「妻への追悼をこめて」ぼくたちのムッシュ・ラザール DOGLOVER AKIKOさんの映画レビュー(感想・評価)
妻への追悼をこめて
今年(2012)のアカデミー賞外国語映画賞の候補作。カナダ映画。
原題:MONSIEUR LAZHAR
監督:フイリップ ファラルドー
キャスト
ムッシュラザール:モハメド フェラグ
シモン :エミリアン ネロン
アリス :ソフィーネ リッセ
ストーリーは
フランス語圏 モントリオールの小学校。
登校した6年生、11歳のアリスが、雪の積もる校庭の端っこで 教室が開くまで、ポケットのナッツを食べながら待っている。横に、そっとシモンが来て、アリスの前に手を出す。アリスはその手にナッツを乗せてやり、二人して食べている。自然な二人の様子を写すロングショットが続く。二人の間に会話はないし、互いに顔をあわせることも無い。しかし観ていると 二人がとても気のあった仲で、いつも一緒に居ることがわかる。他の子供達は校庭でボールを投げあったり、ゲームに興じている。
アリスがシモンに、「牛乳当番でしょ。」と言う。そうだった。シモンはあわてて走って校内に入り、給食室からクラス人数分の牛乳を取り出して、教室に運ぶ。そして、シモンが教室の中で見たものは、大好きな受け持ちのマルテイーヌ先生が首を吊って死んでいる姿だった。
走ってシモンが教員室に駆け込み、先生方はあわてて生徒達を構内から立ち退かせる。しかし、アリスはシモンのすぐ後を追ってきていたから、教室を覗いてしまう。シモンが大好きだったマルテイーヌ先生は 自分の青いスカーフで首を吊っていた。
教室のペンキが塗り替えられ、クラスの子供達には専門の心理療法士がやってくる。しかし、事件が新聞に載ってしまったので後続の先生がなかなか見つからない。
そこに、アルジェリア出身で、ケペックで19年間教師をしていたという、ラザール先生がやってくる。警察との対応や社会的責任を問われ、子供達の父兄達からも厳し追求されて傷心だった校長は、物腰穏やかなラザール先生を雇用して、クラスを担当してもらうことにする。
ラザール先生は教室で円形に広がっていた子供達の机を 前後縦横にきちんと並べ替えさせる。最初に子供達にさせたことは、バルザックの書き取りだ。授業中ふざける子供をパシンと軽くたたいて諌め、姿勢の悪い子供には正させる。先生の古典的な教え方に、生徒達はざわめく。
さっそく校長はラザール先生を呼び出して、子供に体罰はおろか、触れることも、頭を撫でることも、抱いてやることも学校では禁止されていると言う。自分達の担任の先生が、子供達の教室で自殺しことで、子供達が傷ついていないわけがない。しかし校長は 起きた出来事について、心理療法士以外の人が、話しても触れてもいけないと言う。子供達はマルテイーヌ先生のことを 心理療法士以外の人に話すことも 子供同士で話し合うこともできない。誰も、何もなかったのように口をつぐんでいた。一方、ラザール先生は同僚とも穏やかな良い関係を持ちつつ、クラスを運営していく。冬が去り、春がやってくる。子供達は何も問題がないかのようだ。だが、シモンだけは、乱暴な生徒として、問題児になっていく。
ある日、シモンが大切に肌身離さずもっていたものが、マルテイーヌ先生の写真だったことがわかって、クラスは再び揺れ動く。アリスはみんなの前に立って、語り始める。乱暴はいけない乱暴はいけない、と大人は言うけれど、マルテーヌ先生は青いスカーフで首を吊って死んだ。これこそが乱暴だったではないか、と。アリスの発言を切っ掛けに、シモンは 一人きりで今まで自分の中に秘めていた思いを一気に吐露する。「マルテーヌ先生は僕を抱きしめた。その先生を僕は突き飛ばしたんだ」。と言って泣きじゃくる。マルテイーヌは次の朝、シモンが牛乳当番で早く教室に来ることを知っていて、首を吊っていた。抱きしめられて、突き飛ばしたシモンは、先生の自殺が自分のせいだと思い込んで ずっと自分を責めていたのだ。アリスはシモンがどれだけマルテイーヌ先生が好きだったかを知っている。シモンが特別の先生に可愛がられていて、抱きしめられたのに思わず突き飛ばしてしまった複雑な少年の心も、アリス自身の嫉妬に似た感情にも気がついていた。
マルテイーヌ先生の自殺の原因は誰にもわからない。ただ、死後彼女の荷物を夫が取りに来なかったことだけが分っている。
ラザール先生は再び校長に呼ばれる。
