのかなっとか、もはやエイリアンな姿を考えてたりしたのですが、いざ顔が出ると、「あれ?意外に普通じゃん」っと思ってしまった自分がいます。スゴい事はスゴいのですが、これまで変な映画観てて耐性がついていたからでしょうか?いや、もし実生活でお客さんとか取引先の人だったら初見はビックリすると思いますけど、なんだかんだで外見って観てると慣れるもんですし。でも、あの麻袋かぶってる姿のデザインは秀逸ですよね。両目見えてるのに片方だけしか穴を空けてない所とか。あれ一発でエレファント・マンとわかる印象に残るデザインです。
で、ジョン・メリックにはそんなに抵抗を覚えなかった分、あの酔っ払いどもに腹が立って腹が立って。ジョンがホント可哀想で。ジョンは何もしてないのにかまうなや!って思って、もうあいつら最悪でしたね。素朴な感じのジョンとの対比で酔っ払いどもマジ醜い。そういう風に作ってあるんでしょうけど、デビット・リンチ監督見せ方上手いわ。嫌なヤツをちゃんと嫌なヤツとして描いてる。後ろからポカンとやった婦長さんはグッジョブでした。
怖い人なイメージしかないアンソニー・ホプキンスが良い医者役だったのも良かったですね。ってかアンソニー・ホプキンスが出ていた事自体知らなくって、最初に登場した時はお!有名俳優いるやんっと思いました。ジョンの姿を初めて見た時に涙するシーンは何だか迫力あります。で、医者として、またジョンの友人としても色々悩むんですよね。暗い部屋で「自分は良い人間なんだろうか?」っと自問自答している姿は印象的でした。きっとジョンに友人と言われる度に心の中で葛藤があったんだろうなぁ。
もしかしたら金持ちの偽善にジョンを晒し者にしていただけかも知れないのですが、個人的には偽善ってそんなに否定するものでもないと思ってるんですよ。だって、その行為で助かる人もいるわけですし。個人的にわりと献血に行ったりするのですが、例えば「献血で貰えるレトルトカレーとかの土産を目的に献血してます」なんて言ったら、それは偽善になるのでしょうか?この映画で言えばジョンは楽しそうに会話してましたよね?まぁ、そこで悩む所にトリーヴスのドラマがあるんですけどね。
でも、現代ならインターネットがあるので人前に出なくってもできる仕事はいくらでもあるのではないかと思いますが、あの時代だとそれこそ見世物小屋に自分を売るしかなかったのでしょう。わざわざ金払ってまで変な人を観たいかっと問われると、今の感覚だと大半の人間は「NO」ではないでしょうか?それでも本作では時代的な悲劇性もあるのでしょうけど、根底に流れる「自分と違う者を恐れる感情」は今も昔も変わらないのかも知れません。例えば宗教に置き換えるともうちょっと感覚が掴みやすいかも。
差別って無意識でやってる事も多くって、大半が相手に対する無理解からくるんですよね。でも、そもそも論で「自分が自分が」で他人を理解しようとしない人間なんて腐る程いますし。それでも多様性が叫ばれる昨今、多少やり過ぎな面はある問題は別としても、世の中少しはマシになっているのではないかと思いたい。そう信じたい。そんな風に思った作品でした。うん、観て良かった。
同情は善か悪か
とにかくショッキングで目を覆いたくなるシーンが何度もあった。
トリーヴスは最初は親身に寄り添いジョンを救おうとしたけれど、だんだんジョンを持て余していったように感じた。
ジョンがバイツに連れ去られた後は自分に「俺はよくやった」と言ってジョンのことを諦めてしまうし(私が若くて未熟だから誠実性に疑問を抱いてしまったのかも)ジョンは何度もトリーヴスをはじめ周りの人々のことを「マイフレンド」と呼んでいるけれどそれに同じ言葉を返すことはない。
ジョンからトリーヴスへ向けられていたのは友情というよりは同情であったと思う。
エレファントマンは同情は悪かどうか、ということを考えさせられた。夫人が言っていたように、もちろんバイツの元にいた頃よりは待遇はいいだろうが、実際は客層が変わっただけで見世物になっていることはやはり否定できないし、自由に外に出ることは出来ず、聖堂の全貌を自分の目で見ることもできない。他の人々が当然に享受している幸せとは程遠い。私たちがジョンのような人と接する時、どうしても相手は弱者であるという認識を持ってしまう。
それは目に見える障害を持っている人にたいしてだけではない。少しでも自分より不幸せで、それに悩んでいる人に対して、その大きさは異なれど相手が弱者であるという気持ちで接してしまうだろう。
果たしてそれは良いことなのか、悪いことなのか、私には分からなくなってしまった。結局、自分のできる範囲でしか彼らに寄り添うことができないからだ。彼らの幸不幸に責任を持つことができない。実際トリーヴスも、病室ではなく自宅の一室に住まわせておけばあんな目に遭わずに済んだと思う。そんな立場で中途半端に手を差し伸べることは正しいんだろうか。もちろんあのままバイツの元にいるよりはよかったけれど、でも本当の意味で幸せにはなれなかったからあの結末になってしまったわけだし……
