エレファント・マンのレビュー・感想・評価
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映像、音響、クリーチャー。デビッド・リンチらしさに貫かれた本作
20065.リンチ作品の原点にして、最高傑作であるイレイザー・ヘッドに続く長編第2作目。ヒューマニズムを描くドラマの根底に光るシュールレアリスム。4K修復版が大正解
同情は善か悪か
とにかくショッキングで目を覆いたくなるシーンが何度もあった。
トリーヴスは最初は親身に寄り添いジョンを救おうとしたけれど、だんだんジョンを持て余していったように感じた。
ジョンがバイツに連れ去られた後は自分に「俺はよくやった」と言ってジョンのことを諦めてしまうし(私が若くて未熟だから誠実性に疑問を抱いてしまったのかも)ジョンは何度もトリーヴスをはじめ周りの人々のことを「マイフレンド」と呼んでいるけれどそれに同じ言葉を返すことはない。
ジョンからトリーヴスへ向けられていたのは友情というよりは同情であったと思う。
エレファントマンは同情は悪かどうか、ということを考えさせられた。夫人が言っていたように、もちろんバイツの元にいた頃よりは待遇はいいだろうが、実際は客層が変わっただけで見世物になっていることはやはり否定できないし、自由に外に出ることは出来ず、聖堂の全貌を自分の目で見ることもできない。他の人々が当然に享受している幸せとは程遠い。私たちがジョンのような人と接する時、どうしても相手は弱者であるという認識を持ってしまう。
それは目に見える障害を持っている人にたいしてだけではない。少しでも自分より不幸せで、それに悩んでいる人に対して、その大きさは異なれど相手が弱者であるという気持ちで接してしまうだろう。
果たしてそれは良いことなのか、悪いことなのか、私には分からなくなってしまった。結局、自分のできる範囲でしか彼らに寄り添うことができないからだ。彼らの幸不幸に責任を持つことができない。実際トリーヴスも、病室ではなく自宅の一室に住まわせておけばあんな目に遭わずに済んだと思う。そんな立場で中途半端に手を差し伸べることは正しいんだろうか。もちろんあのままバイツの元にいるよりはよかったけれど、でも本当の意味で幸せにはなれなかったからあの結末になってしまったわけだし……
でも駅で「I'm a human being !」って言えたのはトリーヴスが根気よく向き合ったおかげだよな、とか。でもそのせいで自分と他者の違いが浮き彫りになっちゃってまえよりつらくなったんじゃ、とか。考えても答えは出ないです。
そのような人たちに対してフラットに接することができればな、と思った。フラットがどういうものなのかというのが難しいのだけれど。
あと、終盤の劇場を観に行ったジョンは、演者と自分の差にきっと苦しくなっただろうなと思った。同じように自分自身を売り物にしているのに、仕事に対する誇りや、他者から向けられる視線は全く逆のものであるから。
あとは細かい部分に19世紀ロンドンの文化が詰め込まれていておもしろかった。手袋をしないで手術をするシーンや蒸気機関、王族女性が手を入れてたモコモコとか。
それに音の使い方が効果的だった。今も列車の音や水の音、時計の音などが耳に残っているし、病室に観客が押し寄せて酒を浴びせるシーンなどは、明るい音楽がどんどん高くなっていって息が苦しくなった。
あのシーン、嫌がる女たちとのキスでケンドール夫人との綺麗な思い出がどんどん塗り替えられていくようでめちゃくちゃしんどかった。
ストーリーは本当に重くてしんどくてトラウマになりそうなほどだけれど見てよかったなと思うし、映像作品としてもやっぱり素晴らしかった。あの残酷さとそれに伴う人々の高揚感は今の時代じゃ撮れないなと思う。
あとみんな演技が上手で素敵!ケンドール夫人との面会シーン、夫人が緊張しているのが一目で見て取れてあんなに表情を操れるのってすごいなって思った。
