オール・ザ・キングスメン(1949)

劇場公開日:

解説

1949年度アカデミー賞を3部門(作品、主演男優、助演女優)受賞しながら、政治の裏側を徹底して暴いているため、政治的圧力を受けて日本公開されなかった問題作。製作・監督・脚本は「ハスラー」のロバート・ロッセン、原作はロバート・ペン・ウォーレンの1947年ピューリッツァー賞受賞の同名小説、撮影は「俺たちに明日はない」のバーネット・ガフィ、音楽は「ジョルスン物語」のモリス・W・ストロフが各々担当。出演はブロデリック・クロフォード、マーセデス・マッケンブリッジ、ジョアン・ドルー、アン・シーモア、ジョン・デレク、ジョン・アイアランド、シェパード・ストラドウィックなど。

1949年製作/アメリカ
原題または英題:All The King's Men
配給:IP
劇場公開日:1976年9月25日

ストーリー

新聞記者のジャック・バードン(ジョン・アイアランド)がウイリー・スターク(ブロデリック・クロフォード)と初めて会ったのは、ウイリーがメイソン州の会計主任だった頃である。ウイリーの妻ルーシー(アン・シーモア)は学校の教師で、一人息子のトム(ジョン・デレク)がいた。実直な下級役人だったウイリーが、州の人々より注目を集め始めたのは、メイスン市に新しい小学校が建築された時だった。校舎建設に不正があり、それを激しく批難したのがウイリーだった。そして、彼の言う通り、避難訓練の最中に事故があり、数百人の死者を出す大惨事が起き、彼の人気は絶大なものとなっていった。当のウイリーは最初の選挙で敗れたのを機に、苦難の末、弁護士になっていた。だが人々は彼を忘れなかった。「信頼できるウイリーを知事に!」の声は高まり、遂に彼はメイスン州の知事になった。選挙戦は苦しかった。中でも秘書サディ・バーグ(マーセデス・マッケンブリッジ)とジャックの活躍は目覚ましかった。ジャックは新聞記者を辞め、ウイリーの参謀となっていた。ウイリーが知事となって数年が過ぎた。メイスン州におけるウイリーの権力は、絶大なものとなった。まさに傍若無人の観であった。いつの日かそれは、良識ある人々の批判の的となって行った。ウイリーがあれほど忌み嫌っていたはずの汚職、ワイロ、恐かつ等を、今では彼自身が手を染めていて、女性とのスキャンダルも公然と口にされるほどであった。遂に州民の絶大な信頼を寄せられている判事がウイリーの政敵を支援する声明を発表した。折も折、今ではフットボールの花形プレイヤーとなった息子のトムは交通事故を引き起こし、同乗していた若い女を死なせてしまった。数日後、事故死した娘の父の撲殺死体が発見された。窮地に立たされたウイリー。まず判事を味方に、彼の策謀が開始された。昔のスキャンダルを暴き、味方にしようとしたが、潔癖な判事は自殺してしまった。ジャックの友人であり、ウイリーの要請でメイスン市の病院長となったスタントン医師(シェパード・ストラドウィック)の嘆きは大きかった。スタントンにとって、判事は神聖だった。スタントンを絶望の淵に陥れたのは、それだけではなかった。ジャックの恋人と信じていた妹アン(ジョアン・ドルー)と、ウイリーの関係だった。委員会が開かれている議事堂に、2発の銃声が響き渡った。大きな悲憤に襲われたスタントン医師の射った銃弾が、ウイリーの野望を砕いた一瞬だった。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

