永遠の0のレビュー・感想・評価
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景浦さんと宮部久蔵かっこいい
景浦の「対空砲火はすべてわしが受ける。宮部に襲いかかる敵機もすべて俺が落とす、たとえ弾が無くなっても体当たりで落とす」という決意に男の中の男だと思った。宮部久蔵は訓練で死んでしまった皆からよく思われていた学生を「立派な人でした」と言ってかばった後、皆が敬礼する時のザッという音で泣いてしまいました。
最後の弾をほとんどかわし、深い角度から襲いかかる宮部の姿に興奮しました!
井筒や園の頭の中身のほうが永遠の0
本作、右翼エンタメだとか、戦争賛美だとか言う馬鹿がいますが、ぜんぜん違います。原作含め本作は反戦映画です。 井筒監督や園子温監督は、どこをどう見ているんでしょうか? 頭大丈夫?というか、彼らの作品は別にしても批評的なセンスは0ですね。恐らく、この分野に関しては永遠に0です。 本作、見事なループ構造ですし、ストーリーも破綻していません。この部分はタランティーノの『パルプフィクション』ばりのデキではないでしょうか。本作の監督の技量が確かなのは間違いありません。 多分、井筒監督は自分ができない(ループ構造)テクニックが理解できないんでしょうね。。まー似た構造の彼の作品だと『ゲロッパ!』ですからね。笑 また、本作のアンチコメでよく目にするのが、零戦のディテールについてのいちゃもんです。これもね、実際はぜんぜん許容レベルです。まったく問題ありません。 劇場で戦争をしらない世代が、ラストで涙する。これがすべてを物語っています。
宮部だってスーパーヒーローじゃないから
何か映画の主人公って首尾一貫していないと気が済まないとかスーパーヒーローのように間違った行動と取られるようなことはしてはならないと思っておられる方がかなりいるようで
レビューをみていると、前半の宮部に感情移入できないとか、前半と後半の宮部の姿が乖離し過ぎていて理解できないみたいな事を書かれている方がいらっしゃいますが、私はそうは思いませんでした
乱戦の中、宮部隊が上空に逃げていたというくだりがありますが
別に逃げていたわけではありません
敵一人を倒すために自分一人の命を捧げても全く意味がないんです
生き残る事で多くの敵を倒すことができる
だから、生き残る必要があるんです
簡単に命を投げ出すなと言ってるだけなんです
(この事は原作にも描かれていますが、そこを全て語る事が映画として正しい描き方だとは思えません。その間にあるものを考えるのが映画の在り方だと思います)
ただ、自分が生き残る事で味方が死ぬことも数多くある
その事も事実としてあるでしょう
同時に当時の軍隊では敵と刺し違える事が美徳とされている時代にはそのような考えは理解されなかったことでしょう
それでも宮部は生き残る事を選択している
妻と子に会うために…
しかし、戦況が悪化してくればそんな事は言っていられなくなる
終戦間際になれば自分が生き残るということは味方を死ぬことに直結してくる
その罪悪感に苛まれた姿が後半の宮部の姿なのではないのでしょうか?
数多くの戦友や後輩たちが命を落として行く中で自分だけが生き残っているという
そして、戦争が長引く事で帰るべき場所が遠くなってゆく
さらに死が近づいてくる
味方を犠牲にして生き残ってきた宮部が最後に大石に生きる事を託したのは、身を挺して命を救ってくれた彼に対する感謝
そして、自分にはない生きる力を彼に見たのではないでしょうか
そして、宮部は特攻をすることで我が家へと帰る事が出来たのです
その想いはそれまでに大東亜戦争で命を落とした兵士たちの想いと重なる
私はそう思いました
年配者には登場人物がリアリズムに欠けて見えた
評判の映画の割にはかなり退屈しました。昭和の歴史をよく知らない若者に受けているのでしょうか。主人公「宮部」の描き方が格好良すぎると思いました。軍国主義の嵐の中で彼のような生き方がどのくらい許されていたでしょうか。 太平洋戦争を経て(平和で豊かな?)日本の今があることを映画は訴えていますが、なぜ、日中戦争も含めて、戦争が始まったのか、沖縄・広島・長崎を経てどのように終わって今日に至ったのか、もっとよく知る機会になればいいと思いました。 映画の中で気になったのは、「特攻隊」と「自爆テロ」の議論の場面でした。所属集団のために、志願して、あるいは異常心理下(ファシズム、宗教など)命を落とすのは同じと思いました。この映画では、特高の相手が戦争兵器の軍艦だから、と言い訳してましたが、米兵も死にます。「自爆テロ」でも可能ならば敵の中枢本陣を狙うのでしょうが。ベトナム戦争の時、農村の村人が米兵に近づいて自爆したニュースを聞いたことがあります。
言葉では言い表せない
言葉では言い表せないほど多くの物を感じ、考えさせられました。また俳優陣ひとりひとりの演技、見入りました。個人的に主演の岡田さんももちろんですが、新井浩文さんそして染谷将太さんが深く心に残っています。場面の表現も説得力がありCGを駆使した映像からも多くの物を感じられる映画でした。 何を感じるかは人それぞれだとは思いますが、この映画絶対見るべきです!