穿った見方かもしれないけど、ケンドール夫人も100%善意だったのか分からなくてこわい。
ジョンが話す言葉は全部明るい言葉ばかりで、つらいとか痛いとか絶対思っているはずなのに一言も言わないから、幸せです、ありがとう、とかも本心なのかなって考えてしまった。
清く優しく美しく
運命の手綱を握り合う、興行師と医者
内情は違えど、似通う思惑
翻弄され、従うだけの主人公
醜さなど微塵も感じないと言えば綺麗事
愛を知らない彼は、闇夜を彷徨う象の化身
愛に包まれた彼は、ロマンと知性の飼育人
愛、安心、心の拠り所。
これさえあれば、生きていける。
見つけてしまえば、迷わず生ける。
無償の愛こそ生きる糧。
約40年経ても色褪せない人間の尊厳を問う問題作
滋賀県大津市の大津アレックスシネマにて『エレファント・マン<4K修復版>』を公開3日目に鑑賞。
約40年前、私が未だ中学生当時に大ヒットした際には、ホラー映画かと思って勘違いをしていて鑑賞せず終いでしたが、今回鑑賞することが出来て本当に良かったです。
そもそもは、怪物の様な特異な容姿から「エレファント・マン」と呼ばれ見世物小屋に入れられていた、実在したジョセフ・メリック青年(映画ではジョン・メリック)の数奇な悲しい生涯をモデルにした、人間の尊厳を問うマイノリティの半生を描く大人気戯曲があったそうなのですが、デヴィッド・リンチ監督は、アンソニー・ホプキンス演じるトリーブス医師が残した彼の回顧録に着想を得ながら、その戯曲とはまた違ったアプローチで映画化。
「切なさに胸が締め付けられる」というキャッチコピーにも嘘偽りのないほどに、実に切ない感動的な映画でした。
ジョン・ハート演じる素顔を隠して解き放つ純朴なメリック青年に扮した演技には心奪われるものがありました。
大女優ケンドール夫人役演じるアン・バンクロフトがメリック青年と一人の人間として心から交流を深める描写も良かったでした。
また、トリーブス医師が「私は見世物小屋の興行師ハイツと同じなのではないか」と自問自答したり、病院内の世界を見世物小屋と比較するなど、デヴィッド・リンチ監督が意識的に盛り込んだ、人間の尊厳を問うための構造的な仕掛けにも心揺さぶられました。
メリック青年が、目では見えない部分を想像力で補って作り上げた大聖堂の模型も、人間の尊厳や、或いは見かけからは垣間見られない内面をも真正面から見つめる暗喩として理解することも出来るでしょうね。
観客は少ないながらも、シクシクと泣いておられた若い女性客も居られるなど、日本初公開から約40年経っても実に色褪せない感動作品でしたので、決してホラー映画ではなく、人間の尊厳を描いた問題作なので、是非とも多くの人にも観て頂きたい傑作でした。
従いまして、私的な評価と致しましては、
人間の尊厳を問う問題作であり、40年を経た今も尚、色褪せない感動作品であり、傑作かと思いますので、五つ星評価的には、満点評価の★★★★★五つ星の評価が相応しい作品かと思いました次第です。
今だからこそ観る価値のある作品かと思います。
当時、リアルタイムで上映されていた時はまだ小学生でショッキングな映像に興味を引かれるだけでしたが、その後テレビで何度か観賞していますが、作品のメッセージ性を確りと感じ取る所まで至らず今日に至りますが、それでも大まかに覚えているのはやはり印象深い作品だからでしょうね。
そんな「エレファント・マン」を初めて劇場観賞しました。で再観賞は約30年振りぐらいです。
で、感想はと言うと、面白かったと良い方はちょっと語弊のある感じですが良かったです。
重いけれど改めて良い作品で、いろんな事を確りと考えさせられる作品です。
当時はあのエレファントマンの格好はちょっとしたブームになり、いろんな漫画作品なんかでも、蔑まされた人物の描写にはあの格好がモデルになってるのを見ました(「キン肉マン」のウォーズマンの幼少期とか)
