マルドゥック・スクランブル 排気のレビュー・感想・評価
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ラスボスは作品の軸にあたります
殺されかけた少女が、犯人を追い求めながらも、自らの再生を目指す物語・・・の最終話。 1作目にも書きましたが、3部作通じて世界観の説明が不十分に感じます。 そして、最終回であるこの作品では、ラスボスの存在感について不満を覚えます。 シェルとボイルドの2名が敵役になるようでしょうが、バランスが悪い。 第一部でバロっトを殺害しようとしたシェルの凶悪さと強大さが大幅に低下。これにより、3部作を通じて軸が曖昧になってしまったように思います。ボイルドがいるせよ、シェルの存在感をしっかりと保つべきでした。 3部作通じて、私的評価は厳しめです。
隠れすぎの名作
世界と人間の創造神であるマルドゥックの名を冠した都市で繰り広げられた卵たちのスクランブルは終わった。
「圧縮」でのアクション、「燃焼」でのスリル、両方を併せ持った「排気」は、全体的に息切れした印象があるものの楽しめた。
前二作にも同じことが言えるけど、内容がしっかりしているのに、仮に全く理解できていないとしても面白いのは素晴らしいと思う。
「死んだほうがいい」と始まった「圧縮」で、バロットは生きる意味を見付け、「生きたい」と始まった「燃焼」で生き方を学び、本作では「生き残る」と始まった。
アシュレイが話す、生き残るために必要な3つ、フックがあると教えてくれる人=指導者、フックがあると知っている=知識、フックを探す能力=力、の三番目「力」の獲得の物語。
3つのうち一つがあればいいと言われている状態で、バロットには、ルールを教えてくれるイースターやウフコックなど指導者、第6の選択肢という知識の2つを既に持っていた。
アシュレイの目にも見えていた指導者である手袋を脱ぎ捨てた時から二人の勝負は始まる。
この後、イースター(指導者)に教えてもらったイーブンマネー(知識)の宣言という「力」を敵であるアシュレイが期せずして教えることになるが、ベル・ウイングと同様にバロットに魅せられてしまっていたアシュレイは、既に勝ちたくなくなった、最終テストを出すだけの指導者に変わっていた。
生き残る術を学び続けるバロットの姿は「生きたい」と「生き残る」に繋がる、強い生きる意思を感じさせる。それは人間の輝き、バロットの輝きだ。そこに二人は魅了される。
晴れて生き残るための3つ「指導者」「知識」「力」を手に入れたバロットはウフコックと共にボイルドとの最終決戦へ望む。
ストーリー上では既に孵っているバロットだが、視覚的に卵から孵る演出があったのは興奮したね。
「死にたい」ではなく「死んだほうがいい」と、自分は生きるに値しない無価値な存在だと言っていたバロットが長い物語を経て本当の意味で誕生し生き始めた瞬間だ。
愛されたいとだけ願っていたバロットが愛することを知り、それを願う。
愛することが無価値ではないということ、生きることだとバロットは見出だした。それは有用性を示すことが生きることだと言うウフコックとは全く違う視点。
有用性とは無関係の、生きるための選択、つまりボイルドかバロットかという初めての選択をウフコックはすることになる。
自分は道具だと言っていたウフコックがバロットと同じように選択し生き始めた瞬間であるが、それは、「愛する」や「信じる」に通じる相互理解。既に「燃焼」でディーとディムが示していた姿。
指導者であったベル・ウイングやアシュレイがいつの間にかバロットに導かれたように、ウフコックもまたバロットの生きる輝きに導かれ選択するのであった。
エンディングはバロットが歌うアメイジング グレイス(素晴らしい神の恵み)
マルドゥックの恵みは世界と人間。つまり素晴らしい世界と人間。
ここまで3時間かけて生きるとは何かを問い続けていながら最後に、生きてるだけでいいんだよと当たり前のことに気付かされた感じが憎らしいね。
有用性?なんだそりゃ?、無価値?そんなものあるのか?、生きてるだけで素晴らしいだろと。
ここで自分は反省しなければならない。ついつい肉体の有無について考えていた事を。
「圧縮」の時にミンチだのミディアムだの出してきて肉体に意識が割かれるような罠だったのだろうが、前時代的なそんな考えはとっくに超越している作品だった。
それどころか、男女差やネズミやイルカも飲み込んだ、とても斬新な、正に今の時代のSFというに相応しい内容だったと思う。
最後に、巻き戻って巻き戻って前二作に意味が付与されていく構成のストーリーを一年間隔で3回に分けた劇場公開はえげつないなと、DVDで観た自分は思うのだった。
それと、このレベルの作品に10年以上も気付けなかったことに驚く。隠れた名作とかよく言うけど、いくらなんでも隠れすぎだろ。
『どんな腐った卵でも温めれば生き返るかもしれない』
『ここでは合法的に他人から奪うことが出来る。それがギャンブルだ』
結末は結局それだ。
マザコ○、近親相○、トラウマ。
おどろおどろしい事をアニメでやってしまう。これこそ、ジャパニーズアニメなんだけどね。
少なくとも、日本の場合、アニメでこう言った表現出来るのが凄いし、実写で演じる演者の必要性が無い。グロくてスプラッタな出鱈目な話を、アニメで幻想的に描ききる。さすが、クールジャパン♥
『マルドゥク』って古代バビロニアの男性神の様だ。古代バビロニアと言えば、ユダヤ神と同じ位の歴史を持つ。つまり、アダムとイブの『禁断の果実』の逸話の創造される以前の出来事?
