「TV版での妙は映画では機能しない」劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 後編 永遠の物語 鎌鯱さんの映画レビュー(感想・評価)
TV版での妙は映画では機能しない
まず僕はTV版のファンだ。精緻な展開と帰結に紅涙を絞らされる大傑作だと思うし、この劇場版2部作でもその感動が半減されることは無かった筈だ。その上で…しかし僕はこの劇場版後編に一点、どうしても我慢ならない部分がある(前編はよく纏まっていたと思う)。
10話の処理の仕方だ。
さて、TV版は「24分12本勝負」だった。時間的制限の強いTV放送枠の中で1話毎に如何に視聴を続けさせるかに挑み続けていた。つまりは一つの物語を12本の映画に分けて作ったような作品だ。これはTV枠ならではの妙だ。
特に10話はこれまでベールに包まれていたほむらの真意を、彼女が時間軸をやり直してゆく過程で暴き、視聴者を作品に引き込む最後の一撃となった話だ。そして連作短編的な味わいと共に、これまでの9話を30分の映画のように再構成してみせた。そして、だからこそ冒頭現れるほむらのギャップに我々はビビり、1話のほむらになってゆく過程に見入り、ラスト、ほむらの心境と重なるような「コネクト」の歌詞に燃えたのだ。
一方劇場版後編の冒頭は9話だ。そして基本TV版と同じ流れで進む。10話の内容は9話の内容が終わってから語られ始める。それは得策でなくとも別にいい。
問題は、10話が語り終えられるとTV版と殆ど同じ尺と映像で「コネクト」が流れだす事だ。
この前の冒頭で映画としてのOPで、しかもTV版OPと同じノリで「ルミナス」が流れている。つまり観客はそれを観た上で中盤2度目のOPを見せられるのだ。これが物語を語る上での映画の一本道を狂わせてしまったように思えてならない。TV版では効果的だったが、映画版では「コネクト」が中途半端な状態に陥ってしまった印象を受けた。
情報を週毎に小出しにできるTV放送と違い、やはり映画は一作品の中で物語の一本筋を保つ必要があると思う。それをしないと、軸がずれたように見え凄くシラケるからだ。後編における中盤と終盤の「コネクト」挿入はTV版での妙で、それは映画では機能せず結果的に話の流れを妨げてしまったのだ。
僕としてはやはり9話を後回しにしてでも冒頭にどんと10話を語り、その後だけに満を持してOPを挿入し、終盤は普通に「ひかりふる」バックにクレジット→翼を広げるほむらで締めるべきだったと思う。
インタビューを見る限り、新房監督はこれを気の効いた挿入と考えている様だが、気の効いたつもりが大きな間違いだ。そこを心して新編にかかって頂きたい。