「「壁」は、すり抜けるものだった。」ムカデ人間2 ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
「壁」は、すり抜けるものだった。
全世界において、その異質なテーマと描写でコアな人気を獲得した「ムカデ人間」を手掛けたトム・シックス監督が、再びつ・な・げ・て・みたーい欲望を世界に叩き付ける続編。
何かを作り出そうとする人間は、いつだって過去に自分が創造した作品を超えたものを作りたいと願う。もっと、面白いものを。もっと、驚かせるものを。しかし、その強い願いは時に作り手を縛り上げ、自由な創作を妨げる。これまでにも、数多くの作り手がこの「壁」に苦しみ、叩きつけられた。
その点、本作の作り手は見事・・・というか、巧妙な手を使って「壁」を乗り越えた。いや、違う。乗り越えたのではなく、ひらり横をすり抜けた。
人間を、つなげる。その異色な欲望の形を映像にして見せた映画「ムカデ人間」。その作品にほれ込んだ一人の青年は、オリジナルの作品よりももっと、もっと多くの人間をつなげてみたいという欲望に駆られる。一つの無垢な欲望は、いつしか切実な渇望へと変わり、惨劇の幕が開く。
作り手が、どうやって「壁」をすり抜けたか。それは、自分の作った前作を一本の「動機」という形で、続編に挿し込んだ点にある。「ムカデ人間」というテーマを再度持ち込んで、主人公ハイター博士の復活!という描き方こそ続編の常套手段なのだが、「あの、素晴らしき変態映画」というパーフェクトな存在として前作を使うことで、もはや本作は前作を超える必要が無くなる。
「ムカデ~」という名義を流用しながら、一つの独立した物語として観客の評価を問うことが出来る。「まあ、別の作品として観てくださいね。前作は、何せ完璧なんだから!」という言い訳がまかり通る。何とも、ニクイ逃げ方である。
前作にあった、やくざな日本人や美人二人組の葛藤のような中途半端なストーリー性がそぎ取られ、ある種純粋なまでにオブジェとしての完成度を追求した感のある本作。モノクロの色彩の中で、いかに人間を芸術の範疇に高めるか。物語を排しても描きたかった、作り手の造形美への情熱が爆発している。
前作を、超える。多くの作り手が悩み、ぶちあたる課題と挑戦。その宿命を軽々と飛び越えて、更なるカルト的遊び、衝動を世界に差し出した一本。さて、次はどんなニクイ手法で「壁」を超えてくれるか。大いに興味と期待を持たせる映画人の出現である。
おっと、そうそう。食事をしてすぐの鑑賞は、どんな理論を並べたところで勧めない。勧められない。私は、そんなに意地悪では、ない。