「観ていて息苦しかった(すごい)」エレファント・マン さば缶のWi-Fiさんの映画レビュー(感想・評価)
観ていて息苦しかった(すごい)
観ていてとても息苦しく感じました。頭痛い
見慣れない白黒映像のせいなのか、作品の雰囲気のせいか、序盤の全体的にある得体の知れなさのせいか、ジョン・メリックの苦しそうな呼吸音のせいか、わからないですが…。
個人的に、当時の時代背景を考えると、ジョンを差別する人々を責める気にはならないです。
ジョンがもう気づいていたとおり、人間は、自分の知らないものを恐れるので。
(でも院内で働きながらジョン見世物にして金稼いでた奴は気に食わん。)
寧ろ、無知で浅慮な人々がかわいそう。
自分の頭で考えられないという点では、ジョンよりかわいそう。
上手く伝えるのは難しいけど、ジョンに優しく接した人もそうでない人も本質的には変わらない気がしました。
フレデリック医師はジョンに知能があることを知る前までは、実験体のように扱っており、その後は普通の患者のように、友人のように接するようになりました。
看護婦たちもある程度関わるようなってから恐れず接するようになり、
意思のある一人の人間として報ぜられたことで、女優さんやその他面会を求める人々、劇場で拍手喝采を送った人々もジョンを肯定的に捉えたのだと思います。
彼らの行動次第で、見世物小屋の仲間の言葉を借りれば、運次第でジョンの周りの評価や環境が変わると身に染みました。
私自身も、最初はまったく言葉を発さず意思表示をしないジョンを不気味に思ってしまいました。ただ見た目に関しては、そういう人々がいることを知ってたのでそれほど恐く思いませんでした。そこが、知っている人と知らない人の違いでしょう。
どうしてジョンはこんな扱いを受けても表面上は穏やかでいられるんだと不思議でしたが、
終盤で自分はエレファント・マンじゃないと叫んだとおり、
医師が与えた、人としての生活をするまでは、自分の意思表示をすること自体を知らなかったということだと思います。
終盤のジョンと比べると、最初のただただ心穏やかなジョンはまるで意思のないロボットのようで人間味が無く感じられます。
人間らしい生活を知ったことで、
見世物小屋の仲間に手助けしてもらってバイツから逃げたり、
自分の感情を表出させたり、
最期の選択を自分で決めるようになった
と考えると、
ジョンが本当に意思をもった一人の人間になれたのは、環境の変化によるものだと思いました。
あと最近の風潮から考えると、拍手喝采のシーンはカムアウトにならないかなーとちょっとモヤっとしました。
ジョン自身の気持ちは完全にはわからないので、何とも言えませんが。
同じように、顔を見せるか隠すかの権利についても考えてしまいます。
やはりジョン自身で決めるという発想には至らないと思うので、周りが選択肢を提示してほしい。
こういった差別とか人権とかの問題は、良い悪いでは片付かないものなので、難しいですよね。
見世物小屋自体も非人道的ではあるけど、廃止されたらされたで、障害のある人々が生活に困ったという話も聞いたことがあるので…。
色々考えさせられました。
とりあえず福祉の充実と教育と、本人の意思の尊重が大事。