ローマ法王の休日のレビュー・感想・評価
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居心地悪さを、じっくり丁寧に。
ナンニ・モレッティ監督とは、「親愛なる日記」以来のお付き合いとなる。ベスパに乗った姿は監督作品のトレードマークにもなり、今回も本編前に登場した。出来ることなら素知らぬ顔でやり過ごしたい、気恥ずかしさ、気まずさ、居心地悪さ。モレッティ監督は、日常に潜むそんなあれこれを、じっくりと丁寧に描く。今回も、彼の持ち味が存分に発揮され、幾度となくにんまりとした。(その点、邦題といい予告編といい、ちょっと、いや相当に!ずれている気がした。ドタバタコメディを期待した人は、かなりの肩透かしだと思う。)
まず、「画」は楽しく、愛嬌がある。赤い帽子にガウン姿(おそろい…のようで微妙に違う。スカパラこと東京スカパラダイスオーケストラのスーツのようでお洒落。)の枢機卿たち。一応は「オトナ」に振る舞いながらも、実際は「コドモ」全開。新法王の選挙にドキドキハラハラ、自分に火の粉が飛んでこないと分かった途端、あっさりお気楽モードになる。シュークリームが食べたい、ガラパッジョ展が見たいと外出したがる三人組には特に笑った。さらには、新法王のカウンセリングを皆で取り囲みワイワイガヤガヤ、アッパーもダウナーもごちゃまぜな愛用の精神薬談義、やたら盛り上がったわりに尻すぼみになるバレー大会。ありゃありゃ…と一瞬は呆れ、たしなめたくなるけれど、「うーん、なんか、わかるなー」という気持ちが勝ってしまい、苦笑い。…あ、そうだ。あの寺村輝夫の「ぼくは王さま」の王さまがいっぱい、と例えたらぴったりくるかもしれない。どこまでもマイペース。好奇心旺盛な半面、ちょっと臆病で移り気。無責任と言えばそれまでだが、憎めないのはコドモのような笑顔のせいだろうか。
とはいえ、物語全体は軽やかさからは遠い。法王という大役に怖じ気づき、街にさ迷い出たメルヴィル。ところが、この映画は、主役である彼を突き動かすような、決定的な出会いも出来事も用意していない。私たちの日常がそうであるように、悩める彼は、どこまでも孤独なままなのだ。
人は、そう簡単には変わらない。とはいえ、「今のまま」もあり得ない。小さなあれこれの積み重ねを経て、少しずつ新たな一歩を踏み出していく。周りの期待に応えるよりも、自分の気持ちを優先した彼の選択。それはむしろ、諸々の面倒を引き受ける覚悟が必要だ。彼を賞賛することもできないし、批判もできない。ただ、ほろ苦さと苦し紛れのほほえみが、余韻として残った。
それにしても、歳を重ねてなお、ミシェル・ピコリは面白い(年長者に生意気ですが…)。往年の彼はギラギラと毒が強いが、いかにも「人のいいおじいさん」といった風貌を手に入れてから、曲者ぶりが倍増した。「ここに幸あり」では性別まで超越するなど、新作の都度、驚かされる。大滝秀治さん亡き今、愛敬と毒を併せ持つ大御所俳優ピカイチかもしれない。これからも存分にはじけてほしい。
原題は新教皇発表時の宣言「われら教皇を得たり」
配信サイトのオススメに上がってきたので、タイムリーな主題でもあるし、「ローマの休日」みたいに教皇がバチカンを抜け出してリフレッシュして帰る、みたいなのかな、思って見たら、この教皇さまの場合は永遠の休日モードに入ってしまったので、うっそぉと思わず叫んでしまった。びっくり。バチカンのお膝元ローマの監督でなかったら作れない作品だ。
まあまあ、始めの場面からして、大勢の枢機卿が嫌がっていたのも面白かった。こんな教会内外に問題の多い時代にトップなど務めたくないのは素人にだって想像がつくが、あからさまに描いた人ってモレッティ監督しかいないのでは?