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映画レビュー

4.0権力に取り憑かれた男の栄光と自業自得の政治ドラマ

2024年12月20日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

怖い

興奮

難しい

「ハスラー」のロバート・ロッセン監督が41歳の時に手掛けたアカデミー賞受賞の政治映画。南部の田舎に住む誠実だった男が、州知事まで上り詰めるも権力の乱用によって身を滅ぼすまでを、彼の側近として見ていた元新聞記者の回想のナレーションで表現する。この話法は「市民ケーン」を彷彿とさせるもので、特異な人物を客観的に考察するドキュメンタリータッチと、そこに渦巻く権力と欲望に取り憑かれた人間の醜さが赤裸々に描かれています。原作は1947年に発表されピューリッツァー賞を受賞したロバート・ペン・ウォーレンの小説で、主人公のモデルとなったのは、ルイジアナ州知事ヒューイ・ロングという人物。それを大分脚色し製作も兼ねてひとり三役のロッセン監督の映画化への本気度が伝わる力作であり、それにも関わらず自国の政治腐敗の内容から当時のGHQが日本公開を止めた曰く付きの問題作でもある。日本に民主主義をプロパガンダするGHQにとって、都合の悪い映画だった訳です。 このアメリカ民主主義の弱点と脆弱な選挙制度を告発するストーリーで異色と言えるのは、相思相愛の元教師の妻ルーシーと共に実の両親を亡くした貧しいトム少年を養子に迎え、温かい家庭を築いていた主人公ウィリー・スタークという誠実さと汚職摘発の正義感ある男が、知事選のスポイラー候補に祭り上げられて利用されていた現実を知って、善人から完全に悪人に転化してしまうところです。郡財務官の選挙に敗れ、向学心から独学で法学士の資格を取るスタークは、州予算の不正使用を告発して政治の世界に嵌っていき、老朽化した小学校の倒壊で多くの小学生の犠牲者が出た事件が彼を更に後押しする。この知事選の選挙運動員として敵陣営から送られてくるセイディ・バーグが、その後もスタークに付き添い秘書兼愛人になる展開が後半の複雑な人間模様を演出します。世の中の酸いも甘いも知ったリアリストではなかった理想主義者スタークが、夢から醒めたように権力の裏側の仕組みを身に付け、政治資金の調達から農村の改善を訴えるポピュリズムを習得していく。ひ弱な善より実行力のある悪が善に近ずくスタークの考えは、州知事に就任してから多くの公共事業を強行して州の発展に寄与するモンタージュで表現されています。 このシチズン・スタークを回顧するスタッフのジャック・バーデンの社会的背景が、後半の劇的な結末に至る創作の面白さ。それは父親が知事だったスタントン家の兄アダムと親友で、妹アンとは恋愛関係にあったバーデンも上流階級の一員という、スタークと対峙した階級の出自であること。アダムとアンの伯父のスタントン判事に州司法長官の口約束をするところがストーリーの流れのキーポイントになっています。しかも権力を鷲掴みしようと血気盛んなスタークの男性的な魅力に嵌るアンの動揺と煌めきを加えたことで、ジャック・バーデンの凡庸さを裏付ける。この明確な人物構図の設定が物語として見事に組み込まれています。 ウィリー・スタークの静と動の表情を演じ分けたブロデリック・クロフォードの一世一代の名演が強烈に印象に残りました。