いろんな偏見も含めての格好ではありますが、インパクトは絶大で映画としてのアプローチとしてはかなり上手いのではと思います。
実在の人物、ジョン・メリックの半生を描いていますが、モデルとなるメリックの悲劇を描いていて、障害の持ち、迫害されてきたジョンとアンソニー・ホプキンス演じるトリーヴス医師に出会ってから人として過ごすが様々な事件が発生する。
外見だけで人を差別する人間の醜さをまざまざと見せつけながら、人としてどう生きるか、どう接するかを教えてくれます。
特にトリーヴス医師が最初にジョンに出会った時の涙とジョンが大勢の人に追い掛けられ、トイレで"私は人間だ"と大声で訴えかけるシーンは胸熱。
切なくて、涙腺が緩みます。
実存の人物、ジョン・メリックは難病による外見の奇形に苛まれて、様々な迫害を受けますが、今から40年前の作品ですが、かなりショッキングに描いています。
地上波での放送がここ20年以上されていないのはいろんな倫理的問題で放送が困難かと思うのですが、この作品は人間の心根の部分における物語を描いているので、勿体ないと言えば勿体ない。
何も分からなかった頃はショッキングな描写に釣られて見てたりしても、この作品のテーマを理解すると単に描写だけで判断するのはどうかと思うんですけどね。
またトリーヴス医師に出会ってからジョンの環境は一変したけど、好奇心の目でジョンを見る人達の「優しさ笑顔の下にある偽善」は人としての本質を突いている。
サーカスの興行主のバイツや夜警のジムの振る舞いなんかは物凄く腹がたちますが、貴族の間でジョンに合う事がステイタスみたいになって、ただ流行に乗っかったみたいに会いに来る貴族達の方がよっぽど黒い。
かと言ってケンドール夫人の様に振る舞えるかと言えばなかなか難しい。
人としてどうあるべきか?人をしてどう行うべきか?と今観ても問い掛けてきます。
ラストもある意味で自殺ではありますが、人として幸せな時に終える事は今までのジョンなら考えられなかった事。
なので、このラストは個人的には納得ですし、良いラストかと思います。
トリーヴス医師を演じるアンソニー・ホプキンスは大好きな「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクター博士がドハマり役でもうアンソニー・ホプキンス = レクター博士のイメージですが、若い頃のアンソニー・ホプキンスは結構貴重。
でも、やっぱり医者なんですねw
ジョンと出会った時に涙するシーンは美空ひばりさんが歌唱中に意図的に涙を流す映像を思い出しました。
やっぱり名優は一味違いますし、その力量を堪能出来るのもこの作品の醍醐味かと思います。
また、監督のデヴィッド・リンチは「イレイザーヘッド」や「ツイン・ピークス」なんかでも有名で「カルト映画の帝王」と呼ばれてますが、エレファント・マンを観ている限りでは全然カルトでは無いんですよね。
アプローチがカルトなだけでw、ツボを押さえたクセになる作り方が個人的には良いんですよね♪
子供の頃には縁日でたまに見かけた「見世物小屋」も今は人権問題で殆ど現存せず、また劇中の様なサーカスの住人達も今では殆んど居ないかと思います。
ただ、個人的には何でもかんでも人権問題を大上段に振りかざし、反対の声を高らかに叫ぶ風潮も正直どうかと思う。
その人達の食い扶持というんだろう観点で言えば、必ず保証がされる訳では無いし、やっている人達だってプライドを持って取り組まれている方も多い。
「笑われているのではない。笑わしているんだ」と言う事なんですよね。
話は少し逸れましたが、今観てもショッキングで切なくてグッと来る物がありますし、改めた観る価値はあると思います。
古い作品なので知らない方もおられると思いますが、良ければ観て頂きたい作品です。
ほとんどの映画で婦長さんは大体正しい!