もう少し
岡田准一の演技もいいし、ゼロ戦の戦闘シーンのCGも頑張ってる。まずまず面白い。 ただ、話の紡ぎ方というか、展開のさせ方がうまくなくて、長さが苦痛に感じてしまった。 クライマックスが来て、終わるかと思ったらまだ続きがあって、ここで終わるかと思ったらまだ続く。 それを言いたいというのはよくわかるんだけど、もう少しうまくできなかったかなー。 惜しい。
後から言うのは簡単です
現代の価値基準をそのままあてはめて、「人間らしい人だった」「決して臆病者ではなかった」としてしまうのはいかがなものか。 「家族を頼む」という伝言も、結局大石と松乃は恋仲になったからいいものの、重すぎて託された方は困っちゃうのでは?託す方のエゴなんじゃないか? こんな人が一人でもいると、チームで仕事をする上でめちゃくちゃ士気が下がるだろうなぁと思った。 岡田准一はとっても格好良かった。 最後の、三浦春馬が零戦の幻視を見るところはちょっと笑えた。
大泣きしてしまった
原作好きなので期待せず、日曜朝一の回に行ったら満席!公開4週間以上前ですが・・・理由は分かりました。老若男女、口コミもあり、なのでしょう。映画だからこその盛り上げにハマり、映画館で初めての号泣・・・スッキリしました。
心に残る映画
あんなに涙を流させる映画とは思ってはいませんでした。 家族があんまりにも「泣くよー…」というから 見に行きましたが、始まって一時間ぐらいで、目から涙が(笑) 岡田准一演じる宮部久蔵の生きざまに感動しました。 この作品は、戦闘機マニアの人にとっても良いかもしれませんが、僕みたいな普通な人にも是非見てほしい作品です!
岡田君がかっこいい
嫁と娘のために生きるための執念。
それが宮部の根幹にあるのだと物語は常に伝えている。
映画は戦争の空気で特攻するよりも、自分を待つ愛しき人の為、生きるために努力しろと、それを伝える。
お国のために特攻するよりも、生きるためににサメに食われたほうがましだと伝えるのだ。私はそれに涙した。
しかし、当の本人が選んだのは特攻である。
特攻に臨む若者を見て、多くの命の上に自分が生きていると、嘆いてはいたが、そもそも生きるために乱戦に加わらない生き方をしている時点で、それは一切変わりない。
では、変わりない戦争の生き方をしていたのに、そこでなぜ家族ではなく特攻を選んだのか、一切の描写が省かれている。
大石と機を変わった場面を言っているのではない。
なぜ、家族のために生きたかったベテランパイロットが、あえて特攻に志願したのか!という描写がなされていない。
命を重く重く、そう思うのであれば、答えはしっかりと提示するべきである。家族を捨て特攻を選んだ彼の心を描写しなければ逃げである。
考えるべき描写はあるがどれも答えを与えてくれはしない
そう思って劇場を出たが、女子高生が、
「最後のシーンの岡田君かっこよかった」
といっているのを聞いて目が醒めた。
結局そういう目的の映画だったのである
岡田准一がイケメンすぎて……
原作は未読。以前文庫本を購入したが結局読まずにずるずると。 僕は岡田准一が日本で一番イケメンだと思っているので、彼が戦闘機に乗るだなんてそれだけで鑑賞理由になる。とかいいつつ岡田准一主演の映画を観るのは『おと な り』以来で久々だったりする。 ともあれイケメン過ぎるがゆえに?岡田准一だけ少し浮いていたような。他の俳優陣は絶妙に画面に馴染んで戦時中の空気を醸し出しているのに。他に比べて物静かに喋るキャラクターのせいってのもあるかもしれないけど。脇役のなかでは濱田岳の演技が特に好き。個性出てたし一番それっぽかった。 終盤の演出が多少冗長というか、わざとらしかった気がしないでもないけれど、あれくらいわかりやすい方が良いのかもしれない。 ラストは最高でした。 仲間の特攻シーンの無謀っぷりには切なくなった。あのシーンだけでも観た価値あったなぁと。 無論それ以外の戦闘も迫力があるし、零戦目当てで観に行くのは決して間違いじゃない。 エンドロールで名前を見るまで知らなかったんだけれど監督が山崎貴さんだったとは。『ALWAYS 三丁目の夕日』よりも『ジュブナイル』の監督というイメージが強い。あれのBDかDVD欲しいなぁ。