途中で辞めた教皇っているのかなと調べたら、大昔の1294年に第192代教皇のケレスティヌス5世が在位5ヶ月で自分から希望して退位していた。この人の場合、主人公と同じように、ダークホースだったのに選出されて驚き、教会から去ることを決意するくらい嫌がったのに、周囲に懇願されて就任。しかし結局、「毎晩『ただちに職を辞し隠者の生活に戻れ』の声が聞こえる」とメンタルをやられてしまったそう。(これは教皇の座を狙う親切顔の枢機卿の陰謀だったらしいが。(°∀°)
枢機卿と言ってもやはり普通の人間。物心ついたときから聖職につきたいという人も、教皇になりたいという人もそれほどいないだろうし、サポートはできてもトップは無理、という人だっているだろう。
イヤって言ったっていいじゃないか。できないって断ったっていいじゃん。
一見、茶化しているようだけれど、そんな監督の優しさを感じる作品だった。
結末に驚き、そしてガッカリなのだが。自由な生き方を是とするメッセージ性の有る映画なのかも
制作脚本監督のナンニ・モレッティ による2011年製作(104分/G)のイタリア・フランス合作映画。原題または英題:Habemus Papam、配給:ギャガ、劇場公開日:2012年7月21日。
物語は、予定調和的に主人公はローマの街を放浪して庶民と交流する末に、新法王としての責務を引き受けるものと予想していた。しかし、その予想は裏切られ、意外な結末を迎える。この展開には正直驚かされたし、かなりがっかりもした。
観客の予想を裏切るだけなら誰にでもできる。観客の期待に応えながら、予想の少し上をいく展開を見せることこそ、映画プロの手腕ではないかと。
ただ、日本人的な保守的価値観では「選ばれたからには頑張って何とか責任を果たすべき」という考えは根強い。だが、それは本当に正しいのか?
よくよく考えたうえで、自分にはその役割を担えないとし、そこから逃げることも、過当なストレスを背負わない一つの人間らしい選択ではないか?制作脚本も兼ねたモレッティ監督は、そんな問いを観客に投げかけたかったのかもしれない。
また、劇中では枢機卿たちが精神科医(演じるのは監督自身)の導きのもと、バレーボールに興じる場面が描かれる。「カトリック教会の指導者たちにも、遊びや心のゆとりが必要だ」というメッセージなのかな。
あまり面白くは感じなかったが、堅苦しい制度や役割の枠を超えた、もっと自由な人間性への目配せはまあ感じられた。
監督ナンニ・モレッティ、製作ナンニ・モレッティ 、ドメニコ・プロカッチ、脚本ナンニ・モレッティ 、フランチェスコ・ピッコロ 、フェデリカ・ポントレモーリ、撮影アレッサンドロ・ペシ、美術パオラ・ビザーリ、衣装リーナ・ネルリ・タビアーニ、編集エズメラルダ・カラブリア、音楽フランコ・ピエルサンティ。
出演
メルビル(ローマ法王)ミシェル・ピッコリ、精神科医・男ナンニ・モレッティ、
バチカン報道官イエルジー・スチュエル、グレゴリー枢機卿レナート・スカルパ
精神科医・女マルゲリータ・ブイ。
法王になる「人」
コンクラーベの話題がホットな今、観るべき作品第二弾。
なんて、冗談ですが。
でも枢機卿が皆、自分以外を選ぶようにと祈る姿を見てちょっとホッとする。
誰もがポープの座を狙ってるわけではなく、その逆だとしたら…コンクラーベもまた違って見えてくるかも。
難解なので、結局どゆこと?と思うシーンも。
コメディだが、それほど笑えるシーンはなく、ほっこりするのかも。
枢機卿達がバレーボールをするシーンは笑ったが。
なかなかの運動神経の人も。
おいくつなのか?
情報戦とも言われているけど、秘密にしないでオープンにしたらどうなんだろうね。
歴代のポープ、なりたくてなった法王達ばかりではなかったのかなぁ。
強行選挙とは対局
コンクラーベで始まり枢機卿達が「自分にはなりませんように」と思うのが教皇選挙とは正反対。
「ローマ法王の休日」なんて題名だから、ちょっと息抜きにバチカン抜け出してリフレッシュ!な話かと思ったら、超重い話だった😨
苦悩し街をさまよい、人々と触れ合って最後には…と思ったら、結局その座をはじめとする降りてしまうラストに、法王のことを審判してカーテンが動くのを見て喜んでいた枢機卿達が気の毒だった。
「神は耐えうる試練を授ける」的なセリフが教皇選挙でもあったような気がするけど、神を信じきれずその座を退いた彼は、その後どうするのか…。
原題は「Habemus Papam」で教皇が決まった、教皇があたえられた的な意味合いらしい。で、それによる苦悩、周囲の混乱を描いている本作を「休日」なんてちよっとほのぼのした印象のタイトルにするのは酷いなと思う。
あと男性セラピストは、話的に必要だったのだろうか。
バチカン市国とローマ法王のコンクラーベ。
バチカン市国(1929年誕生)でローマ法王が亡くなった。
ローマ法王の葬儀から映画ははじまる。
葬儀は厳かだが、棺が白木の地味に見えるものだった。
そして次の法王を選ぶ教皇選挙(コンクラーベ)が、世界各国の枢機卿108人が、
隔離された通信手段ない部屋で、何回もの、手書きメモに相応しい思われる
枢機卿の名前を書いてのは投票する。
この映画では、選ばれた無名のアルビル(ミシェル・ピッコリ)が
選出されるたのだった。
アルビルは実力以上の大役を引き受けたが、プレッシャーから
ノイローゼ気味になり精神科医(監督のナンニ・モレッティ)が
呼ばれるが、彼もまた隔離さてしまう。
コメディとジャンル分けしあるが、シリアスな映画です。
「教皇選挙」の下調べで見ているところです。
枢機卿がことごとくローマ法王になりたくない・・・
キリスト教の最高機関のTOPになりたくないひとが
枢機卿になるだろうか?