「エレファント・マン」4K修復版で鑑賞
映画の前半、エレファント・マンの姿は
ほとんど映し出されることなく
暗がりに潜むシーンやカーテン越しのシルエットなど
まるでスリラーの様な緊張感。
この映画初見の人には、
画面に彼が映し出されるシーン自体が
一つのハイライトともなっています。
いわゆる19世紀末の産業革命後のイギリスの
街や大気の汚さ(公害や汚水)が
否応なく伝わってきるモノクロの画面。
労働者の過酷な労働状態や
貧富の格差もさることながら
人権意識が低かった19世紀末の様子と
エレファント・マンの気持ちなど御構い無しに
彼を利用しようとする人の心の醜さ
偽善的行為の連続に
いわゆる残酷シーンとは違う意味の
観ていて辛くなるシーンも多く
公開当時、10代だった私は映像的にも内容的にも
大きな衝撃でトラウマ映画でもありました、が
それでも、当時、観て良かった!!
なので今回も、
39年前の自分に会いに行く様な気持ちで
鑑賞しました。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
今回特に心を惹かれたのは
エレファント・マンを見世物小屋から救い出した
アンソニー・ホプキンス演じるトリーヴス医師の心の動き。
初めてエレファント・マンを観た時の表情!
ワンカットでの見事な演技!
トリーヴス医師には最初、
医師としての人体への探究心や
功名心もあったかもしれない。
でも、この時の表情があったからこそ、
観ている方もトリーヴスの心を信じることができた。
なのに中盤、あることを看護婦長から忠告された時の
トリーヴスの少々そっけない対応に
人の心の危うさや移ろいやすさを感じた。
やがてトリーヴスが自身の行動を冷静に考えだす。
エレファント・マン
つまりジョン・メリックにとって
自分は善き人、良き友だろうか?
人の心は危うい。
最初から悪意を持って振る舞う人間はともかく
悪意はなくとも、その人の立場や事情によって
態度が変わってしまうことはまま、あるし
善意だと自分では信じていても
角度を変えれば偽善や売名行為に変質していることも〜
ジョンがトリーヴスに何度も「友よ」と呼びかける。
おそらく誰よりも人の心に敏感なジョンは、
トリーヴスが自分にとって「良き友」でいてくれる
今だから、ある行動をとったのでは?
本当に深い映画です。
チャンスがあれば
是非、劇場で集中して観てください。
==========
いつも「共感!」やフォローをありがとうございます。
人の感想を読んでしまうとすぐ影響されてしまうので
皆さんの評論は遅れて少しづつ拝見してます。
どうぞよろしくお願いします。
🎻ゆるやかに演奏せよ
最近BS放送にて、何回も観たからも〜観ないわ‥ と思いつつもチャンネルを回したらやっていたのをついまた観てしまった『プラトーン』(ちなみに『グラン・トリノ』も同じく)で、♫「弦楽のためのアダージョ(意味:👆🏼タイトル)」というもの悲しげな曲が流れているのを再認識し、同じ曲が印象的に使われているというこの映画を改めて観たくなったので、またまた晩に人の来なさそうな劇場にシアターイン。
この作品は全くの初見ではないですが、基本的に私はモノクロや古い映像が苦手でありながらも、4Kリマスター版のお陰でこれはそこらへんは苦にならず、初めて観たかのような気分で鑑賞することができました👍🏼
後から調べたところでは、このジョン・メリックさんは12歳頃までは身体的に普通な状態だったようで(訂正: wikipediaによると生後21ヶ月までだったそうです)、故に難病が発症してからの彼の苦しみ哀しみを想像しますと、なんとも相当の御苦労を耐え忍んでこられただろうことに畏敬の念を抱きます。
トリーヴス医師が誰かに似てるな🤔?と思いつつ・・、
『グレイテスト・ショーマン』のことを思い出したりしつつ・・、
男塾のコスプレをしていた勝新さんみたいな病院のバンカラ守衛にムカついたりしつつ😡・・、
自分なら彼をあれほどもてなし続けられるだろうか🤨と自問自答したりしながら観てました。
件の♫〜アダージョはラストシーンにて。
取りあえず彼の苦労多き、でも晩年は愛情に癒されたであろう生涯を讃えて+⭐️
