マリーゴールド・ホテルで会いましょうのレビュー・感想・評価
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大地のエネルギーを得て、この映画で元気になろう!
旅先で偶然居合わせた人々が、織り成すドラマはこれまでにも沢山映画になっている。
この作品も、特に珍しい話も無く、極々平凡なエピソードの積み重ねであった。
しかし、そんな平凡なストーリーを魅力的にみせてくれるのは、舞台で演劇を極めて来た英国ならではの、多数の名優達に因る芝居の面白さだ。
そして、それらの芝居を際立たせるのは、何と言ってもインドと言う国の底深い魅力その物の様に思う。
劇中何度も言われる通り、インドの強い日差しが創りだす様々なカラー。
町には、人々が溢れ出し、その人々が今日を生きる為に、生み出すエネルギー。
豊かな自然と人々が醸し出す息使いがそのまま画面には納められ、その躍動感に飲み込まれるのだ。
そして、この映画を観る私達も、まるでガンジス河で洗礼でも受けたようにその風景に圧倒されるのだ。
それは、何時の間にか知らず知らずのうちに、この映画の登場人物達と同じこのマリーゴールドホテルの滞在客に仲間入りしている自分を発見する旅でもある。
劇場では、廻りの人々からクスクスと笑い声が漏れ聞こえてきていた。
その理由も頷ける訳だ。
ここに滞在する人々はシルバー世代で有り、これまでの人生で多様な経験を重ねて来た。そんな彼らの生きて来た歴史が創り上げた、それぞれの個性的なキャラクターは皆面白いのだが、こちらも気が付けば、自分もこの映画に登場するキャラクターの誰かに当てはまっている事に気づかされるのだ。
だからこそ、自分の一部分を見せられている事で、思い当たるふしが有るので、思わず自然と笑みが込み上げて来るのではないだろうか?
さて自分は、ジュディ・デンチが演じるイブリンの様に、新天地で仕事を探し出す程行動的に、そして人々にも気遣いが出来るだろうか?
それとも、マギー・スミスが演じるミュリエルの様に気難しいのか?時間を要するが、結果的には前向きに生きる事が果たして出来るのか?
男女の別無く、親子の葛藤を抱えていても、その解決の糸口を前向きに改善する事が自分には出来ているのか?
などなど、様々な自分の鏡をこの映画は映し出している気がした。
しかし、出来る事ならば、自分も常に、環境の変化にも、不平をこぼす事無く、日々の変化を楽しむように、自分から変化を受け入れる事を心掛けたいものだ。
今の時代の日本では、地震の多発する中で、原発など様々な不安も有る。その日々の生活でも、私達は健康に留意し、これからも人生の時間を大切に生きなければならない。
「最後に、結果良ければ総て良い」としたいものだ!この映画で明日の元気を貰おう!!
名優に救われたステレオタイプな映画
この映画を見に行くと、劇場にいた観客のほとんどは定年退職済みのご老人ばかり。例外として何人か30代〜40代の女性の方もチラホラいたが、これでこの映画の内容が分かるというものだ。
あらすじにある通り、何人かの年寄りが理由は違えど、インドの「高齢者向け長期滞在型リゾートホテル」に住むことになる、というのが大まかなプロットだ。そこに各々の様々なエピソードが添えられて、一つの映画を成している。
まず映画の中の「インド」だが、雰囲気は悪くない。エキゾチックで魅力的な異国の地を見事に演出している。ただ、「イギリス人から見た」という文がつくが。
ほとんどの演出は許容範囲だが、この映画にはこの手の映画にありがちな“植民的視点”が数多く盛り込まれている。挙げるとキリが無いが、例えばホテルの若き支配人ソニー・カプー(「スラムドッグ$ミリオネア」のデヴ・パテルが演じている)は典型的な「外国人の考えるインド人」だ。細かいことは気にせず、底抜けに陽気でわざとらしいインド訛りで話す。そして「現代的な彼女」はコールセンターで働いている。これをステレオタイプと言わずになんと言おう。(そもそもデヴ・パテルはイギリス生まれのイギリス育ちだ)
インドを訪れる老人たちの中には、なかなかインドに馴染めない者もいるのだが、その「差別主義者」ぶりもわざとらしくて、次第に鼻につく。手術を受けにインドへ来たミュリエル(マギー・スミスが好演)は大のインド嫌い。有色人種の医者に「洗っても色は落ちない」と罵ったり、「イギリス人(もちろん全員がイギリス人)の医者を連れてこい」などとわめいたり。笑える雰囲気で描いているが、これは明らかにイギリス的な“やり過ぎ”ブラックジョークだ。インドを訪れた後に、ホテルで働く(カースト制における)不可触民のメイドに掃除の仕方をアドバイスするシーンも、いかにも「教化」といった印象を受ける(イヴリンのコールセンターでの「アドバイス」も同様)。そもそも彼女との交流を通して、大のインド嫌いだった人物が急に現地に慣れ親しむのも変な話だ。御都合主義としか思えない。