でも駅で「I'm a human being !」って言えたのはトリーヴスが根気よく向き合ったおかげだよな、とか。でもそのせいで自分と他者の違いが浮き彫りになっちゃってまえよりつらくなったんじゃ、とか。考えても答えは出ないです。
そのような人たちに対してフラットに接することができればな、と思った。フラットがどういうものなのかというのが難しいのだけれど。
あと、終盤の劇場を観に行ったジョンは、演者と自分の差にきっと苦しくなっただろうなと思った。同じように自分自身を売り物にしているのに、仕事に対する誇りや、他者から向けられる視線は全く逆のものであるから。
あとは細かい部分に19世紀ロンドンの文化が詰め込まれていておもしろかった。手袋をしないで手術をするシーンや蒸気機関、王族女性が手を入れてたモコモコとか。
それに音の使い方が効果的だった。今も列車の音や水の音、時計の音などが耳に残っているし、病室に観客が押し寄せて酒を浴びせるシーンなどは、明るい音楽がどんどん高くなっていって息が苦しくなった。
あのシーン、嫌がる女たちとのキスでケンドール夫人との綺麗な思い出がどんどん塗り替えられていくようでめちゃくちゃしんどかった。
ストーリーは本当に重くてしんどくてトラウマになりそうなほどだけれど見てよかったなと思うし、映像作品としてもやっぱり素晴らしかった。あの残酷さとそれに伴う人々の高揚感は今の時代じゃ撮れないなと思う。
あとみんな演技が上手で素敵!ケンドール夫人との面会シーン、夫人が緊張しているのが一目で見て取れてあんなに表情を操れるのってすごいなって思った。
穿った見方かもしれないけど、ケンドール夫人も100%善意だったのか分からなくてこわい。
ジョンが話す言葉は全部明るい言葉ばかりで、つらいとか痛いとか絶対思っているはずなのに一言も言わないから、幸せです、ありがとう、とかも本心なのかなって考えてしまった。
今だからこそ観る価値のある作品かと思います。
当時、リアルタイムで上映されていた時はまだ小学生でショッキングな映像に興味を引かれるだけでしたが、その後テレビで何度か観賞していますが、作品のメッセージ性を確りと感じ取る所まで至らず今日に至りますが、それでも大まかに覚えているのはやはり印象深い作品だからでしょうね。
そんな「エレファント・マン」を初めて劇場観賞しました。で再観賞は約30年振りぐらいです。
で、感想はと言うと、面白かったと良い方はちょっと語弊のある感じですが良かったです。
重いけれど改めて良い作品で、いろんな事を確りと考えさせられる作品です。
当時はあのエレファントマンの格好はちょっとしたブームになり、いろんな漫画作品なんかでも、蔑まされた人物の描写にはあの格好がモデルになってるのを見ました(「キン肉マン」のウォーズマンの幼少期とか)
いろんな偏見も含めての格好ではありますが、インパクトは絶大で映画としてのアプローチとしてはかなり上手いのではと思います。
実在の人物、ジョン・メリックの半生を描いていますが、モデルとなるメリックの悲劇を描いていて、障害の持ち、迫害されてきたジョンとアンソニー・ホプキンス演じるトリーヴス医師に出会ってから人として過ごすが様々な事件が発生する。
外見だけで人を差別する人間の醜さをまざまざと見せつけながら、人としてどう生きるか、どう接するかを教えてくれます。
特にトリーヴス医師が最初にジョンに出会った時の涙とジョンが大勢の人に追い掛けられ、トイレで"私は人間だ"と大声で訴えかけるシーンは胸熱。
切なくて、涙腺が緩みます。
実存の人物、ジョン・メリックは難病による外見の奇形に苛まれて、様々な迫害を受けますが、今から40年前の作品ですが、かなりショッキングに描いています。
地上波での放送がここ20年以上されていないのはいろんな倫理的問題で放送が困難かと思うのですが、この作品は人間の心根の部分における物語を描いているので、勿体ないと言えば勿体ない。
何も分からなかった頃はショッキングな描写に釣られて見てたりしても、この作品のテーマを理解すると単に描写だけで判断するのはどうかと思うんですけどね。
またトリーヴス医師に出会ってからジョンの環境は一変したけど、好奇心の目でジョンを見る人達の「優しさ笑顔の下にある偽善」は人としての本質を突いている。
サーカスの興行主のバイツや夜警のジムの振る舞いなんかは物凄く腹がたちますが、貴族の間でジョンに合う事がステイタスみたいになって、ただ流行に乗っかったみたいに会いに来る貴族達の方がよっぽど黒い。
かと言ってケンドール夫人の様に振る舞えるかと言えばなかなか難しい。
人としてどうあるべきか?人をしてどう行うべきか?と今観ても問い掛けてきます。
ラストもある意味で自殺ではありますが、人として幸せな時に終える事は今までのジョンなら考えられなかった事。