ちなみにだからなんだという話ですが、このレビューは慣れない左手🤚🏼のみでフリック打ちして書き込みました📱
映画館で
中学生の時、新宿プラザ劇場に見に行った事を思い出しました。満席で入場出来ず見れませんでした。懐かしい思い出です。
TVのオンエアで見ているので、初見では無いです。
今回、劇場で鑑賞出来て良かったです。
フレディ・フランシスのシネスコの絵が素晴らしいです。リンチ印全開の世界です。ストレートストーリーの優しい眼差しが好きなので、この作品も好きになりました。
夜がまた来る・・・
モノクロだけど4K修復版は凄かった。ジョン・メリックの特殊メイクもさることながら、布に開けた目の周りを縫ってあるところまで鮮明に。58針くらい縫ってありましたよ(適当)。30数年前にTV放映で観たのを最後にリピートせずにいた甲斐がありました。その当時は紙袋を被ってエレファントマンごっこなんて流行りましたよね・・・
今回、最も強烈に感じたのは人の痛みを知ることの大切さといったところでしょうか。年をとったせいか涙もろくなり、医師フレディ・トリーヴス(ホプキンス)の家に招待されたとき、妻アンの優しさに触れ、どっと涙が溢れてしまいました。ケンドール夫人(バンクロフト)とのロミオとジュリエットの本読み、見世物小屋仲間の助け、そしてトイレに追い詰められたジョンが「I'm a human being」と悲痛な叫びも同様、涙ちょちょ切れです。ようやく自分にも人間らしさが戻ってきました。エレファントマンごっこなんて不謹慎も極まりないことです。
また、新たに思いを巡らせたのはラストで彼が自殺するシーンです。知性があり、感情も豊かであったことから、初めての演劇鑑賞や完成した大聖堂の模型に満足したこともあったでしょう。夢に包まれている気分だったに違いありません。世話になったフレディへもう迷惑をかけられないとも思ったことでしょう。「あなたはロミオよ」という言葉を思い出したのかもしれません。そして、何と言っても普通の人と同じように横たわって寝ること!どれだけ普通の人になりたかったことでしょう。彼の病室にはケンドール夫人の写真よりも目立っていた“寝ている人”の絵が飾ってありました。ベッドに仰向けに寝ることは彼にとって“死”を意味します。
星降る夢のなんと幻想的なことか。ジョンはやっと普通の人になれたのです。しかし、余韻に浸ろうとするのにリンチ監督はそれを許しません。あっという間に会場が明るくなり、こうやってレビューして思い出してまたさらに感涙。
40年の時を経ても色褪せない
この映画が上映された当時、中学生だった。
40年という時間を経て、また再びこの作品を観られた喜びは【映画だからこそ味わえる至福】他ならない。
素晴らしいキャストの方々が、当然の事ながら他界しているという一抹の寂しさを感じるが……
この時代は洋画・邦画を問わず【いい作品】が多く、今回を機に【再上映】という枠があってもいいのでは?と感じました。
スクリーンという空間は【自分の人生も投影してくれる】と気付かせていただいた。
デヴィッド・リンチの名作
公開当時、非常に話題になっていたにも関わらず怖くて見なかったものの、ずっと気になっていた。ジョン・ハートが普通の外見の俳優だと知ってホッとしたのを覚えている。見世物小屋の見世物として最低の暮らししかしておらず、最初はYes/Noも言えなかったエレファント・マンが、顔の造作の関係で上手くは喋れないけれど実は高い頭脳と気高い内面を持っていて、ドクターの家に招かれて家族の写真を見せてもらい、自分の唯一の宝物である美しい母親の写真を見せて、母親への思いを語るシーンは感動。病院に引き取られたエレファント・マンは隔離病室で暮らすが、病院の下劣な使用人が、お金を取って窓からエレファント・マンを見せるが、カーテンを引けば良いのに!と思う。
ちょっと気になったのは、結局エレファント・マンの内面の美しさを見抜き、普通の人間として扱うのは医師や一流の女優といった高貴な人たちで、奇異な外見を怖がり面白がるのは労働者階級、ということになっている点。
見世物小屋で働いている少年は、なんとデクスター・フレッチャー!