時間を感じさせないし、原作のダイジェスト感もない
原作読んでます。 基本、洋画好きで、あまり邦画は見ませんが これは、良かったです。 小説を映画にするとダイジェスト版的になりがちですが、 各エピソードでもしっかり感情移入できます。 かつ、長い上映時間も気になりませんでした。 現実にはこのようなことは許されないと思いますが 主演の岡田さんは、かっこよすぎですね。 美化されてしまう部分もありますが 誰もが相手を思いやり、戦争など争いのない世界を望みます。 また、夏八木勲さんの御冥福をお祈りいたします。やすらかに。
永遠の0
ゼロは小説のファンで非常に楽しみにしていました。
航空機や戦艦も非常にリアルに作られていて空戦シーンは圧巻の迫力でした。主演の岡田准一さん、井上真央さんともに迫真の演技で文句のつけ所がない出来栄えでした。
が、
本当に個人的な意見で申し訳ないですが大石役の染谷将太さんは適役でしたでしょうか?
彼が戦後のバラックに現れたあたりから興ざめしてしまいました。
そして最後の三浦春馬さんが歩道橋の上で錯乱してゼロがやってくるくだり・・・
一昔前の日本映画特有の何を訴えたいのか監督だけしか解らないあやふやな場面をゼロで見せてほしくなかった。
嫌な展開で終わったなぁと思ってたらサザンの歌・・・
桑田啓祐が大敗した変な映画の張りぼての龍?がフラッシュバックしてしまいました。
残念でした。
胸がいっぱい
数々の戦争映画を観てきましたが、これは珠玉の一作。 映画館で人目をはばからず泣いてしまったのですが、このなんとも言えない時代に翻弄される姿… 戦争と平和を改めて考える心に残る深い作品で、井上真央さんと岡田准一さんの演技にも拍手したい。
ライアン二等兵は宮部久蔵の夢を見るか?
かつてスピルバーグは「プライベート•ライアン」で、物語の敗北を描いた。劇中、その象徴として、色褪せた星条旗を掲げてみせた。冒頭のオマハビーチで、ナチスドイツのMGがアメリカ軍の兵士をバタバタと薙ぎ倒すさまを執拗に描くところから、ひとりひとりに宿る人生や意思といった「物語」を徹底的に破壊していった。あの映画の中で唯一物語が語り得られたのは、エンディングのわずか数分間であり、そのちっぽけな物語ですら、あの色褪せた星条旗にあっという間に回収されて行った。 スピルバーグは、戦争という情け容赦ない状況の中にあって、物語というものがいかにひ弱でもろく頼りない物であるかを語った。 では、「永遠の0」はどうだろう。 ヒューマンドラマである。ガチで。原作がブ厚いのを2時間かそこらにするんだから、枝葉は綺麗に取り去っている。新聞社が製作にまわっているから、メディア批判のくだりはバッサリカット(笑)。駆け足であの太平洋戦争を追いかけながら、描かれるのは宮部という男の生き方である。 「戦争と個人を描く」という点で、プライベート•ライアンと永遠の0は同じ地点から出発する。が展開は真逆を征く。 戦争観の違いもあるだろう。個人的には、戦争という状況、事実に触れる時には、情は排するべきだと考えているので(祖父が帝国陸軍中尉だった)、いち個人の足跡を辿りながら戦争の姿に迫るという手法には「危うさ」を感じるし、悲惨な状況の前でいかに物語が無力であるかは知り得ていたから、原作も注意を払って読んだ。 永遠の0の原作の価値は、いま一度かつての戦争への興味を読者に持ってもらうことに尽きると思う。なにしろ主人公とその物語が膨大な取材に基づく「フィクション」なんだから。その上で、映画はその原作の精神をなるべく忠実に再現するよう努力しているようにも思う。 劇中でも、主人公の祖父が「物語」に言及する場面がある。そこから駆け上って行くクライマックスには•••正直、肩すかしを食らった。山崎監督のチカラはこんなものなのかと失望すら感じた(ヤマトという前科もあったので•••)。やはり物語は敗北したのか。 その直後、この映画で最も観たかったシーンがスクリーンにぶちまけられた。原作でありありと浮かび上がったあのわずか数分間の出来事が、スクリーンいっぱいに迫る。息をするヒマもなかった。 あなたの中で、ひとりの生き方は、人生という物語は勝利するだろうか。