なので、このラストは個人的には納得ですし、良いラストかと思います。
トリーヴス医師を演じるアンソニー・ホプキンスは大好きな「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクター博士がドハマり役でもうアンソニー・ホプキンス = レクター博士のイメージですが、若い頃のアンソニー・ホプキンスは結構貴重。
でも、やっぱり医者なんですねw
ジョンと出会った時に涙するシーンは美空ひばりさんが歌唱中に意図的に涙を流す映像を思い出しました。
やっぱり名優は一味違いますし、その力量を堪能出来るのもこの作品の醍醐味かと思います。
また、監督のデヴィッド・リンチは「イレイザーヘッド」や「ツイン・ピークス」なんかでも有名で「カルト映画の帝王」と呼ばれてますが、エレファント・マンを観ている限りでは全然カルトでは無いんですよね。
アプローチがカルトなだけでw、ツボを押さえたクセになる作り方が個人的には良いんですよね♪
子供の頃には縁日でたまに見かけた「見世物小屋」も今は人権問題で殆ど現存せず、また劇中の様なサーカスの住人達も今では殆んど居ないかと思います。
ただ、個人的には何でもかんでも人権問題を大上段に振りかざし、反対の声を高らかに叫ぶ風潮も正直どうかと思う。
その人達の食い扶持というんだろう観点で言えば、必ず保証がされる訳では無いし、やっている人達だってプライドを持って取り組まれている方も多い。
「笑われているのではない。笑わしているんだ」と言う事なんですよね。
話は少し逸れましたが、今観てもショッキングで切なくてグッと来る物がありますし、改めた観る価値はあると思います。
古い作品なので知らない方もおられると思いますが、良ければ観て頂きたい作品です。
夜がまた来る・・・
モノクロだけど4K修復版は凄かった。ジョン・メリックの特殊メイクもさることながら、布に開けた目の周りを縫ってあるところまで鮮明に。58針くらい縫ってありましたよ(適当)。30数年前にTV放映で観たのを最後にリピートせずにいた甲斐がありました。その当時は紙袋を被ってエレファントマンごっこなんて流行りましたよね・・・
今回、最も強烈に感じたのは人の痛みを知ることの大切さといったところでしょうか。年をとったせいか涙もろくなり、医師フレディ・トリーヴス(ホプキンス)の家に招待されたとき、妻アンの優しさに触れ、どっと涙が溢れてしまいました。ケンドール夫人(バンクロフト)とのロミオとジュリエットの本読み、見世物小屋仲間の助け、そしてトイレに追い詰められたジョンが「I'm a human being」と悲痛な叫びも同様、涙ちょちょ切れです。ようやく自分にも人間らしさが戻ってきました。エレファントマンごっこなんて不謹慎も極まりないことです。
また、新たに思いを巡らせたのはラストで彼が自殺するシーンです。知性があり、感情も豊かであったことから、初めての演劇鑑賞や完成した大聖堂の模型に満足したこともあったでしょう。夢に包まれている気分だったに違いありません。世話になったフレディへもう迷惑をかけられないとも思ったことでしょう。「あなたはロミオよ」という言葉を思い出したのかもしれません。そして、何と言っても普通の人と同じように横たわって寝ること!どれだけ普通の人になりたかったことでしょう。彼の病室にはケンドール夫人の写真よりも目立っていた“寝ている人”の絵が飾ってありました。ベッドに仰向けに寝ることは彼にとって“死”を意味します。
星降る夢のなんと幻想的なことか。ジョンはやっと普通の人になれたのです。しかし、余韻に浸ろうとするのにリンチ監督はそれを許しません。あっという間に会場が明るくなり、こうやってレビューして思い出してまたさらに感涙。
デヴィッド・リンチの名作
公開当時、非常に話題になっていたにも関わらず怖くて見なかったものの、ずっと気になっていた。ジョン・ハートが普通の外見の俳優だと知ってホッとしたのを覚えている。見世物小屋の見世物として最低の暮らししかしておらず、最初はYes/Noも言えなかったエレファント・マンが、顔の造作の関係で上手くは喋れないけれど実は高い頭脳と気高い内面を持っていて、ドクターの家に招かれて家族の写真を見せてもらい、自分の唯一の宝物である美しい母親の写真を見せて、母親への思いを語るシーンは感動。病院に引き取られたエレファント・マンは隔離病室で暮らすが、病院の下劣な使用人が、お金を取って窓からエレファント・マンを見せるが、カーテンを引けば良いのに!と思う。
ちょっと気になったのは、結局エレファント・マンの内面の美しさを見抜き、普通の人間として扱うのは医師や一流の女優といった高貴な人たちで、奇異な外見を怖がり面白がるのは労働者階級、ということになっている点。
見世物小屋で働いている少年は、なんとデクスター・フレッチャー!
