永遠の0のレビュー・感想・評価
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映画と小説はちがう
VFX、俳優の演技、脚本など、邦画の最高水準のレベル。同じように、零戦を取り上げた「風立ちぬ」とともに、戦争を考えるきっかけになるだろう。
特攻のミクロな人間模様を描いて、わかりやすい分、特攻をめぐる責任や戦争のマクロを描かず、小説に繰り返し書かれる軍部や新聞批判がバッサリ抜けている。
結果、特攻の耽美が日本だけで一人歩きする可能性があって、危ない。
ただ、反戦とか、礼賛とか、狭い評価は単純過ぎる。映画だけでなく、小説もよんで、その違いを楽しむべきだろうと思う。
作品としての最大の欠点は、日本人にだけしか理解、評価されない視野狭窄さ。国際市場には通用しない内向きさだろう。
うまく作られてるなぁ
特に戦闘シーンがリアルに感じた。
ラストへとつながるシーンがよかった。これまで語りだけで終わらせたシーンをテンポよく映像で見せるところ。
あとは、ヤクザの語りで盛り上げるところかな。
大局を見なければならないとも思った。そして守ることがリーダーだとも。
期待が大きすぎたのか、そんなに泣けなかったのが残念。
風立ちぬでゼロ戦を作り、この映画で、ゼロ戦を終わらせる。作為的な何かがあってのことなのか?
素直に良い映画と思った
私は映画みるのはアメリカ系アクションとかで、日本の映画はだいたいDVDです。
たまに好きな俳優や、ドラマ続編なら見に行きますが…。
永遠の0、あまりに泣けて好評価&身内に戦争体験者がいるということで鑑賞。
中盤ぐらいから、周りでススリ音が…ストーリーは主人公を中心に進んで、見入るけど、そすんな泣くほど?と思いながらラスト。ラストのラスト戦艦に向かうシーン。宮部さんが何故特攻に行くことになったか。その思い。まわりの思い。やられました…きっと宮部さんのような方はいらっしゃったはずですよね。
サザンの歌を聞きながら、素直に、監督良い映画作るな~と思いました。
画作りはよかった
映画館で観てから一ヶ月近く経ち、モヤモヤとした気持ちでずっと腑に落ちない気分だった。確かに泣ける場面はそこそこあって、最初の方で涙ぐんだシーンもあったのだけど大多数のレビューのように手放しで最高傑作かと言われると首を傾げる。
宮部に共感できれば感動できたのかもしれないが出来なかった。
前半の宮部が家に帰り清子をお風呂に入れるまでの束の間の幸せなシーンが一番泣けたかもしれない。あそこの岡田くんの演技は素晴らしかったと思う。しかし後半は宮部が何を考えているのかさっぱり分からなかった。
愛する家族の元に帰る為、仲間も死んでいく空戦で退避行動を取り生きることに執着していた宮部の特攻する心変わりをもっと丁寧に描写してくれれば納得できたかもしれない。
宮部が特攻した真の理由があるはずだと思い最後までその答えをずっと待っていたのにまさかのエンドロール…サザン…そりゃないよ
映像面に関しては日本映画のVFXの進化を感じることができ満足。CGWorldの特集記事を見る限り、恐らく予算もスケジュールもあまりない中でクオリティを担保する為様々な工夫を凝らして艦船や飛行機を作ったのだろう。
ただ、艦載機が発進する際の空母の動きが緩慢なように感じたのが少し気になったかな(空母は離陸時の揚力不足を補う為発艦時は全速前進するはずなので)
役者面ではやはり三浦春馬さんがちょっと浮いてた感。最後のゼロ戦がビルの合間から抜けて行く様も笑ってしまった。
前述の三浦さんの微妙な演技もあいまってがんばって感動させようとする意図を感じて醒めた。
物語的には私の中で残念な形だったが当時を再現した雰囲気や映像は気に入ったのでBD出たら買ってしまうかも。映像面だけなら星4つはあげたい。
泣く気満々で・・・
泣く気満々で見に行きましたが三浦春馬の演技が下手過ぎ
(春馬ファンごめんなさい)
周りの俳優陣が名優が多く特に目立ちます
コメディータッチのドラマ「ラストシンデレラ」では気に成らなかったのですがシリアスなタッチがまだまだ円熟してない感じで
それが気に成ってゼンゼン泣けませんでした。
この役を瑛太や藤原竜也あたりがやったらもっと素敵だったと思い
残念
キャスティングが残念でした。ちょい辛口で3.5点
マイノリティーに共感
先に投稿されている方と全く同意見です。
私もマイノリティーと自分の中で考えておりましたが、同じご意見の方が居られてすっきりと致しました^^