久しぶりに感動して大泣きした
岡田准一はカッコ良すぎ。もう、大俳優の一人に入ると思う。井上真央は映画ではあまり出てこなかったけど、NHKの連続テレビ小説を観てから気に入っていました。この映画を観てから、ますます、この2人のファンになりました。もう一度観たいな。早速、原作を読み始めました。原作でも泣いています。
リベラルな戦争映画
私は原作を読んでいないのでその内容は知らないが、映画は思いの外リベラルな戦争映画に仕上がっており、なかなか感動的だった。 従来の特攻を題材とした戦争映画は、特攻隊員達の国や家族を想う真摯な姿を描くあまり、特攻作戦の愚劣さを正面に出さないきらいがあった。特攻隊員達の国や家族を想う気持ちは確かに純粋で尊い。しかし特攻作戦はただ軍部の「勝つための努力をしている」という面子作りのために行われたようなもので、初戦こそ戦果を挙げた(米軍もまさかそんな馬鹿げた作戦を行うとは思っていなかっただろうし)ものの、彼らの死は家族を守ることにはほとんど役立っていないのが現実だ(決して海野十三の愚劣なほど楽観的な「諜報中継局」のようにはならなかった)。 また0戦は開戦当初こそ確かに圧倒的な性能を誇ったが、その後の度重なる戦いによる熟練搭乗員の減少や米軍の対応(単機での戦いを避ける、より高性能な機体を投入するなど)で、大戦後期にはその優位を失っていた。 これらの事実を(軍隊の非人間性も含めて)この映画はきちんと描いている。 当時の日本(大日本帝国)は、日清及び日露戦争や第一次世界大戦で勝利したことで「戦争ボケ」で思い上がり、ソ連軍に敗北を喫したノモンハン事件も教訓にせず、「日本よい国 きよい国 世界にひとつの神の国 日本よい国 強い国 世界にかがやく えらい国」と思いあがり、米英との戦争に突入した。 現在と同じく資源がほとんどない日本が、その輸入元である資源豊富な米国と戦えばどうなるかは、当時でも心ある人は分かっていた。例え開戦已む無しであったとしても、引き際(負け際)を決めておかないと国が亡ぶまで終わらなくなってしまうことも。 それなのに軍上層部は自ら設定した絶対防衛圏を破られ、本土が空襲にさらされ敗色濃厚どころか敗戦確実となっても、それを受け入れることも自分たちの責任を認める勇気もなく国民に嘘をつき続け、挙句は「一億玉砕」を謳い日本民族を天皇との無理心中に引き込もうとした。こんな愚かな暴走は二度と許してはならない。 「戦争という殺し合いはしたくない」と言う人間として当然の気持ちを「平和ボケ」と罵り、自省史観を自虐史観と決めつけて非難し、自賛史観(自尊史観)と愛国心の涵養を主張する昨今の流れは大いに警戒しなければならない。この上非国民や国賊、売国奴という言葉が広まってくれば要注意で、その内「銀英伝」の憂国騎士団のように自らは安全な所に居ながら、他人に「国を愛せ、守るために戦え」と煽り立てる輩が出てくるかもしれない。 ただ作中の合コンシーンで自爆テロと特攻作戦を同一に論じるのには抵抗がある。特攻作戦は愚劣ではあるが戦争と言う枠組みの中で、軍隊同士が戦う中での戦法の一つである。そこには自分の命を捨ててでも国や国民を守りたいという「他者への想い」がある。これに対し自爆テロは神への信仰(それもかなり狂信的な)に従うという名目で、一般市民を巻き添えにすることも躊躇しない、言わば「自己満足」によるものだと思う。 一般市民を犠牲にしたという面では、米軍による日本各地の大空襲や原爆投下の方がよほど罪が重いし、本作とは関係ないが捕虜の虐待と言う面ではソ連によるシベリア抑留に勝るものはないだろう。 映画では何故宮部が軍人になったか(開戦時既に戦闘機乗りだったことから、召集兵ではなく志願兵だったと思われる)が描かれていないが、あれほど家族思いの男だから軍に入ったのは結婚前で、何か已むに已まれぬ事情があったのだろうと推測できる(この部分も原作では明らかなのだろうか)。 原作者はこの映画に満足しているとコメントしているが、どうしても描ききれていない部分はあると思うので、原作を読んでみようと思う。
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