自分の心と葛藤
この作品に限らずこういうタイプの作品を観ると自分の心の醜さを感じ観終わった後にモヤモヤしてしまう。
この作品には多くの醜い心をもった人物が描き出されている。ジョンに暴力したり罵声を浴びせるような醜い心を持ち合わせてる事はないが、では彼のような奇病の者が目の前にいて助けを求めていたら助ける事ができるか。恐らく自分にはできないし、色物で見てしまい避けてしまうのが現実であろう。
そういう自分を想像すると、暴力や罵声を浴びせるような者と根本は変わらないんじゃない気がしてきてなんだかモヤモヤした気持ちになる。
話は作品内容に戻るが、今作は4Kリメイク上映ということで足を運んだ。そんなに画質が良くなったようには個人的には思えなかった。
もう40年も前の作品になる為近年の作品描写とはやはり異なる部分や違和感を感じるところもあるが、それでも見易く色々と自分の心と会話ができる作品である。
感動ポルノを題材にした重み
見世物小屋の酷さとか、当時の人々の人権意識の低さとかがテーマではないと思う。私たちは良いことをしている、という満足感を得るための対象としてしか見てもらえないことも障がい者の苦痛になっているのではないか。
リンチとは思えない感動作
イカれた映画ばっかり撮っているキチGUY監督リンチの作品とは思えない、スタンダードな造りの映画でした。普通に胸に沁みる感動作。
とはいえ、異形の者の悲しさを描いた本作はとてもリンチっぽいとも思えます。
その風貌から見世物小屋の興行師バイツの所有物として生きていたジョン・メリックさん。しかし、彼を見て興味をひかれた医学者トリーブスに引き取られ、実は高い知性を持つ心優しい人物とわかり、彼のQOLは上がっていく…そんな話でした。
トリーブスは、自分はバイツと同じでメリックさんを見世物にしてあるのでは、との葛藤で苦しみますが、はっきり言って倫理的には一緒だと思います。
しかし、トリーブスはメリックさんの尊厳を大事にするよう心がけています。見世物の仕方も、彼を奇異な存在としてではなく、すごい風貌だが心は綺麗みたいなプレゼンをしてます。なので、現実的にはメリックさんのQOLも自尊心もガン上がりだと思うので、トリーブスは単純に良いことしてるな、と思ってます。葛藤するのも彼の誠実さの現れですよね。
あと、『ワンダー 君は太陽』でも描写されていましたが、外見ってある程度慣れますね。初めてメリックさんを見たときはかなりビビりましたが、物語が進むにつれて、「メリックさん、目が綺麗じゃん」とか思うようになりました。内面に魅力があると、外見に対する印象も変わっていくな、と実感しました。
そして鑑賞後に、実はエレファントマンとはリンチ自身なのではないか、と考えています。
『イレイザーヘッド』を撮るほど、頭のおかしいリンチは、日常生活に心から適応できていたとはとても思えません。そのため「自分は異形の存在だ」と実感していたのではないでしょうか。
しかし、『イレイザーヘッド』でカルト監督としてある程度の名声を得て、本作のような規模の作品を撮ることができるくらい世間から承認されました。異形であっても真価が認められる喜びが本作から伝わってきたため、意識的かどうかは不明ですが、少なくとも無意識的にリンチはメリックに自分を重ねていたのでは、なんて想像しました。
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