醜さも美しさも外見ではなく心
昔、フィルム上映で観た時より、クリアな印象。
どのくらい4K修復のリマスターが綺麗なのかと観に行ったら、大袈裟かもしれないけど、新作みたいでした。
この画面確認のためだけでも、行ってよかった。
すごいですな、今のリマスター技術は。
ところで、改めての鑑賞で、子どもの頃よりはっきりと「まともな外見でも、エレファント・マンを見世物扱いし、笑い、差別する人間の方がよほど怪物だし醜い」と思わせてくれました。
いや、SNSなどで差別やヘイトが横行する今の時代だからこそ、かえってこの作品のテーマが染みたのかもしれません。
こんな素晴らしい映画がこの世にあったなんて。
おじいさんになってからのジョン・ハートしか知らず、彼の昔の有名出演作らしいということで、4K修復版の劇場公開を とりあえず見に行ったのですが・・・
これがもう、大傑作。ジョン・メリックの心が美しすぎて、観終わっても動揺し続けている。
人生で、この映画に出会えて良かったと思った。だいぶ遅きに失してる感はありますが。
大昔に観たと思いますが、見世物小屋のシーンしか覚えていませんでした...
大昔に観たと思いますが、見世物小屋のシーンしか覚えていませんでした。
子どものころで、怖くて続きが観れなかったのかもしれません。
150年前に比べればよっぽどマシですが、今でも異形の者に対する差別は厳然と存在します。
この映画を観て、少しでも差別が無くなるといいですね。
じぶんの醜い心を映し出す鏡
正直、とても後味の悪い作品である。
なぜなら人間が持つ醜い心を暴き出される映画だからだ。
自分は、研究の好奇心にかられた(最初の頃の)トリーヴス医師であり、カネが人生の全ての見世物小屋の興行主であり、「異形」を怖いもの見たさにかられた見物客、と同じだという「鏡」を目の前に見せつけられる。
David Lynchから大きな課題を与えられたが、今回は簡単に解が出そうにない。
メリックのうつくしい心根が、せめてもの救いだ。
自分の心と葛藤
この作品に限らずこういうタイプの作品を観ると自分の心の醜さを感じ観終わった後にモヤモヤしてしまう。
この作品には多くの醜い心をもった人物が描き出されている。ジョンに暴力したり罵声を浴びせるような醜い心を持ち合わせてる事はないが、では彼のような奇病の者が目の前にいて助けを求めていたら助ける事ができるか。恐らく自分にはできないし、色物で見てしまい避けてしまうのが現実であろう。
そういう自分を想像すると、暴力や罵声を浴びせるような者と根本は変わらないんじゃない気がしてきてなんだかモヤモヤした気持ちになる。
話は作品内容に戻るが、今作は4Kリメイク上映ということで足を運んだ。そんなに画質が良くなったようには個人的には思えなかった。
もう40年も前の作品になる為近年の作品描写とはやはり異なる部分や違和感を感じるところもあるが、それでも見易く色々と自分の心と会話ができる作品である。
全65件中、21~40件目を表示