僅かに「オスカー」「リトルロマンス」で観ていても記憶にない程地味な役者ながら、この演技でアカデミー賞を得たことは納得です。個性の対比で割りを食らうジャック・バーデン役のジョン・アイアランドも、「荒野の決闘」「赤い河」「OK牧場の決斗」などの西部劇で観ていますが、これは無表情に演ずる演出意図の理由から理解すべきでしょう。クロフォードと対を成す強烈な個性を発露したのが、秘書セイディ・バーク役のマーセデス・マッケンブリッジです。これは「ジャイアンツ」のラズ・ベネディクトの好演が印象にあって、女性の怖さを演じたら右に出る人がいないのではないかと思わせる女優さん。気の強さからジャックを平手打ちするショットが凄い。経歴に「エクソシスト」の悪魔の声役だったとあり、これも納得です。アカデミー助演女優賞に相応しい存在感でした。上流階級の令嬢アンを演じたジョアン・ドルーも西部劇「赤い河」「黄色いリボン」と観て来て、この恋人がいながらウィリー・スタークの魅力の虜になる女性の、当のジャックからは全く理解できない衝動的行動を取る難役を演じ切っています。演出上ではジャックに抱き寄せられると上半身を大きく揺らして苦悶するショットが意図的に表現されていて、決して言葉で説明しない、出来ない心理表現になっていました。綺麗な女性だから許せるように観てしまう自分がいます。ウィリーの妻ルーシーのアン・シーモアの堅実な演技もいい。これは劇中では説明が無いがルーシーは年上女房であろうし、実際にシーモアはクロフォードより2歳年上も含めてキャスティングされたのではないかと想像します。権力を掌握したウィリー・スタークを見詰める醒めた視線、養子トムに捧げる慈愛の視線と、妻と母の立場を地味に醸し出しています。そのトムを演じたジョン・デレクの名前で思い出すのが、1980年代に活躍した4番目のパートナーのボー・デレク。後に脚本家兼監督業にも進出した映画人で、撮影もこなした映画好きでも作品の出来が今一なのが記録に残っています。23歳で15歳のトムを演じて違和感のない幼い容貌は、その後1930年代に活躍した二枚目男優のような甘さから活躍の機会を失ったと思われます。ウィリーの用心棒でこれも印象に残るウォルター・バーグも、ギャング映画のチンピラ役に適した容貌と動きを見せていて、台詞の少なさで不気味さを出していました。これらロッセン監督の演技配分とバランスは、見事に計算されています。 赤狩りにより活動を制限された不遇の映画監督のロバート・ロッセンは、個人的に「ハスラー」の名作一本で尊敬しています。この政治映画のキャスティングの良さと演出の手際の良さからオスカーの監督賞も得て当然なのに、共産党員の過去を指摘され妨害されたとありました。救いは製作者としてオスカーを得ていたことに尽きます。撮影はロッセンの「コルドラへの道」、そして「地上より永遠に」「俺たちに明日はない」のバーネット・ガフィで、「市民ケーン」を意識したカメラワークが見られます。硬派な政治映画ながら、「市民ケーン」と比較して鑑賞したい力作の、各俳優陣の充実した演技のバランスから、目が離せないストーリー展開の面白さまで、観るべき点の多く明確なアメリカ映画でした。最後の結末は、目の肥えた映画愛好家なら予想通りのものですが、そこにロッセン監督の実力が証明されていると言えるでしょう。