19年間教師だったというのは嘘で、あなたは難民ではないか、と。ラザールはアルジェリアでカフェを経営していた。先生だったのは妻だ。自分の国は独立後も長期にわたるフランスの殖民によって、国内では宗教対立や社会動乱が続いている。ラザールは難民としてカナダに渡り 自国で迫害をうけている難民認定を受け、人道的配慮から家族を呼び寄せて移民する過程にいた。そのための家族のパスポートがそろい、ようやくカナダに向けて出発するその夜に、家族の住むアパートが放火され、ラザールの家族は全員殺された。彼は妻と二人の娘を失ったばかりだったのだ。しかし、怒り狂っている校長は ラザールに解雇を言い渡す。
最後の日、いつも通りにラザール先生は、生徒達に向かって何ら変わりない様子で授業する。最後に簡単に、さよならだけを皆に言って、誰もいなくなった教室、、、アリスがひとり、戻ってくる。無言でラザールはアリスをしっかり抱きしめる。
というお話。
子供が主演する映画で、子供達の純真さに触れて 思わず泣いてしまうことがあるが、この映画でも誰もが涙ぐむのではないかと思うシーンが二つある。ひとつは、シモンが「マルテーヌ先生が抱きしめたのを、僕が突き飛ばした。そんなことして欲しくなかったんだもん。嫌だったんだもの。」と泣きじゃくりながら告白するシーン。それと、最後の、大好きな先生との別れが悲しくて教室に戻ってきたアリスをラザール先生がしっかり抱きしめるシーンだ。せっかく、自分たちの心を受け止めてくれる後続の先生が来てくれて、アリスもシモンも心を開きかけたところで、二人ともまたしても先生を失うことになるのだ。
徹底した管理社会である学校。校則が優先する冷徹な社会。生徒達が大好きだった先生が首を吊った教室で、その後何事もなかったかのように授業を受けなければならない子供達。妻も娘も宗教的対立によって焼き殺されて、二度と家族に会うことが出来ないラザール先生。あまりに厳しく、凄惨な現実。
カナダ映画だがフランステイストの映画で、画面で描く詩のような作品。極端に会話が少なく、説明がない。観ている人の想像力で、辛うじてストーリーがつながっていく。想像力の無い人には見終わっても、話しが、見えてこない。一緒に観たオットは 「なんにもわからなかった」 と言っていた。ラザール先生が愛するバルザック。映像の詩人といわれるフランソワ トリュフォーの映画にも バルザックが出て来る。監督がトリュフォーに傾倒していることがわかる。カメラショットが似ている。
アリスは先生に 自分の愛読書、ジャック ロンドンの「ホワイト ファング」や「野生の叫び」を持ってきて読んでもらう。彼女はジャック ロンドンのような冒険小説にはまっている。そして、バルザックの書き取りをさせる先生のことを、シモンと一緒に笑う。それはそうだろう。日本で言えば、5年生に樋口一葉や森鴎外を口述筆記させるようなものだから。
物語の背景に過酷なカナダの移民政策がある。カナダもオーストラリア同様に移民でできた新しい国だ。人口3400万人、日本の4分の1の人々が広大な土地に居り、毎年人口の1%を移民として受け入れる準備がある。しかし、欲しいのは専門技術をもった高学歴の健康な独身者だ。家族呼び寄せ移民は、年寄りや病弱な子供が来るので 保健医療予算を圧迫するから欲しくない。また難民移民は内戦や紛争で引き裂かれた国から来るので、精神病やアルコール中毒、薬物中毒者が多く暴力事件も起こしやすい。家族ビザも難民ビザもカナダ政府としてはあまり出したくない。
そんなことから、ラザールも 妻と娘達がアルジェリアで迫害されていた事実を認めながらも それでももうアルジェリアは安全で平和になっていてラザールが帰国しても問題ない、などと移民審査官は言う。また、学校の校長が軽蔑をこめて、「あんた難民じゃない。」と破棄捨てるように言う。難民のどこが悪いか。誰も好きで難民になったわけではない。
ラザール先生は もし自分の妻が生きていて、アリスやシモンのクラスを担当したらどんなことをしただろうか、といつも考えながら、担任の先生を失った子供達に接していたに違いない。ラザールのところに、アルジェリアから小包みが届く。家族全員、家ごと焼かれてしまったので、形見の品は 妻が教えていたクラスの残っていた妻の教材だけだ。それをラザールは自分のクラスの子供達のために使う。それがラザールなりの、妻への追悼だったのだ。
会話が極端に少なく、説明もない。黙示劇のように子供達の表情だけで、その背景を読まなければならない。だから、人によって解釈が違ってくる映画だ。とても良い。わからないことは わからないまま、モーツアルトをバックに美しい映像をみているだけで良い。とても印象に深く刻まれる映画だった。