映画の中で一つのシーンとして泣ける場面は有りましたが、全体として評価、100点を満点とするなら、個人的には55点位と感じています。
「生きる、生きて大切な人のもとへ」という強い信念を持ちながら半ばで何故、特攻という道を選んだか、また最後の選択肢で決定的な道を選んだ設定が甘く主人公の想いが私には全く理解出来ませんでした。
フィクションの世界では有りがちですが、心が綺麗過ぎる、優しさに満ち溢れているといった人間は結局一番近しい人を傷つけ悲しませていますが、このような脚本も好きでは有りません。
おっしゃるように一部役者の演技も興醒めで、感情の表出が自然ではなくピーキー、普通の人はそんなにオーバーに嘆き悲しみませんし。。。その辺の安いTVドラマ並みで残念であると感じました。
人其々、ものの見方、考え方は様々あると思いますが余に多くの人が、感動と評価されている事に驚いています。
戦時中と現代の価値観の違い
あの時代、宮部久蔵の行き方が許されたのだろうか。どう見ても、あれは戦場で逃げ回っているのと同じ。小説を読んでいた時と同じ違和感が拭えなかった。誰ひとり死んではいけない、と願おうにもそれは無理なのだ。
宮部が悩んだように、戦闘に加わらずに生きながらえると言うことは、ほかの誰かを犠牲にし、見殺しにしているということ。だからこそ、宮部は思い悩み、最後に特攻に志願したのだろう。
言っちゃなんだが、敵機を落とすということは、米兵だって死ぬということ。結局戦争は、終わるまでお互いの国民が果てしなく死んでいくのだ。
そうとはわかっていても、やはり泣けた。自分の家族を思う気持ちを残しながら死んでいった戦友の思いを、しっかりと受け継いで今の日本の礎を作ってきた世代には、胸にこたえる映画だろうと思う。まあ、今の日本が彼らの目指していた日本であったかどうかは別として。
全体に、小説の世界を損なうことなく、役者陣の演技が光った。戦争が身近なものだった、年配者の夏八木や橋本や山本や田中泯の演技が、映画の緊張感を演出していた。新井浩文もいい役者だなと改めて感じた。ただ、三浦春馬の演技がうざい。彼の演技だけが、どうもくどくてオーバーアクションにしか思えなかった。「桐島、」の時の東出のような誠実さ、ひたむきさは無理か。おかげで冷めた。
あと、余計なことかも知れないけど、「誰かがヤクザの囲いものになりそうなところを助けてくれた」って話が、わかってない方。
「その刀、人の血を吸ってるぞ(だったっけ?)」ってフラグありますから。
景浦さんと宮部久蔵かっこいい
景浦の「対空砲火はすべてわしが受ける。宮部に襲いかかる敵機もすべて俺が落とす、たとえ弾が無くなっても体当たりで落とす」という決意に男の中の男だと思った。宮部久蔵は訓練で死んでしまった皆からよく思われていた学生を「立派な人でした」と言ってかばった後、皆が敬礼する時のザッという音で泣いてしまいました。
最後の弾をほとんどかわし、深い角度から襲いかかる宮部の姿に興奮しました!
宮部だってスーパーヒーローじゃないから
何か映画の主人公って首尾一貫していないと気が済まないとかスーパーヒーローのように間違った行動と取られるようなことはしてはならないと思っておられる方がかなりいるようで
レビューをみていると、前半の宮部に感情移入できないとか、前半と後半の宮部の姿が乖離し過ぎていて理解できないみたいな事を書かれている方がいらっしゃいますが、私はそうは思いませんでした
乱戦の中、宮部隊が上空に逃げていたというくだりがありますが
別に逃げていたわけではありません
敵一人を倒すために自分一人の命を捧げても全く意味がないんです
生き残る事で多くの敵を倒すことができる
だから、生き残る必要があるんです
簡単に命を投げ出すなと言ってるだけなんです
(この事は原作にも描かれていますが、そこを全て語る事が映画として正しい描き方だとは思えません。その間にあるものを考えるのが映画の在り方だと思います)
ただ、自分が生き残る事で味方が死ぬことも数多くある
その事も事実としてあるでしょう
同時に当時の軍隊では敵と刺し違える事が美徳とされている時代にはそのような考えは理解されなかったことでしょう
それでも宮部は生き残る事を選択している
妻と子に会うために…
しかし、戦況が悪化してくればそんな事は言っていられなくなる
終戦間際になれば自分が生き残るということは味方を死ぬことに直結してくる
その罪悪感に苛まれた姿が後半の宮部の姿なのではないのでしょうか?