疑問だがアルビノは、法王のスピーチをする前に、お忍びで
街に繰り出して、隙を見て行方を眩まししまう。
アルビノの小さい頃の夢は、舞台俳優で、チェーホフの戯曲を
暗唱する程だ。
劇中劇があって稽古風景や、実際の劇場を使った芝居がある。
アルビノは束の間の自由を満喫するが、追っ手がバチカンから
迎えに来て、アルビノはバチカンに帰る。
めでたしめでたし・・・と思ったら
、なんとアルビノは、
バルコニーでのスピーチでこう言うのだった。
「私は導くより、導かれる立場の人間で、
「ローマ法王は、わたじであってはならないです」
なんとも意外な結末でした。
現在のローマ法王のフランシスコは南米アルゼンチンの出身。
地域(ヨーロッパ、南米、北米、オセアニア、アジアの代表として
名誉な事とおもうが辞退するとは。
スイス人の衛兵の衣装がトランプの絵柄のように奇抜。
亡くなったローマ法王を安置する部屋の壁画に見惚れる。
精神科医の提案でバレーボールに興じるなど、
エフソードに苦労した様子だが、枢機卿の生活を描くでもなく、
何が言いたいのか分からなかった。
何も書けない
眠気がぶっ飛ぶ!
しかし、眠い映画だった。
大変に残念な映画だとは思う。
2025年5/25 再度鑑賞。
当時は興味なかったんだね。
すっかり忘れていた。
と、言うよりも、寝ていたんだね
・Todo Cambia Mercedes Sosa
良いね。
「すべてが変わる」だね。
すべての元ネタ?それでアルゼンチンのフォルクローレ?まさかね。
こりゃ傑作。
ましてや、ベネディクトさんは⭕️⭕️⭕️訳だからね。
根くらべ
前衛なんですか?お願いです、前衛だと言って下さい!
カラックスの「ホーリー・モーターズ」や「ポン・ヌフの恋人」、あるいは奇才ルイス・ブニュエルの「銀河」を見終わった時の気分に似ている。
病む精神のサイケデリック・ムービーですな。
2000年の歴史を持つバチカンを舞台にしているが、ストーリーは破綻し、エピソードは関連性無く、伏線の回収にも興味は無く、唐突に映画は終わる。
その上、主人公の法王よりも監督自身の出番が長くて困惑。
(レビューを書き始めて気づいたが「ホーリー・モーターズ」には法王役のミシェル・ピッコリが出ている!)。
ははーん・・モレッティ監督は、カラックス寄りですね
「ブリキの太鼓」ですか?あの法王が不安から発する絶叫は。周囲を凍りつかせますが。
枢機卿たちの顔もコスチュームもバレーボールも抗精神薬も・・すべてのチャプターがサイケ。
期待を裏切ることを目的とした、たぶんこれは“前衛劇”なのだと思う。
それなら僕は至極納得する。
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おととし、システィーナ礼拝堂で天井画を仰いで5時間座り込みました。
ミケランジェロがデザインしたあのスイス衛兵のコスチューム。ちょうちんブルマはラブリーですよね♡
そして「コンクラーベ」を「根比べ」とは上手く言ったものです。
教皇だけの問題じゃない
騙されるな~w
けっしてコメディではないのでお間違えなく
広告詐欺
そして誰もいなくなった
私はそこそこ笑えました。評価を先に見たからってのもあります。
ラストがあの閉め方だとは思いませんでした。途中までの演説はそう言う風には見れなかったから。ラストが逆なら星4つ。
法王に選ばれた途端に周りの態度が一変。知ってる人がいなくなった。これはある意味で生まれたての子供と同じかな?保育障害?ネグレクトのことかな?もしそうなら法王に選ばれてからの短い人生は手厚い温情、配慮、気遣いを受けていた。生まれてすぐ多くの期待と責任を負わされてしまったけど。変に考えられる分、嫌になるのもわかる。
最後の方で多数決を取っていたけど1人2人の反対者がいただけ。これは何だろう?なりたい人がいたのかな?
最後に、タイトルは改名した方がいい!枢機卿の休日。まだ法王の表明していないしね。
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