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Gustav

4.0観終わって、重厚感たっぷり。

2024年7月26日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

<映画のことば> 農民諸君、連中は我々を騙してきた。 今度は、私がやり返す番だ。 私は、選挙を戦い抜く。 農民諸君、頭を上げ、神に祝福された真実を知れ。 農民を救えるのは、農民しかいない。 苦学して、平凡な農民からひとかどの政治家(州知事)にまで「階段」を駆け上がったスターク。 しかし、そのスタークにしても、いったん権力の座に就いてしまうと、他の凡庸な政治家に堕してしまったということでしょうか。 いわゆる逐鹿(ちくろく)という行為は、こんなにも人の人格を変えてしまう、非人間的な行為だというとでもあるのでしょうか。 そう思うと、本当に胸が痛みます。 「権力は腐敗しやすく、絶対的権力は絶対的に腐敗する。偉人は殆ど常に悪人である」とは、イギリスの思想家アクトンの言葉として伝えられていますけれども。 この言葉を映画にすると、本作になるのかも知れません。 「水戸のご隠居」や「大岡越前守忠相の大岡裁き」とかがやたらに大衆ウケして、何シリーズにも渡って、何十年も放送されたりする、日本というこのお国柄ではあるのですけれども。 そろそろ、日本でも、本作のような考え方をする人が多数派を占めても良いと考えているのは、果たして評論子だけでしょうか。 その意味で、本作の題名の真意が「すべての権力者へのために」といった箴言的な意味合いのものだとすれば、それは正鵠を射たものだったとも思います。 そのことを余すところなく赤裸々に、しかし静かに訴えかける本作は、秀作であったと思います。 評論子は。 (追記) 誰にでも弱味はある。 人間は、罪と腐敗に生まれた。 意見が別れて政治的な対立に陥ると、かつての盟友だった判事すら蹴落とそうとする、そのスタークの所業には身の毛も弥(よ)立つ思いもします。 けれども、思想・価値観の集大成ともいうべき「政治」とは、拭い去り難く、そういう側面もある営みなのかも知れません。 世上「人間は政治的な動物」とか「人が三人集まれば、そこに政治が生まれる」とか言われ、人の生活と政治とは切っても切れない縁があることが強調されます。 そして、世の中「何でもあり」だった高度成長期という背景もあってか、かつてわが国の与党系の政党には、ヤクザ・ごろつきの紛(まが)いの者もいて、しかもそれが大臣歴任者であったりもしましたけれども。 たとえば、彼の平生の政治家としての、そのヤクザのような所為も、彼の思想・価値観が露骨に表出したものであり、彼が国会議員としての地位を保っていたということは、彼の思想・価値観に共鳴して投票する選挙民もいたということに他ならないのだろうと思います。 けっきょく政治というものは、抜き差しがたく、そういう性質を内包しているものなのかも知れないとも思います。 それが是なのか非なのかは別論として、「合従連衡」とも形容される「政治」というものの一面として、「あまりあからさまには語れない側面」も持ち合わせていることを如実に描いているという点でも、本作は優れていたのだろうと思います。 (追記) 本作は、評論子が入っている映画サークルの「映画を語る会」で、話題作品として取り上げられたことから、鑑賞することとした一本になります。 しかも、話題提供者がプロの映画評論家とあっては、見逃すことができませぬ。 その期待に違少しもわない、重厚な一本であったことも、言い添えておきたいと思います。

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talkie

3.0いい線行ってるけど

2021年8月31日
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越後屋

4.05人以上の飲食は禁止だ!

2021年6月19日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

 5人以上の集会は禁止だ!として警官に引っ張っていかれるシーンを目撃。「自由の国アメリカだからな。せいぜい頑張ってくれ」などとあからさまな妨害をする。スタークの論点は「政治の腐敗」。金で学校でも病院でも支配しようとしている政治家たちを糾弾しようとしているのだ。  夜学で法律を学びつつ頑張るスタークだったが知事選には落選。小学校で死者を出す事故があったのを役人の汚職のせいだとして起訴し、彼の人気も徐々に上昇。しかし田舎ばかりで演説してるし、バランスタックスという点だけで平凡。農民の圧倒的な支持を得て有力視されていたが、またもや敗北。ジャックも新聞社を辞めてしまった・・・  4年後にはジャックも雇われて知事に当選するスタークだったが、金の集め方など、かなり俗物政治家になったように感じるようになる。部下であっても裏切り者にはスキャンダルを探し出し葬り去ろうとする。そして息子の飲酒運転による交通事故。どんどん堕ちてゆくスターク。  ジャックの恋人であったアン(ドルー)もスタークの愛人になってるというのに、未だにスタークを神格化している彼ら。判事は自殺。アンの兄で病院院長となったアダムは徐々に離れていく・・・  ニュースでも州軍隊を私物化してると皮肉られ、悪魔とも独裁者とも言われているのにどんどん突き進むスターク。アダムとの確執があるまま、知事弾劾裁判を受けるが民衆の力を相変わらず掌握したままだったので勝訴。しかし、アダムが銃を放ち・・・  どの時代でも一緒だ。民衆のため、汚職を一掃などと言っても、権力を握ってしまうと自ら堕落していく政治家。一番ひどいと感じたのはデモさえも自作自演するほどの徹底ぶりだ。この酷さは内部にいないとわからないのだと思うと・・・こわい。

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kossy

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