数多くの戦友や後輩たちが命を落として行く中で自分だけが生き残っているという
そして、戦争が長引く事で帰るべき場所が遠くなってゆく
さらに死が近づいてくる
味方を犠牲にして生き残ってきた宮部が最後に大石に生きる事を託したのは、身を挺して命を救ってくれた彼に対する感謝
そして、自分にはない生きる力を彼に見たのではないでしょうか
そして、宮部は特攻をすることで我が家へと帰る事が出来たのです
その想いはそれまでに大東亜戦争で命を落とした兵士たちの想いと重なる
私はそう思いました
岡田君がかっこいい
嫁と娘のために生きるための執念。
それが宮部の根幹にあるのだと物語は常に伝えている。
映画は戦争の空気で特攻するよりも、自分を待つ愛しき人の為、生きるために努力しろと、それを伝える。
お国のために特攻するよりも、生きるためににサメに食われたほうがましだと伝えるのだ。私はそれに涙した。
しかし、当の本人が選んだのは特攻である。
特攻に臨む若者を見て、多くの命の上に自分が生きていると、嘆いてはいたが、そもそも生きるために乱戦に加わらない生き方をしている時点で、それは一切変わりない。
では、変わりない戦争の生き方をしていたのに、そこでなぜ家族ではなく特攻を選んだのか、一切の描写が省かれている。
大石と機を変わった場面を言っているのではない。
なぜ、家族のために生きたかったベテランパイロットが、あえて特攻に志願したのか!という描写がなされていない。
命を重く重く、そう思うのであれば、答えはしっかりと提示するべきである。家族を捨て特攻を選んだ彼の心を描写しなければ逃げである。
考えるべき描写はあるがどれも答えを与えてくれはしない
そう思って劇場を出たが、女子高生が、
「最後のシーンの岡田君かっこよかった」
といっているのを聞いて目が醒めた。
結局そういう目的の映画だったのである
永遠の0
ゼロは小説のファンで非常に楽しみにしていました。
航空機や戦艦も非常にリアルに作られていて空戦シーンは圧巻の迫力でした。主演の岡田准一さん、井上真央さんともに迫真の演技で文句のつけ所がない出来栄えでした。
が、
本当に個人的な意見で申し訳ないですが大石役の染谷将太さんは適役でしたでしょうか?
彼が戦後のバラックに現れたあたりから興ざめしてしまいました。
そして最後の三浦春馬さんが歩道橋の上で錯乱してゼロがやってくるくだり・・・
一昔前の日本映画特有の何を訴えたいのか監督だけしか解らないあやふやな場面をゼロで見せてほしくなかった。
嫌な展開で終わったなぁと思ってたらサザンの歌・・・
桑田啓祐が大敗した変な映画の張りぼての龍?がフラッシュバックしてしまいました。
残念でした。
私は死にたくありません
原作を数年前に号泣しながら
見たのを思い出して、映画館で
鑑賞(o^^o)
絶対泣かない(化粧がとれる)
と心して挑みましたが
号泣してしまいました(笑)
零戦を題材にした
宮部という人物像を探っていくのですが
彼は海軍一の臆病者だった
あんな卑怯なヤツ見たことない
と、散々な言われよう。
私は死にたくありません
そのような言葉を残した彼が
なぜ、特攻で死んだのか?
その戦場の過酷さをしらない
私たちの時代では遥かに理解できない
心に闇をかかえていたのかも。
宮部という人は原作では
とても真面目な人物に読み取れます。
頭のいい、
部下である人に敬語をつかったり
いつも、笑顔というよりニコニコしている
そんなイメージです。
”想いを伝える”
無意識であろうと
宮部という人の思いは
計り知れず色々な方に届いています。
どんな形でも宮部久蔵は
帰ってきたのです。想いは生きて。
原作では戦後、アメリカ兵OBとの
パーティが開催されるのですが
彼は生きているのか?
いや、特攻で死んだんだよ。
そうか‥一度会いたかったな‥。
想いは届いてるんです。
それが果てしなく続く空の上で
あっても‥!
この映画で泣けた方は原作を
読まれることを激しくオススメ致します!