さて、イブはアダムの体の一部と言う逸話もある。さてさて、この逸話を総合すると、かなり性差の問題に迫る。
奥が深く感じる。少なくとも、男目線であっても、ブザマな男の破滅を描く、カッコいい女性の話。
確かに面白かったです。
特に前半のブラックジャックのシーンは緊迫感の有る秀逸なものだったと思います。 ただ今回も尺の都合上仕方無いのだと思いますが、ボイルドとの戦闘場面も含め少し駆け足気味なのが残念でした。 しかし、こうしてヴィジュアルとして観ておけば原作を読んだ際にイメージし易いような気がします。
生き残る
ウフコックのバックアップをも凌駕するアシュレイに自分の力で戦うバロット。
最強のディーラーとの勝負にバロットがとった最後の選択は・・・イーブンマネー。これはイースターに教わった戦略の中には入っていなかった。
ブラックジャックの勝負がどうこういうよりは、戦いの中で人生を学んでいく。偶然とは、必然とは。三部作を通して描かれている、生きていくこと、その存在の理由。ヒッチハイクの話もそう。
カジノコインからシェルの記憶をコピーし、シェルに戻してボイルドとの戦いで物語は完結する。
ウフコックがもう自分の手に戻ることはないと知るボイルドの選択は一つしかない。悲しいラスト。
このキャスティングに納得。エンディングはブレードランナーかな。
三部作「圧縮」「燃焼」に続く完結編。悲惨な境遇から拾われて娼婦としてだが華やかな生活をしていた少女バロットは、恩人であり庇護者でもあったカジノ経営者シェルに理由もわからぬまま殺されかけた。法廷でシェルの悪事を暴く証人とすべく、ドクターイースターらに禁じられた特殊技術を施されて、バロットは死の淵から甦った。法廷の外でバロットを暗殺するため、シェルが雇った残虐な殺し屋たちも、改造されたバロットと万能兵器でもある喋る金色のネズミ・ウフコックのコンビの前に撃退されるが、ウフコックの元相棒の凄腕ボイルドによって二人とも深い傷を負ってしまう。 危ういところをドクターイースターに助けられ、秘密施設[楽園]で療養し、一時の安らぎを得ていたが、そこもボイルドに急襲され命からがら脱出。シェルの取り除かれた記憶がカジノの100万ドルのポーカーチップの中に隠されていると知ったバロットたちは、それを入手すべく、シェルの経営するカジノに客として堂々と乗り込み一大勝負を挑む。(ここまで前二作) カジノシーンは、初心者にもやさしくポーカーの細かいルールから丁寧に解説。万能兵器ウフコックにもカードを操作することはできず、カジノ初心者のバロットとカードを自由に揃えることもできるという超絶ディーラーとの駆け引きが繰り広げられる。このカジノシーンが長いので、あとは駆け足ぎみ。 見せ場のバトルシーンは、圧縮のようなバイオレンスさはなく、華奢な美少女バロットが精神的にも成長して縦横無尽に駆け巡り痛快だ。ここはもっと長く見たかったところ。 これは少女の復讐譚ではなく、ちょっとねじれた三角関係の物語のようだった。ドラえもんの秘密のポケットのように望むもの何にでも変身できる万能兵器ウフコックも、今回はバロットの肌身から離れず一心同体と化す。今回はほんとに声だけだったけど、八嶋智人はいい声だなぁと、このキャスティングに納得。エンディングはブレードランナーかな。
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