その点、ダグラスの妻ジーンは理解できる。彼女は最後までインドに馴染むことができないのだが、彼女の存在は、優位主義的な既成概念を捨て去ることのできない人間のプライドをえぐり取る。
だがそういった陳腐な演出に目をつむれば、この映画は非常に優れた大人(というか老人)のためのコメディ映画だ。笑える場面もあり(隣の初老のおばさんは「死亡ネタ」でバカウケしていた)、じんわりと感動できる場面もある。個々のエピソードをバランスよく盛り込み、過剰でも足りないわけでもなく、本当にぴったりだ。
演じる役者陣も名優ばかりだから、誰が登場しても安心してみることができる。その中でも特に良いのが、トム・ウィルキンソンとビル・ナイだ。
トム・ウィルキンソンはゲイの判事を繊細に、かつエモーショナルに演じた。彼がインドに来た理由は生き別れた大切な人を捜すためなのだが、その姿がなんとも言えぬ感情を生む。彼がどれほど相手のことを愛していたか、何も話さなくても伝わってくる。もちろん、彼が自分の心情を吐露する場面も素晴らしい出来だ。なぜ彼のエピソードが感動的なのかと言うと、人種間の垣根を越えた“愛情”という対等な関係だからだ。この映画で唯一の例外である。
ビル・ナイはジーンの気弱な亭主ダグラスを演じる。彼とイヴリンの会話のシーンは(良い意味で)イギリス人らしい小気味良いウィットに包まれている。限りなく自然体で、イヴリンが好きだが妻のことを捨てることもできない草食系ジジイに成り切っている。
当然この映画のメインは「インドでの異国体験」ではなく「老人たちの新たな始まり」だ。だからこういったラブロマンス的な要素が本来の主題である。一歩間違えば、ただ鼻につくだけの「老人の恋」もジョン・マッデンの手にかかれば一級品のものになる。なにしろ「恋におちたシェークスピア」の監督だ。こういったシーンはお手の物である。
多くの人はこの映画を気に入るはずだ。嫌いなシーンも多いが、憎めない。一言で言うと、そんな映画だ。
(2013年2月17日鑑賞)
ストーリーよりも人物像を愉しむ
空港ロビーのベンチに、ジュディ・デンチやビル・ナイをはじめとしたベテラン俳優7人が横並びになるところは壮観というより、むしろ笑えるカットというところがこの映画の楽しさだ。
それぞれが問題を抱えていて、これからの老後について真剣に考えてはいるのだが、明日をも知れぬ老人とはかけ離れていて切羽詰まった様子は7人の顔ぶれからは窺えない。皆、ポジティブで前向きなのだ。ここまでの人生ご破算にしてでも、新たな一歩を踏み出すことに躊躇がない。
ここは一般的に言われる老後の生活を問題にしているわけではなく、一度きりしかない人生、このままでいいのかという問いかけと、まだまだやり直せるというエールが込められている。
ましてや若者が希望を持たないでどうする、と引き合いに出されたのがマリーゴールド・ホテルの建て直しに夢を懸ける青年ソニーとその恋人スナイナだ。
インドでの生活に溶けこむことに最後まで拒否反応を示したダグラスの妻ジーンが一見マイナス指向に見えるが、彼女も最後は前に進むことを選んだ結果の行動で決して不幸せなことではない。
人種差別家のミュリエルの変わり様が既定路線とはいえ、そのしたたかさが中々に笑えて憎めない。さすがマギー・スミス。
ストーリーはありきたりだが、それぞれ人生の転機を望む人物像が愉しめる作品だ。そしてインド特有の色彩を楽しむ作品でもある。美しく力強い色彩が再現されなかったら魅力半減になる。日比谷シャンテでのデジタル上映による色彩は実に鮮やかで心躍る。
マギースミスが輝いてました。
お年を召したイギリス男女7人の物語。
けどこの7人はたまたまこの旅行で巡り会った仲間たち。
夫に先立たれた人や、心臓病を患いながらどうしてもインドにこなくてはならない理由があった人、倦怠期を迎えている夫婦とか…それぞれの事情を抱えながらインドへ旅に来ます。
観て感じたこと…歳をとってもやりたいこと、やらねばならないことはいつもあるんだな〜、そしてそういうことが続くから生きていけるんだな…ということ。
そしてそれらは誰かにやってもらうのではなく、自分で思うようにやってみれば結果はどうであれ納得出来るんだろうな〜ということでした。
マギースミスが一番いい味出していました。
肌の色で人を差別していて、車椅子頼みの人生から次第にメイドにも心を開き、自分の足で立ち上がる。いい感じでした。
しかし、外国の人たちってこんな簡単に異国文化に溶け込めちゃうのかしらん…インドがそういうお国なの?
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