特攻隊員がうかばれません
なぜなら、ありえない事実を積み上げて感動させるように仕組んだ映画であり、死んでいった特攻隊員の真実をゆがめた作品だからです。これを観て感動し、これが特攻隊だなどと思われては、死んでいった若者たちが浮かばれません。
この作品は内容的には前半と後半に分けられます。
前半は、凄腕を持ちながら愛する妻と娘のためになんとしても生き残ろうと決意している戦闘機乗りの宮部を描きます。彼は「死にたくない」と公言し、乱戦にあっては高空に退避して安全を確保します。いかに凄腕でも乱戦に巻き込まれれば不可抗力は避けられないからです。この発言と行動は周囲に知れ渡っています。
しかし考えても見てください。当時エリート軍人である飛行機乗りが「死にたくない」などとは死んでも言えない環境でした。全軍の士気をくじく最も嫌悪されるべき言葉ですから。
まして乱戦を避けて高みの見物など敵前逃亡で、下手をすれば軍法会議で死刑です。
それなのに、宮部は小隊を任され、後には教官として指導に当たります(左遷ではありますが)。まったくありえないでしょう。
後半になると、部下を失った衝撃から落ち込んだ宮部は、最後には後輩の身代わりとなって美しく散っていきます。
ここの部分、前半と整合性が取れません。凄腕を持ちながら、乱戦に際して高みの見物をきめるというのはまさに決死で戦っている戦友を見捨てるということです。そこまでして妻と娘のために生き抜きたかった宮部が、どうして最後に助かる可能性をわざわざ捨てたのでしょう。よく考えると変なのですが、そこをうまくカモフラージュして、目立たないようにしているのは作者の腕です。
散って逝くのは家族思いのやさしい男が効果的。だがそういう男はふつう助かるチャンスは逃さない。そこを巧みにくっつけて美談に仕立て上げたのがこの作品です。
それにしても、愛する妻と娘を思いながら死んでいった宮部の心情はどんなだったでしょう。当時女性一人で子どもを育てる環境は劣悪でした。自分が死ねば妻子が路頭に迷うことは目に見えていた。死んでも死に切れないとはまさにこのことです。
もう一つ、特攻という作戦についてです。これは本当に反人間的で、無意味で、愚劣な作戦でした。若者たちは「お国のため、父母のため」と自分を無理やり納得させて死んでいきました。しかし、その死は実際には何の役にもたたない犬死にだったのです。
すでに戦争の行方は決しており、とっくに降伏しているべき戦況だったのに、指導部は面子にとらわれていたずらに引き伸ばしを図っていました。
特攻隊は、最初こそ常識はずれの戦術から多少の戦果をあげたものの(米軍にとっては蚊に刺された程度にせよ)、その後多くの特攻機は目標を見ることすらできずに撃ち落とされるようになります。未熟な速成パイロットに操られ、重量爆弾をぶら下げた旧式ゼロ戦では、そうなることは分かりきったことでした。
生きたいという気持ちを「お国のため、父母のため」とねじ伏せて出撃したのに、目標を視認すらできずに撃ち落とされる隊員の悔しさは実に想像を絶します。
付け加えれば、この作戦を実行させた参謀たち(当時日本有数の秀才たち)がこの事実を知らなかったわけではありません。止めるべきだと主張した参謀もいたようです。それにもかかわらず、繰り返し繰り返し出撃させた戦争責任者は、まさに大量殺人者以外の何ものでもありません。
特攻隊を描くなら、この人生を奪われた若者たちの悔しさをこそ描くべきでしょう。また、このような反人間的な作戦が、ほかならぬ人間によってなぜ行われ得たのか、を考察すべきでしょう。
それなのに、この映画を見た後に残るのは、宮部の妻子を思う死んでも死に切れない怨念ではなく、後輩の身代わりになって死んでいった宮部の潔さ、清清しさではないですか? どちらが戦争の真実なのでしょうか。
作者は、この若者の美しい自己犠牲が戦争の真実だと言いたいのでしょう。しかし、実際の戦争は、残された家族への思いで後ろ髪を引かれながら、役にも立たない理不尽な死に方を押し付けられた若者たちの怨念なのです。
最後に、これは原作のほうですが、エピローグで、宮部の飛行機は米空母の甲板に体当たりします。しかし、抱えてきた爆弾は不発、炎上した機体から宮部の死体が見つかります。これを見た空母の将兵は「我々の対空砲火を潜り抜けて、よくぞここまで来た」「日本にサムライというものがいるなら、それは奴だ」といって賞賛します。
これって、ありえますか? 彼らから見れば、爆弾を抱えたまま突っ込むなんて、(映画の中では違うと言わせていますが)狂信的な自爆テロリストです。多くの将兵は不気味さに慄いただけだったはずです。
この不自然さを目立たなくするために、作者は宮部の死体のポケットから妻子の写真が出てくるという、空母に体当たり炎上した飛行機でありえないだろうというもう一つの不自然をも創作しています。
さすがに映画では採用されていませんが。
凛々しかった
戦闘機好きな父と観に行きました。
号泣しました。
最後の部分は涙をこらえるのに必死でした。
まず、CGが完璧です。
細部までこだわっており、迫力がありました。
キャストも演技が上手い人ばかりで、私的には満点の映画でしたね。
宮部さんの、
生まれ変わっても帰ってくる
とか、
生きる努力をしろ
という台詞には、考えさせられるものがありました。
この映画の中で、特攻隊員は、とっても凛々しく見えました。
今度、原作も読んでみたいものです(笑)
今年最初に、良い映画が観れました。
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